萬屋錦之介
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萬屋錦之介(よろずや・きんのすけ, 1932年11月20日 - 1997年3月10日)は、日本の俳優。歌手。東映俳優労働組合委員長。映画・舞台制作プロダクション「中村プロダクション」社長。本名は小川錦一(おがわ・きんいち)。
歌舞伎俳優から映画・テレビの時代劇俳優に転じて成功。若い頃の芸名は中村錦之助(なかむら・きんのすけ)といい、新しい芸名の「萬屋」は1971年に制定した小川家の屋号から採った。父は三世中村時蔵であり、俳優の中村賀津雄(現・中村嘉葎雄)は弟、同じく俳優の中村獅童 (2代目)は甥にあたる。女優の有馬稲子、淡路恵子は元妻。
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[編集] 略歴
初名は中村錦之助。吉右衛門劇団立女形を父に持つ歌舞伎役者の御曹司で、むろん歌舞伎に出演し、歌舞伎修行を積んでいた。女形・立役(男役)ともに務めたが、女形としての評価が高かった。美空ひばり(のプロダクション新芸術プロ)から映画界にスカウトされた。それが報じられると、同業の俳優から、「映画転出は許さない」と抗議が殺到した。父三世時蔵をして「中途半端はいけない。映画界に行くなら歌舞伎を辞めて行きなさい」と言わせるほど激しいものであった。そして歌舞伎を断念、東京歌舞伎座早朝若手興行の「学生歌舞伎」で「菊畑」(虎蔵実ハ牛若丸)を歌舞伎卒業公演として梨園に見切りをつけた(これは正解で、そもそも四男であったため、将来にわたり主役になれないことが初めからほぼ確定していた。さらに、その後、父自身も立女形の座を一族外のものに取られてしまい、居場所を失い劇団を辞めている。父でさえそのような有様なのだから、三世時蔵の子息で歌舞伎に残った者(錦之介の兄達)はその後いずれも大変な苦労をした。すぐ上の三兄は早くに廃業し転業しているが、次兄四世中村時蔵は睡眠薬事故で早世(自殺説もある)、長兄小川貴智雄は病気のため俳優を廃業)。
なお、歌舞伎もやりながら映画もやるというのを許さないというのは、映画で人気を得て歌舞伎の序列をかき乱すことは許さない、という同業者の妬みによるものでしかなかった。しかもスカウトしてきたのがこの時既に大スターであった美空ひばりであった事が事態に拍車を掛けたと言われる。その証拠に、錦之助は映画で名をなしてから父三世時蔵を映画界に呼び寄せ、数本の映画に出演させたが、その際に父は特に歌舞伎をやめる必要はなかったのである。
美空ひばりとの共演作(新芸術プロ作品「ひよどり草紙」)で映画デビューの後、新東宝を経て東映に移籍。同社製作の映画『笛吹童子』に出演し、これの大ヒットにより一躍スターの座を手に入れた。以後、大川橋蔵や東千代之介らと共に東映時代劇映画の看板スターとなり、日本映画界の全盛期を支えた大スターの一員となった。長谷川伸の股旅物「瞼の母」、「関の弥太っぺ」も評価が高い。その明るく気さくで豪快な性格から俳優仲間や裏方のスタッフ達、ファンから高い人気を得、多くの人たちから「錦兄ィ」(きんにい)「錦ちゃん」と慕われ、親しまれた。
レコード歌手としてもデビューし、「やくざ若衆」「いろは小唄」などの曲をリリースしている。
昭和30年代後半、テレビに人気を奪われ、映画産業が徐々に斜陽化の様相を呈するようになった頃から、時代を読むのに長けていた錦之助はテレビドラマへの進出を図り、1966年には東映内部の労働争議に巻き込まれた(東映俳優労働組合の委員長に就任したが、収められなかった)こともあって東映を退社。1968年に「中村プロダクション」を設立し、本格的にテレビ時代劇の世界に進出し、高い評価を得る。この頃の出演ドラマとして、「子連れ狼 (萬屋錦之介版)」や「破れ傘刀舟悪人狩り」、「破れ奉行」、「長崎犯科帳」、「破れ新九郎」等がある。
1956年の小川家による地方巡業「お祭り」「仮名手本忠臣蔵 八段目道行旅路の嫁入」で舞台にも復帰。毎年6月に東京・歌舞伎座で定期興行を打っていた。なお、東映所属でありながら、東映歌舞伎へは出演せず、一回も上がったことはない。(地方ではない)東京での舞台は(1960年の明治座を除いて)いずれも松竹の興行であった。歌舞伎座での興行でありながら、錦之助の演目はほとんどが歌舞伎ではない新作時代劇であった。そして、歌舞伎であっても全てが明治以降に作られたいわゆる「新歌舞伎」であった。本人も古典・伝統歌舞伎をやるつもりはなく、「(重の井)子別れなんてできねェよ」と言っていた。
映画界入りして以降の、舞台で演じた歌舞伎演目は次のとおり。
- 「新歌舞伎十八番の内 紅葉狩」(1971)
- 真山青果「元禄忠臣蔵 御浜御殿綱豊卿」(1972)
- 真山青果「頼朝の死」(1973,1982)
- 真山青果「新門辰五郎」(1976)
- 岡本綺堂「番町皿屋敷」(1974)
- 河竹黙阿弥「極付幡随長兵衛」(1980,1994)
- 「お祭り」(1956年地方巡業)
- 「仮名手本忠臣蔵 八段目道行旅路の嫁入」(1956年地方巡業、1994)。
※ 復帰狂言「お祭り」は「待ってました!」「待っていたとはありがてえ」という、復帰にからめたお馴染みのもの。「極付幡随長兵衛」は明治に作られた戯曲であるが、河竹黙阿弥作であるために例外的に「新歌舞伎」とは呼ばない。「道行旅路の嫁入」は古典歌舞伎だが舞踊劇であり、本人は“ごちそう”“もうけ役”として一瞬登場するだけである。
なお、歌手として「錦ちゃん祭り」というライブ・イベントを各地で開催している。
1971年10月、歌舞伎座での「三世時蔵十三回忌追善興行」で小川家で一門をなすことを宣言し、家の屋号を「萬屋」に、定紋を桐蝶に改めた。
翌1972年に自身の芸名も中村錦之助から「萬屋錦之介」と改めた。この際、名を占い(姓名判断)により「錦之助」を「錦之介」と変えている。
芸能人としては大成功を収めたが、私生活では、三度の結婚と二度の離婚、中村プロダクションの倒産、自身の大病(重症筋無力症)による一年半余りに及ぶ闘病、息子の急死等、さまざまな災難に巻き込まれた。
1996年、長年の芸能活動を文化庁から表彰されるも、中咽頭癌に罹患し、1997年に没した。
[編集] 人物
萬屋は、生前の彼を知る人の話を総合すると、相当な凝り性だったようである。
子連れ狼で、拝一刀を演じたときには、胴太貫の使い手である一刀に影響されてか、胴田貫一門の刀コレクションを始め、多い時にはその数が数百本に達したという。また、占いにも凝っていたらしく、ウルトラセブンで知られる森次浩司が森次晃嗣に改名したのも、占い好きの彼の助言によるという。また、自身も方位学に凝り、ひどい時には、方角が悪いといって、方違えのために家に帰らず、ホテルに泊まることもしばしばであったという。その結果、宝塚歌劇団出身で退団後女優活動をしていた甲にしきと不倫関係となり、当時の妻淡路恵子と離婚。甲と再々婚することとなった。
また、溺愛する息子達が子供だった頃「仮面ライダー」の大ファンであり、「父ちゃんは偉い役者だって言うけど、仮面ライダーに出てないじゃないか!」と言われ、「仮面ライダー」出演を本気で東映にオファーしたことがある。東映のスタッフ達はさすがに絶句。当時はこういった大御所の俳優が特撮番組に出演することはあまり前例がなかったため、出演は叶わなかったが、息子達のために、地獄大使を演じていた友人の俳優・潮健児に頼んで、その衣装で潮に家に来てもらったことがあるという。
元プロ野球選手の王貞治(現・ソフトバンク監督)とは自宅が近所ということから、家族ぐるみの付き合いをしていた。
プロ野球阪神タイガースのファンでもあり、阪神の選手とも家族ぐるみの付き合いをしていた。
[編集] 萬屋
萬屋は1971年に新しく制定した小川家の屋号である。もともとは、小川かめ(嘉女)の生家「小川吉右衛門」家(屋号「萬屋」)にちなんだものである。小川吉右衛門家は、「萬屋」という屋号で代々市村座の芝居茶屋をしていた。つまり歌舞伎の関係者であった。小川吉右衛門の娘であるかめは、三代目中村歌六の妻であり、初代中村吉右衛門(波野家を継ぐ)、三代目時蔵(小川家を継ぐ)の母であり、錦之介ら小川家5兄弟の祖母である。次男三代目時蔵のみあえて母の実家の姓を名乗った。三代目時蔵はそればかりでなく、小川家ごと「播磨屋」を脱して単独で屋号「萬屋」を名乗りたい意向を持っていたが、自身は果たせなかった。錦之助ら遺児たちが1971年に「萬屋」を名乗ったのは、両家がもはや一門をなさないという主張であり、吉右衛門家への対抗意識による。
「萬屋」はそもそも中村吉右衛門家・小川家共通のルーツである。このことは中村吉右衛門家も強く意識していた。二代目中村吉右衛門は初名を中村萬之助と名乗った。また吉右衛門の弟子筋にも「萬(万)」の字をつけさせた(中村万之丞など)。しかし、小川家が「萬屋」となった後は、中村吉右衛門家は「萬」の字を使わないようになったのである(例:中村万之丞は中村吉之丞と改めた)。
[編集] 女形役者初代中村錦之助
生前、母小川ひなから、再三「五代目中村時蔵」を襲名するように懇願されたが、本人は拒否した。この名は本名の「錦一」に由来するもので、過去での歌舞伎に由来を持たない、まったく本人独自のものである。もちろん初代である。二代目中村錦之助はこの名を「歌舞伎では大したことのない名前」と言っている。中村錦之助という名は歌舞伎界においてはこのように軽いものである。この名を歌舞伎・映画俳優時代を通じて名乗り続け、1972年に萬屋錦之介と改名した。
彼の息子は、歌舞伎界には入らず、映画界に入ったものの大成しなかった。
であればこの名は他人が名乗るしかない。しかし、この名は歌舞伎から映画界に転じて、しかも松竹の手を離れて他社の映画に転じて大成した名である。それゆえに、歌舞伎を牛耳る松竹がタッチしたがらない名前、いわば永久欠番的な存在である、と長らく言われ続けていた。歌舞伎における軽い位置づけと裏腹に、この名の存在感が映画界であまりに重すぎるのもそういわれてきた原因のひとつである。
しかし、2007年4月2日、東京歌舞伎座の大歌舞伎興行で、親戚(錦之介の甥(四代目中村時蔵の次男))である中村信二郎が、『鬼一法眼三略巻・菊畑』の虎蔵実は牛若丸役と『双蝶々曲輪日記・角力場(すもうば)』の長吉、与五郎役で中村錦之助を襲名した。「菊畑」の虎蔵実は牛若丸は初代が歌舞伎時代に最後に演じた役であり、ゆかりがある。
二代目中村錦之助は「(映画界において大成した)中村錦之助という名を歌舞伎に戻すのが私の役割」と言っている。これは異例の試みである。二代目にとってみても悪い話ではない。萬屋は新興の一門であるにもかかわらず、子沢山で俳優数が多かったことから、「錦之助」以外の良い名前はすべて使用されていたのである。この月は人気役者が顔を揃えた座組だが、成績は悪く、一階席を売るだけで精魂尽きたらしく、二階・三階Aは半分が空席という惨憺たるありさまである(三階Bは新聞社に無料招待券としてばら撒いた)。今後二代目錦之助の責任興行は歌舞伎座では組まれないだろう。
なお、これとは別に「中村錦之介」を名乗る萬屋の形態模写を行う物真似タレントが1980年代初頭に存在した。ただし、このタレントについては、萬屋サイドからクレームがついたか、それとも単に物真似芸としてのセンスの無さや時勢的な問題で売れなかったかは定かではないが(折しも漫才ブームの頃であり、圧倒的な人気を集める漫才芸人に押される格好で物真似芸人の活躍の幅が狭まっていた時期である)、当時のメディアへの露出もほとんどないまま極めて短期間の内に表舞台から姿を消している為、現代における知名度は全く無いと言える(もっとも、これはプロの芸人ではなく、いわゆる天狗連の類がたまたまテレビに出演しただけという可能性も考えられる)。
[編集] 全出演作リスト
- 協力 中村健太
[編集] 映画
- 1954.02.10 ひよどり草紙 / 制作:新芸術プロ
- 1954.03.24 花吹雪御存じ七人男 / 制作:新東宝
- 1954.04.27 新諸国物語 笛吹童子 第一部どくろの旗 / 制作:東映京都 役名:菊丸
- 1954.05.03 唄しぐれ おしどり若衆 / 制作:東映京都
- 1954.05.03 新諸国物語 笛吹童子 第二部幼術の闘争 / 制作:東映京都 役名:菊丸
- 1954.05.10 新諸国物語 笛吹童子 第三部満月城の凱歌 / 制作:東映京都 役名:菊丸
- 1954.05.31 里見八犬伝 第一部 妖刀村雨丸 / 制作:東映京都
- 1954.06.08 里見八犬伝 第二部 芳流閣の龍虎 / 制作:東映京都
- 1954.06.15 里見八犬伝 第三部 怪猫乱舞 / 制作:東映京都
- 1954.06.22 里見八犬伝 第四部 血盟八剣士 / 制作:東映京都
- 1954.06.29 里見八犬伝 完結篇 暁の勝鬨 / 制作:東映京都
- 1954.08.01 唄ごよみいろは若衆 / 制作:東映京都 役名:稲葉弥之助
- 1954.09.07 八百屋お七 ふり袖月夜 / 制作:東映京都
- 1954.09.21 お坊主天狗 前篇 / 制作:東映京都
- 1954.10.12 お坊主天狗 後篇 / 制作:東映京都
- 1954.11.08 満月狸ばやし / 制作:東映京都 役名:豆太郎、絃之介
- 1954.11.22 新選組鬼隊長 / 制作:東映京都
- 1954.12.27 新諸国物語 紅孔雀 第一篇 / 制作:東映京都
- 1955.01.03 新諸国物語 紅孔雀 第二篇 呪いの魔笛 / 制作:東映京都
- 1955.01.09 新諸国物語 紅孔雀 第三篇 月の白骨城 / 制作:東映京都
- 1955.01.15 勢ぞろい喧嘩若衆 / 制作:東映京都
- 1955.01.15 新諸国物語 紅孔雀 第四篇 剣盲浮寝丸 / 制作:東映京都
- 1955.01.21 新諸国物語 紅孔雀 完結篇 廃墟の秘宝 / 制作:東映京都
- 1955.02.13 越後獅子祭 やくざ若衆 / 制作:東映京都
- 1955.04.19 青春航路 海の若人 / 制作:東映東京 役名:山里英一郎
- 1955.05.24 あばれ纏千両肌 / 制作:東映京都
- 1955.07.30 源義経 / 制作:東映京都
- 1955.09.20 紅顔の若武者 織田信長 / 制作:東映京都
- 1955.10.09 獅子丸一平 / 制作:東映京都
- 1955.10.17 続獅子丸一平 / 制作:東映京都
- 1955.11.22 あばれ振袖 / 制作:東映京都
- 1956.01.03 羅生門の妖鬼 / 制作:東映京都 役名:平三郎敦時、小百合、茨木、僧智籌
- 1956.01.15 晴姿一番纏 / 制作:東映京都
- 1956.01.15 赤穂浪士 天の巻 地の巻 / 制作:東映京都 役名:小山田庄左衛門
- 1956.02.11 獅子丸一平 第三部 / 制作:東映京都
- 1956.03.15 続源義経 / 制作:東映京都
- 1956.04.19 悲恋 おかる勘平 / 制作:東映京都
- 1956.04.25 異国物語 ヒマラヤの魔王 / 制作:東映京都
- 1956.05.03 異国物語 ヒマラヤの魔王 双竜篇 / 制作:東映京都
- 1956.05.11 異国物語 ヒマラヤの魔王 日月篇 / 制作:東映京都
- 1956.07.05 「薄雪太夫」より 怪談 千鳥ケ淵 / 制作:東映京都 役名:美之助
- 1956.08.08 青年安兵衛 紅だすき素浪人 / 制作:東映京都
- 1956.10.09 危し!獅子丸一平 / 制作:東映京都
- 1956.10.17 曽我兄弟 富士の夜襲 / 制作:東映京都
- 1956.10.24 獅子丸一平 完結篇 / 制作:東映京都
- 1956.12.26 新諸国物語 七つの誓い 黒水仙の巻 / 制作:東映京都
- 1957.01.03 新諸国物語 七つの誓い 奴隷船の巻 / 制作:東映京都
- 1957.01.03 任侠清水港 / 制作:東映京都
- 1957.01.09 新諸国物語 七つの誓い 凱旋歌の巻 / 制作:東映京都
- 1957.02.12 青雲の鬼 / 制作:東映京都
- 1957.03.20 雨の花笠 / 制作:東映京都
- 1957.04.16 源氏九郎颯爽記 濡れ髪二刀流 / 制作:東映京都 役名:源氏九郎
- 1957.04.30 隼人族の叛乱 / 制作:東映京都 役名:桂原主税介
- 1957.07.13 大菩薩峠 / 制作:東映京都 役名:宇津木兵馬
- 1957.08.11 水戸黄門 / 制作:東映京都 役名:宇之吉
- 1957.09.15 ゆうれい船 怒濤篇 / 制作:東映京都
- 1957.09.23 ゆうれい船 後篇 / 制作:東映京都
- 1957.11.10 恋風道中 / 制作:東映京都
- 1958.01.03 任侠東海道 / 制作:東映京都 役名:桶屋の鬼吉
- 1958.01.15 おしどり駕籠 / 制作:東映京都
- 1958.02.05 江戸の名物男 一心太助 / 制作:東映京都
- 1958.03.11 源氏九郎颯爽記 白狐二刀流 / 制作:東映京都 役名:源氏九郎
- 1958.04.15 風と女と旅鴉 / 制作:東映京都 役名:風間の銀次
- 1958.04.21 大菩薩峠 第二部 / 制作:東映京都 役名:宇津木兵馬
- 1958.06.29 清水港の名物男 遠州森の石松 / 制作:東映京都
- 1958.07.13 殿さま弥次喜多 怪談道中 / 制作:東映京都 役名:徳川宗長
- 1958.08.12 旗本退屈男 / 制作:東映京都 役名:揚羽の蝶次
- 1958.09.03 剣は知っていた 紅顔無双流 / 制作:東映京都
- 1958.10.01 隠密七生記 / 制作:東映京都
- 1958.10.22 一心太助 天下の一大事 / 制作:東映京都 役名:一心太助、徳川家光
- 1958.12.02 浅間の暴れん坊 / 制作:東映京都
- 1959.01.03 殿さま弥次喜多 捕物道中 / 制作:東映京都
- 1959.01.15 忠臣蔵 桜花の巻 菊花の巻 / 制作:東映京都 役名:浅野内匠頭
- 1959.02.24 美男城 / 制作:東映京都
- 1959.04.01 お役者文七捕物暦 蜘蛛の巣屋敷 / 制作:東映京都 役名:お役者文七
- 1959.04.28 大菩薩峠 完結篇 / 制作:東映京都 役名:宇津木兵馬
- 1959.05.25 独眼竜政宗 / 制作:東映京都
- 1959.07.12 水戸黄門 天下の副将軍 / 制作:東映京都
- 1959.08.09 血闘水滸伝 怒濤の対決 / 制作:東映京都
- 1959.09.13 浪花の恋の物語 / 制作:東映京都
- 1959.10.25 風雲児 織田信長 / 制作:東映京都
- 1959.11.29 一心太助 男の中の男一匹 / 制作:東映京都
- 1960.01.03 任侠中仙道 / 制作:東映京都
- 1960.01.15 殿さま弥次喜多 / 制作:東映京都
- 1960.02.23 弥太郎笠 / 制作:東映京都
- 1960.06.05 暴れん坊兄弟 / 制作:東映京都
- 1960.06.21 親鸞 / 制作:東映京都
- 1960.08.07 水戸黄門 / 制作:東映京都 役名:放駒の四郎吉
- 1960.09.27 続親鸞 / 制作:東映京都
- 1960.11.22 森の石松鬼より怖い / 制作:東映京都
- 1960.12.27 若き日の次郎長 東海の顔役 / 制作:東映京都
- 1961.01.03 家光と彦左と一心太助 / 制作:東映京都
- 1961.03.12 江戸っ子奉行 天下を斬る男 / 制作:東映京都
- 1961.03.28 赤穂浪士 / 制作:東映京都 役名:脇坂淡路守
- 1961.05.27 宮本武蔵 / 制作:東映京都 役名:新免武蔵
- 1961.06.21 若き日の次郎長 東海一の若親分 / 制作:東映京都
- 1961.08.26 江戸っ子繁昌記 / 制作:東映京都
- 1961.11.08 反逆児 / 制作:東映京都 役名:三郎信康
- 1962.01.03 若き日の次郎長 東海道のつむじ風 / 制作:東映京都
- 1962.01.14 瞼の母 / 制作:東映京都 役名:番場の忠太郎
- 1962.03.07 源氏九郎颯爽記 秘剣揚羽の蝶 / 制作:東映京都 役名:源氏九郎 初音の鼓
- 1962.03.25 千姫と秀頼 / 制作:東映京都
- 1962.06.10 ちいさこべ 第一部 / 制作:東映京都 役名:大留の茂次
- 1962.06.10 ちいさこべ 第二部 / 制作:東映京都 役名:大留の茂次
- 1962.09.22 次郎長と小天狗 殴り込み甲州路 / 制作:東映京都
- 1962.11.17 宮本武蔵 般若坂の決斗 / 制作:東映京都 役名:宮本武蔵
- 1963.01.03 勢揃い東海道 / 制作:東映京都
- 1963.01.15 一心太助 男一匹道中記 / 制作:東映京都
- 1963.04.28 武士道残酷物語 / ベルリン国際映画祭グランプリ(金熊賞)受賞作品。制作:東映京都
- 1963.06.02 真田風雲録 / 制作:東映京都 役名:はなれ猿の佐助
- 1963.08.14 宮本武蔵 二刀流開眼 / 制作:東映京都 役名:宮本武蔵
- 1963.11.20 関の弥太ッぺ / 制作:東映京都 役名:関の弥太郎
- 1964.01.01 宮本武蔵 一乗寺の決斗 / 制作:東映京都 役名:宮本武蔵
- 1964.06.27 鮫 / 制作:東映京都
- 1964.08.13 日本侠客伝 / 制作:東映京都
- 1964.11.01 仇討 / 制作:東映京都
- 1965.01.03 徳川家康 / 制作:東映京都 役名:織田信長
- 1965.04.10 冷飯とおさんとちゃん / 制作:東映京都 役名:柴山大四郎、参太(大工)、重吉(火鉢職人)
- 1965.05.22 股旅三人やくざ / 制作:東映京都
- 1965.09.04 宮本武蔵 巌流島の決斗 / 制作:東映京都 役名:宮本武蔵
- 1965.11.20 花と龍 / 制作:東映京都 役名:玉井金五郎
- 1966.01.13 続花と龍 洞海湾の決斗 / 制作:東映京都 役名:玉井金五郎
- 1966.04.01 沓掛時次郎 遊侠一匹 / 制作:東映京都 役名:沓掛時次郎
- 1966.05.21 丹下左膳 飛燕居合斬り / 制作:東映京都
- 1968.11.23 祇園祭 / 制作:日本映画復興協会 役名:新吉(染物職人)
- 1969.03.01 風林火山 / 原作:井上靖。制作:三船プロ 役名:武田信玄
- 1969.05.01 御用金 / 制作:フジテレビジョン=東京映画
- 1969.09.13 尻啖え孫市 / 制作:大映京都 役名:雑賀孫市
- 1969.09.20 地獄変 / 制作:東宝
- 1969.12.05 新選組 / 制作:三船プロ 役名:有馬勝太
- 1970.02.14 幕末 / 制作:中村プロ 役名:坂本竜馬
- 1970.03.21 待ち伏せ / 制作:三船プロ 役名:伊吹兵馬
- 1970.10.17 商魂一代 天下の暴れん坊 / 制作:東宝
- 1971.02.20 真剣勝負 / 制作:東宝 役名:宮本武蔵
- 1971.05.22 暁の挑戦 / 制作:フジテレビジョン=新国劇映画
- 1978.01.21 柳生一族の陰謀 / 制作:東映京都=東映太奏映画村 役名:柳生但馬守宗矩
- 1978.10.28 赤穂城断絶 / 制作:東映京都=東映太奏映画村 役名:大石内蔵助
- 1979.03.10 日蓮 / 制作:永田プロ
- 1979.09.01 真田幸村の謀略 / 制作:東映京都
- 1980.05.24 徳川一族の崩壊 / 制作:東映京都 役名:松平容保
- 1981.04.11 ちゃんばらグラフィティー 斬る! / (※過去のさまざまな東映時代劇映画の総集編)。制作:東映京都
- 1981.04.11 仕掛人梅安 / 制作:東映=東映太奏映画村
- 1985.11.16 最後の博徒 / 制作:東映京都 役名:清島春信
- 1989.10.07 千利休 本覺坊遺文 / ヴェネチア国際映画祭サン・マルコ銀獅子賞受賞作品。制作:西友 役名:織田有楽斎
[編集] テレビドラマ
- 春の坂道(大河ドラマ) (1971年 NHK)
- さすらいの狼 (1972年 NET)
- 子連れ狼 (1973年 - 1976年 NTV) (拝一刀 役)
- 破れ傘刀舟悪人狩り (1974年 - 1977年 NET) (叶刀舟 役)
- 長崎犯科帳 (1975年 NTV) (平松忠四郎 役)
- 破れ奉行 (1977年 ANB) (速水右近 役)
- 破れ新九郎 (1978年 - 1979年 ANB) (新九郎 役)
- 赤穂浪士 (1979年 ANB)
- 鬼平犯科帳 (1980年 - 1982年 ANB) (長谷川平蔵 役)
- それからの武蔵 (1981年 TX) (宮本武蔵 役)
- 竜馬がゆく (1982年 TX) (坂本竜馬 役)
- 柳生新陰流 (1982年 TX) (柳生宗矩 役)
- 武蔵坊弁慶 (NHK新大型時代劇 1986年 NHK) (藤原秀衡 役)
- ばら色の人生(1987年 NHK)
- 銭形平次 (1987年 NTV) (笹野弥三郎 役)
- 花の乱(大河ドラマ) (1994年 NHK) (山名宗全 役)