紺野美沙子
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紺野 美沙子(こんの みさこ、本名:篠田美佐子(旧姓:佐藤)、1960年9月8日 - )は東京都出身。昭和後期から平成期(1980年代-)の女優、エッセイスト。学歴は慶應義塾女子高等学校-慶應義塾大学文学部国文科卒業。学位は文学士(慶應義塾大学)。称号は日本吟醸酒協会名誉吟の騎士。国際連合開発計画(UNDP)親善大使。 通称「こんみさ」
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[編集] 来歴・人物
1977年、NHK少年ドラマシリーズ『未来からの挑戦』で本名の佐藤美佐子の名で子役デビュー。芸名:紺野美沙子として1978年から81年にかけてユニチカの3代目マスコットガールを務めたのが、正式な芸能界入り。 その後、1979年に東宝映画『黄金のパートナー』で出演(これが女優デビュー)。1980年、NHK総合テレビ・連続テレビ小説『虹を織る』のヒロインを務めた。1983年にはドラマ「血液型なんてこわくない」でヌードに、さらに翌1984年には写真集「うさぎ恋し」でも“透け乳首”を披露した。1986年8月には、フジテレビの『FNNスーパータイム』の幸田シャーミンの代役を1週間務めた。
また、科学に対する造詣も深く、テレビ朝日の『紺野美沙子の科学館』の司会を務めたほか、エッセイ『空飛ぶホタテ』は1995年度の日本文芸大賞女流文学賞を獲得した。1998年、国連開発計画(UNDP)の親善大使に任命された。
1992年、TBSのディレクターと結婚した。星野仙一の現役時代からのファンとして知られ、星野の監督時代から親交がある。また祖父の影響で子供の頃から大相撲のファン。高見山を特に贔屓にしていた。
長門裕之夫人の南田洋子は長門の素行の悪さや男女関係の乱れについてこき下ろしたが、紺野によれば事実誤認も多いという。
『宇宙鉄人キョーダイン』に出演したことを恥ずかしがり「消したい過去」と言った。(バラエティ番組のウチくる!?の2007年1月14日放送にて)
2007年2月15日放映の『クイズ$ミリオネア』で一千万円を獲得した。賞金の使い道について「緑の少ない東ティモールに植樹したい」と番組で宣言した。
[編集] 出演
[編集] 映画
- 黄金のパートナー(1979年)
- 未完の対局(1982年)
- アイコ十六歳(1983年日本ヘラルド映画、アミューズ・シネマ・シティ・中部日本放送提携作品、監督 今関あきよし、原作 堀田あけみ)
- 姉妹坂(1985年東宝、監督 大林宣彦、原作 大山和栄)
- うみ・そら・さんごのいいつたえ(1991年、監督 椎名誠)
- ユンカース・カム・ヒア(1995年、監督佐藤順一、原作木根尚登(アニメ))
[編集] テレビ番組
- FNNスーパータイム(1986年8月(幸田シャーミンの代役)、フジテレビ)
- 紺野美沙子の科学館(1984年~1999年 テレビ朝日)
- オールナイトフジ(フジテレビ)
- そして歌は誕生した-名曲のかげに秘められた物語-(NHK)
[編集] テレビドラマ
- 宇宙鉄人キョーダイン(1976年 29話のみ)【佐藤美佐子名義】
- 未来からの挑戦(1977年 NHK少年ドラマシリーズ)【佐藤美佐子名義】
- 虹を織る(1980年 NHK朝の連続テレビ小説)
- 血液型なんてこわくない(1983年)
- NHK 大河ドラマ 武田信玄 (1988年)
- 教師びんびん物語(1988年 フジテレビ)
- あの夏に抱かれたい(1989年、日本テレビ系列)
- HOTEL(TBS系列)
- 白い巨塔(1990年 テレビ朝日系列)
- 誘惑(1990年、TBS系列)
- お兄ちゃんの選択(1994年 TBS)
- 結婚しないかもしれない症候群(1991年 フジテレビ系列)
- あすか(1999年-2000年 NHK朝の連続テレビ小説)
- アイ'ム ホーム(2004年 NHK総合テレビ)
- 赤い運命(2005年 TBS系列)
[編集] ラジオ
[編集] コマーシャル
[編集] 賞歴
- 日本文芸大賞女流文学賞受賞
- 日本アカデミー賞優秀助演女優賞受賞
- ウーマン オブ ザ イヤー ハーレクインロマンス賞受賞
- エランドール新人賞
- 第1回日本ジュエリーベストドレッサー賞20代部門