西川のりお
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西川のりお(にしかわ のりお、本名:北村紀夫 - きたむら のりお、1951年5月12日 - )は、吉本興業に所属する日本の漫才師である。奈良県吉野郡川上村生まれの大阪府大阪市都島区育ち。血液型はA型。茨城県坂東市のねぎ大使でもある。
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[編集] 来歴
大阪市立桜宮中学校、大阪工業大学高等学校卒業。高校卒業前に西川きよしに入門。高校時代は応援団員として活躍し、大きな独特のだみ声はその時から磨いていた。
- 師匠は西川きよしであるが、入門に関する経緯はどういう訳か諸説ある。一説には西川きよしとは実質兄弟分であったとも言われているが、現在でもきよしやその家族には、異常なほど気を遣った行動を見せる。また、当初は松竹芸能に所属する売れない若手芸人だったという説もある。
1970年、「横中バック・ケース」のバックとしてデビュー。その後、淀公一として北京二とコンビを結成。
1975年1月、元B&Bの上方よしお(当時の芸名は上方慎一)と「西川のりお・上方よしお」結成。横山やすし・西川きよし、ザ・ぼんち、島田紳助・松本竜助(当時:松本竜介)らとともに1980年代前半の漫才ブームの地位を築いた。(ちなみに、「松本竜介」と言う名前は自分(のりお)が考えたと2006年4月2日の竜助の通夜の席で話す。)
- その後『オレたちひょうきん族』にレギュラー出演し、ぼんちおさむと共に独特の暴走キャラでひょうきん族になくてはならない存在となる。主に「ツッタカ坊や」「つくつくほーし」「西川のりおとフラワーダンシングチーム(コント赤信号とヒップアップのメンバーと共に。後に彼らによるオリジナルソングまで作られた(フラワールームより愛を込めて))」「オバQ(テレビゲームのりおとにらめっこ)」などが代表的なギャグ。ひょうきんベストテン(ザ・ベストテンのパロディ)では沢田研二役を演じることが多かった。
2004年6月27日に全国有数のねぎの産地でもある茨城県坂東市(当時の岩井市)からねぎ大使に任命される。
2005年1月24日、吉本の後輩で新聞詠み(しんもんよみ)河内音頭家元の河内家菊水丸と共に、東京・渋谷のNHK放送センター前の路上でゲリラライブを行い、海老沢勝二NHK会長(当時)を痛烈に批判する『怒りの河内音頭』を披露した。
2006年4月1日に漫才ブームを支えた仲間の松本竜助が49歳の若さで急逝。竜助の突然の訃報に、のりおの悲嘆は大きかった。3日後の4月3日に大阪市北区内で行われた竜助の葬儀で、出棺の際「竜助!!これがおまえの最後の舞台やで!!おまえのためにいっぱい(弔問に)来てはるで!!」と涙ながらに絶叫した。
[編集] 人物
- 若い頃は場の空気をうまく読めずに自滅してしまうことが多く、芸人仲間やファンを泣かせた。横山やすしがそうであったように、芸人としてのキャラクターがそのまま本人の性格と誤解されがちだが、ラジオレギュラー番組『MBSヤングタウン』の相談コーナー(「のりおの人生大船任せなさい!」)などでみせる人柄に魅かれたファンは多い。
- 近年のダチョウ倶楽部の上島竜兵やカンニングの竹山隆範、インパルスの堤下敦、青木さやからがやるキレ芸の元祖的存在でもある。「キレる」という言葉自体が、のりおの芸風(脳の血管が切れたかのように、突然言動が一変する)から生まれた言葉だとする説もある。時として傍若無人な振る舞いをする暴走キャラでいながらも、周囲には異様に気を使う小心さがギャップとなって面白さを醸しだしている。
- 『オレたちひょうきん族』では、彼のキレ芸がエスカレートし過ぎて収録中にしばしば局部を露出していたが、当時のフライデーにその写真が掲載されて、以降はそのような行為を控えるようになった。その反面「俺はこんな形でしか笑いが取れないのか」と情けなさと悔しさで涙を流したこともあったらしい。
- 若手に説教することが多く、売れている後輩芸人には影で苦言を呈すが、その芸人の冠番組にゲスト出演した際にはそれを出さずに普通に接している。芸人とはかくあるべき、のような理想論をかかげていて、テレビにしか出ない芸人はあかん、舞台に出ないかん、でないと絶対に潰れる等と言うが、確たる根拠は示されていない。しかし、「テレビにしか出ない芸人」の多くは舞台では力を抑えた芸しか披露できないことも多いことが昭和40年代あたりから指摘があり、この点ではのりおは意外にも伝統的な様式を踏襲している。『EXテレビ大阪』の企画『弟子志願公開審査』でも、いつもののりおと違い非常に厳しい眼で志願者に辛口のコメントを送っている(「僕に就いた所でね、教えられることはそないあらへんで」)ことにも、説得力は一応ある。
- 漫才に対する辛辣な意見は、かつて御意見番として出演していた『オールザッツ漫才』で披露され、当時司会だった今田耕司・東野幸治の巧みな誘導と会場の芸人によるのりおコールの煽りでみせるキレ芸と合わせて番組に欠かせない存在であった。余談だが、『めちゃイケ』などで行われるのりおコールはこの番組のパロディである。
- 声優としても、テレビアニメ『じゃりン子チエ』の竹本テツの声で知られている。ティム・バートン監督のホラー・コメディ「ビートルジュース」の主人公ビートルジュースの吹き替えも担当しているが、俳優の動きと、のりおの畳み掛けるような関西弁でまくしたてるセリフとが全く合っておらず、吹き替えで見るとストーリーがほとんど把握できないということになった。またエッセイストとして、亡き父と母の思いを綴った『オトンとオカン』を、また、門下時代の思い出を綴った『付き人』を執筆。
- よくケチと言われるが、お金を全く使いたがらないのではなく、無駄金を使いたがらないタイプと言える(「後輩を喫茶店に誘ってコーヒーを奢るのではなく、缶コーヒーをみんなに奢れば1人120円で済む」と、あるテレビ番組で本人が語っていた)。これには幼少期に経験した困窮が影響している。
- 西川きよしの参議院議員引退前後、日刊スポーツなどのスポーツ新聞で「後継者として出馬したい」と発言していた。但し、「すぐではなく、6年以上じっくり政治の勉強をしてから」ということで、出馬は2010年以降ということになる。しかし現在のところ、のりお自身による政治に関するコメントは余り聞かれない。
- めちゃイケの「笑わず嫌い王」では出演した際、あまりのハイテンション振りと物や道具の壊し様に岡村から「下げろ!」と言われてしまった。
[編集] エピソード
- 中学時代、一目ぼれした同級生の女の子に手紙を出したが「もう手紙出さんといて! 私は(北村君の事は)何とも思ってへん! 恥ずかしいねん!」と逆に手紙が届き、振られている(『いつみても波乱万丈』出演時に明かされた。)。
- 門下時代、厳しい修行生活(当時は、横山やすしの付き人も兼ねていた)に耐え抜いたものの、当時交際していたガールフレンドとも疎遠になり、きよしの自宅での住み込み生活に限界を感じ、きよしに「家に帰らせてください!」と失言した事が原因で一度破門された。しかし、両親がきよしに必死で謝罪し破門は解かれた。もし、両親の謝罪がなかったら、芸人として活躍が出来なかったはずである(『いつみても波乱万丈』出演時に明かされた。)。
- バブル期には不動産などサイドビジネスにも懸命で、『のりおのゼニはこう貯めるんや!―1千万はすぐ手にできる』という本を出版するほどの勢いだったが、その4年後には『オレの銭かえせ!!―バブル崩壊西川のりお大爆発』という本を出版している。
[編集] ギャグ
- オーメン!
- ホーホケキョ!
- ツクツクボーシ!
- パッ!天下ご免の向こう傷、パッ!拙者早乙女、パッ!主水之介!!
- ばかぁ。(フラワーダンサーズの中央で)
- ツッタカター!(ツッタカ坊や)
- ラッタッター!
- 奥さん、1度使ってみませんか?
- 奥さん、見なはれ見なはれ
- 奥さん、ええ仕事しまっせ
- のりおちゃん、ポーン!
- 冗談は よせっ!
- 大きなお世話やー!
- とてもとても
- まかせなさい!
- ビックリ、クリ、クリ、クリッ、クリー
- 元々、後輩芸人浜根隆の持ちネタ。『ライオンのごきげんよう』に出演した際、唐突に使用。のりおの目論見ではスタジオは引いてしまう筈で、そこで「面白くないでしょ、これ吉本の浜根って芸人のギャグなんですわ」と言って話を膨らますつもりであった。が、司会の小堺一機が大ウケ、すかさず「のりおさん、それ新しいギャグですか?」と畳み掛けられたため、引っ込みがつかなくなり思わず「はい」と答えてしまったもの。オンエア後、浜根に謝罪したところ「どんな形にせよ、自分のギャグが世に出るのは嬉しい」と使用を快諾してくれたので、しばらく継続して使用していた。ちなみに浜根も2002年、このギャグでCM出演を果たしている(チロル栗チョコ)。
[編集] 主な出演番組
- オレたちひょうきん族(フジテレビ系)
- オールスター感謝祭(TBS系)
- じゃりン子チエ (MBSテレビ、竹本テツの声優)
- MBSヤングタウン(MBSラジオ、日曜日)
- P-1ゴールドラッシュ(テレビ大阪 大阪地区ローカル ナレーター&ブレーン)
- 銀玉王(サンテレビ 神戸地区ローカル 準レギュラー&ブレーン)
- 銀玉王~リーチボーイズが行く(tvk、テレ玉、チバテレビ 準レギュラー&ブレーン)
- さてはトコトン菊水丸(MBSラジオ、金曜月1回ゲスト)
- 西川のりおのノリノリ天国(サンテレビほか)
- 西川のりおのタングショー(CBCラジオ)
[編集] CM
- 大日本除虫菊 蚊取りマット、どんと、サッサ
- 大川商店 田舎こんにゃく
- ニッポン食品
[編集] 主な著書
- オカン(第20回読売ヒューマンドキュメンタリー大賞優秀賞、第29回秋田実賞を受賞したエッセイ)
- オトンとオカン