ルー大柴
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ルー 大柴(るー おおしば、本名:大柴 亨(おおしば とおる)、1954年1月14日 - )は、東京都新宿区富久町出身のタレント、俳優。血液型はA型。 立教高等学校(現立教新座高等学校)卒業。浅井企画所属。自称「職業は旅人」。愛車は2代目トヨタ・プリウス。二人の息子がいる。
「ルー」と言う芸名は名前の「とおる」から取ったもの。
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[編集] 略歴・逸話
高校卒業後、ヨーロッパなど各地を露天で自作のアクセサリーを販売しながら(後述する印刷業を勤める親類の援助もあったそうである)数年間放浪。これを機に英会話が特技となる(しかしデビュー後のトークで使う英語は簡単なものばかりである。本当は流暢にしゃべることが出来るのだが、キャラクター確立のためあえてそうしないようである)。
帰国後、一旦は親戚の経営する印刷会社「亨有堂印刷所」に就職するものの即退職。俳優三橋達也の付き人、勝新太郎が主宰した「勝アカデミー」(同期に小堺一機がいる)を経て、ドラマ『俺たちの旅』で俳優としてデビューするが、鳴かず飛ばずで、司会業やモデルとして雌伏の時を過ごす。この時期関根勤とも知り合う。
折り込みチラシなどのモデル時代の事務所のパンフレットの"カジュアルなスタイルにウエストポーチをつけた格好"がコサキンのラジオ番組で話題となり、番組内で"ポシェット・ルー"として人気に火がつき、後に番組内でレギュラーとしてポエムコーナー「ルー大柴のパックインミュージック」が出来るまでになった。
1989年、関根勤主宰の劇団『カンコンキンシアター』の旗揚げに参加し、その独特のキャラクターが脚光を浴びる。カツラメーカー「アデランス」のCM『トゥギャザーしようぜ!!』のフレーズが有名。1992年、第29回ゴールデン・アロー賞芸能新人賞受賞。
またテレビ東京の『浅草橋ヤング洋品店』の司会、フジテレビ『森田一義アワー笑っていいとも!』や舞台『ハムレット』、NHK大河ドラマ『花の乱』などに出演。またタレントとしてのキャラクターとは裏腹な演技力を発揮する俳優としての側面も持ち、近年では舞台俳優としても多くの作品に参加している。
著書に『ルー大柴のLIFE IS ONCE』がある(新宿出身なのに、なぜか横浜・横須賀にこだわっている。現在は川崎市宮前区に在住)。
[編集] 人物
俳優を目指して研鑚を積んできただけあり、数々の舞台・テレビでは一般庶民も含めた様々なキャラクターを演じ、ミュージカルのタイトルロールもこなして見せるなど演技者としての力量はかなり高い。しかしルーと言えば、そのキャラクターを生かしたタレントとしての顔の方が有名である。
タレントとしてはくどくてアクと押しが強くやや空回りしたようなキャラクター、また不気味でうるさ過ぎる芸能人として認知されている。(本人は自分の芸風を「西川のりおをおしゃれにしたような芸風」と、あるテレビ番組で語っている)。しかし、小堺や関根が指摘するように、彼は決して気が強いわけではなく「虚勢をはる小心者」が裏に見え隠れしている(テレビに出演している時は絶えずモニターをチェックし、番組が終わった後にはスタッフに「今の良かっただろ?」と確認してしまう)。これらのアクの強さと、その裏に見え隠れする弱さこそがタレント・ルー大柴の魅力であろう。
タレントとしてはキャラクター作りとして「会話の中に簡単な英単語を入れる」(例Togetherしようぜ!・この間department storeで・Januaryで50歳になるんだよ!など)のが特徴。一方でラジオで共演した伊集院光に対して、それまで英単語を混ぜてしゃべっていたにも関わらず、別れ際に「さらば!」と日本語であいさつしたことを後で突っ込んでいた。また何故か関根勤の娘、関根麻里のことを「メァ~リ~」と呼ぶ。
前述のように演劇指向が強く、カンコンキンシアターでは後輩達に自身の事を「板長(いたちょう)」と呼ばせようとしている。業界でもそんな呼び名はないが、板=舞台の長として団員をまとめあげる、座長の直下のポストであるという自負から来た造語であると思われる。実際カンコンキンシアターでは年齢的にも俳優・芸能人としてのキャリアも座長関根に次ぐ年長者でもあり、舞台公演時にカーテンコールで座長を紹介できる唯一の人物でもある。(ちなみにルー本人が他の舞台で共演者に「板長」を使うことを強要してしまったが彼らには当然全く意味が通じなかった)
そんな訳で劇団内でも「板長として」面倒見がいい方なのだが押しつけがましいのが玉にキズで、稽古中(7月の暑い最中)にアイスや清涼飲料水などを差し入れするのはいいが減りが少ないと寂しそうな顔をするのが鬱陶しいと公演ラストのお白州コーナーで直訴された事がある。
[編集] 交友関係
ラッキィ池田、関根勤とは親友で、三人でカンコンキンシアターを形成。また勝アカデミーの同期である小堺一機も関根らと同様の盟友であり、『噂的達人(うわさのたつじん)』(小堺司会・関根ゲストの回でTVデビュー)・『コサキンルーの怒んないで聞いて』(TBS系列)などの番組を3人で担当。コサキンルーとしても活動した。いまでもコサキンのラジオ番組には年に数回出演しているほか、小堺の家に遊びに行っては小堺の所有するブランド物の服を勝手に持って行ったりしている。
また、意外に思われるがゆずの二人とも親交があり、ゆずがコンサートに招待したり、ルーが舞台の案内を送ったりするなどよい付き合いをしているそうだ。
石田純一とは生年月日、血液型が全く同じでよくネタにしている。
[編集] 余談
- ラジオ番組「コサキン無理矢理100%」でルーがモデル時代に撮影した腰にポシェットをつけて妙なポーズをとっている姿の写真が話題になり、彼がゲスト出演する運びとなる。そしてそのキャラクターが受け、1989年(昭和64年)1月、関根勤の達人ぶりを紹介するビデオの中にルー大柴がポシェット姿をしてゲスト出演。これが「ルー大柴」としての最初のTV出演である。
- ルーが浅井企画に入ってすぐ、スタッフが事務所の重鎮である萩本欽一にルーが入ったことを報告しようと思っていた頃のこと。たまたま萩本はルーが出ている番組を楽屋で見ていて、もう見たくない、という態度でテレビのスイッチを足で切ってしまった。これに「まずい」と思ったスタッフ、そしてコサキンの二人が間に入る形でルーを萩本に紹介したところ、ルーは「よお、欽ちゃーん」と抱きつき、萩本も周囲も唖然とさせた。これは、萩本は自分の芸風を好まないと知っていたルーが、知恵を絞っての行動だったらしい。事実、後に「あれは一種の賭けだった」と関根に語っている。
- しかしその一方で、萩本の相方・坂上二郎には好かれているらしい。「アメトーーク!」において関根が語ったところによると、とあるゴルフコンペでルーと坂上がペアになったとき、萩本の件もあったので心配した関根は、坂上に「ルーに気をつけて下さい」と伝えたが、コンペ終了後に「ルーはどうでした?」と尋ねたところ「いいね、好きになっちゃったよ」と坂上は上機嫌だったという。ちなみに関根は「俺が坂上さんに心開いてもらえるまでは、30年かかった」そうだ。
- テレビに出始めたころは、新聞見出しに「ノレー大柴」や「ルール大柴」「ルー大紫」と誤表記されたことがあった。また、初めて書いたサインに対しては、「ノレー大紫(のれーおおむらさき)さんですか?」と訊かれたという逸話もある。さらに、和田アキ子は、名前が思い出せずに、「ヘイ大久保」と言っていたことをテレビ番組『新型テレビ』(福岡放送制作・日本テレビ系)ならびに『アッコのいいかげんに1000回』(ニッポン放送)で告白している。
- これは和田がTBSの楽屋でテレビを見ていたとき、「大江戸を駈ける!」に出演していたルーを見て「こいつ誰やったかな?いつも『ヘイ!ヘイ!』言うてるし・・・」名前の前がカタカナで後ろが漢字のところまでは思い出したが、そのような名前を持つ人は和田と交流のあるデーブ大久保以外思いつかず、でも「こいつそんなに太ってないもんなぁ」と思い直し、それで出た言葉が「ヘイ大久保」)
- 最近でも『クイズ!ヘキサゴンII』の「日本列島クイズの旅」において、町人から「ルーキー大島」「ルーキー柴」「ルー大島」「大ルー柴」と答えられるなど、一般に芸名が浸透していないことをうかがわせている。
- ラッキィ池田が離婚問題で悩んでいたときに心配し『浅草橋ヤング洋品店』に出演させ「男の涙は屋台で泣け!」と言うコーナーを設け、未練を断ち切らせた。
- 勝アカデミー時代に講師をしていた岸田森にはかなり目をかけてもらったという。当時小堺は既にテレビに出始めて人気も徐々に得ていたこともあったが、小堺とルーによれば、単に岸田がお笑い指向の小堺よりも、俳優を目指していたルーを評価していたからではないかという。
- 「笑っていいとも」ではダウンタウン・関根勤とともに月曜レギュラーとして出演。タモリ・ダウンタウンからかなりウザがられていたが、近年「ダウンタウンDX」などで再び共演し、二人から「久しぶりに絡むと面白い」と再評価された。
- ブログを開設しており、英単語・絵文字・色を駆使した文章は相当クドいものだが、逆にそれがウケ、新たな読者層を開拓しており、読者のトラックバックも英単語を併用したクドい文書が大多数を占めている。
- 書籍『リアクション☆スター』では、「ロー大塚」として登場し、”世界に通用するファンタジスタ”と絶賛されている。
- ルー大柴のファンのことを“ルーマニア”と言う。
- 2003年に朝日放送の『探偵!ナイトスクープ』にて「おじいちゃんはルー大柴!?」の依頼VTRに出演した際、完璧といえるほど自然に依頼者の家の亡くなったおじいちゃん役を務め、依頼者だけでなくルー自身も涙を流し、スタジオ中を感動の渦に巻き込んだ。(このとき探偵を務めていた、普段“お涙モノ”に無縁の桂小枝ですら依頼者と共に号泣していた)。それ以来、関西においてルーは好感度を大幅にアップさせ、この依頼を機に顧問として「ナイトスクープ」に出演するようになった。ルー自身も「今まで出たテレビの中で、こんなに素晴らしい番組に出たのは初めて」と語ったほど。現在も「ナイトスクープ」出演時には、本番収録前後にABCホールの客席を隅々まで回ってパフォーマンスを行うことが恒例となっており、観客からも大いに受け入れられている。また依頼に対してもマジメにコメントしている。
[編集] 出演
[編集] テレビ番組
- 噂的達人(読み:「うわさのたつじん」 1989年1月、TBS。「ルー大柴」としてのTVデビューの番組でもある。)
- 森田一義アワー笑っていいとも!(1991 - 1992年 フジテレビ系列)
- ファイト!(1992年-1993年:NHK教育テレビ) - 司会
- 浅草橋ヤング洋品店(テレビ東京系列)
- EXテレビ(日本テレビ系列)
- 関根&ルーのクイズ・サクセス!(フジテレビ系列)
- 探偵!ナイトスクープ(朝日放送) - 顧問として時々出演。
- 5時に夢中!(MXテレビ) - 司会代理。ゲストとしても最多出場。
- コミュニTV 熱情放送 (CATV) - 常連。
- 土曜スペシャル「日本一を愛でる!列島・絶景めぐり旅」(テレビ東京)
[編集] ラジオ番組
- コサキンDEワァオ!(TBSラジオ) - かつてのレギュラーで、最近も年に数回出演。小堺が2004年8月に病気で休業した際は代役を務めた。元々この番組で関根がネタとして紹介したことが、大柴が世に出るきっかけ。
- キャンパスラジオ「Hey!Say!」(ラジオたんぱ)
- ルー大柴のジンセー改造計画(ラジオたんぱ)
- ルー大柴のミュージックイズ危機一髪! - ジャパンエフエムネットワークの一部の局で放送されていたミニ番組。
- ルー大柴のがんばルー博覧会 - 地方AM局で放送されていた。
- ルー&ラッキィの東京アミーゴ(TBSラジオ) ※土曜日深夜、浅草キッドの「すっぽんぽん」内でのミニ番組
- ルー&ラッキィの10分天国 略して東京アミーゴ(TBSラジオ) - 岸谷五朗の東京RADIO CLUB内の帯番組。
- ルー&ラッキィのパックインミュージック21(TBSラジオ)
- ルー大柴のサンデービッグテン(TBSラジオ)
- ウイークエンド・ルー(TBSラジオ)
[編集] テレビドラマ
- 俺たちの朝(1976年日本テレビ系)
- 明日の刑事(1977年TBS系)
- 警視-K(1980年日本テレビ系)
- セーラー服通り(1986年TBS)
- 世にも奇妙な物語 『死体くさい』(1990年、フジテレビ系)
- 花の乱(1994年NHK大河ドラマ 骨皮道賢役)
- 花王 愛の劇場「パパは保母さん」(1996年) - 本名の「大柴亨」として。
- 万引きGメン・二階堂雪(TBSテレビ系列 和田店長役)
- 南町奉行事件帖 怒れ!求馬II(1999年 TBS・C.A.L.)第3話「おれは用心棒」 荒尾軍十郎役
- 大江戸を駈ける!(2000年 - 2001年)青木竜四郎役
- 天才てれびくんMAX「アイドルはやめられない!?」 - 主人公のおじ(科学者)役。
- 鉄板少女アカネ第1話「料理は焼きが命だ!!父の味を取り戻せ!!」-ゲスト出演。
[編集] 映画
- 湾岸バッド・ボーイ・ブルー(1992年)
- もうDEBUなんて言わせない!(1997年)
- CUTE(1997年)
- 銀の男六本木伝説(2001年)
- 祭りばやしデコトラの鷲(2003年10月)
- いかレスラー(2004年)
- ひいろ(2006年)
- あなたを忘れない(2007年)
[編集] 舞台
- カンコンキンシアター(1989年 - ) - 新宿シアターアプル。
- 恋と結婚(1998年 三越劇場/1999年) - 博品館劇場。
- 29歳の女たち3 ~風の通り道~(1998年) - 博品館劇場。
- ルパン三世 I'm LUPIN(1998年) - サンシャイン劇場・ルパン三世役
- 一人芝居「ライスカレー」(1998年~99年) - シアタートップスなど全国13カ所。
- 向田邦子名作劇場「阿修羅のごとく」(1999年) - 全国公演。
- ハウ・トゥー・サクシード(2000年) - 梅田コマ劇場
- Fool's(2001年) - 新宿シアターモリエール
- 西遊記GOCOO(2001年、2002年) - 新宿コマ劇場(01年)、梅田コマ劇場(02年)
- ランフォーユアワイフ「走れ!!スミス」(2001年、03年) - 新宿シアターアプル、地方公演。
- 天国の本屋(2002年、03年)博品館劇場、地方公演
- 向田邦子小劇場(2002年) - 三越劇場/地方公演
- おもろい幽霊(2002年) - 新宿コマ劇場
- わだばゴッホになる 棟方志功物語(2003年) - 梅田コマ劇場・新宿コマ劇場
- クリオネ(2005年) - 下北沢ザ・スズナリ
- 帰ってきたHey!Say!ルー(2005年) - 恵比寿エコー劇場
- 笑われたかった男~林家三平物語~(2005年) - 新宿コマ劇場
[編集] 著書
- ルー大柴のLIFE IS ONCE(1990年、シンコーミュージック、ISBN 4-401-61320-1)
- ひとりよがり(1992年、学習研究社) - GAKKEN MOOK・BOMB!特別編
- はずかしい話(1993年、集英社、ルー大柴とはずかしい話採集研究会編、ISBN 4-08-781083-6)
- 観覧者からトーキングブルース(1994年、ぶんか社、ISBN 4-8211-0496-2)
[編集] 音楽
- PSYCHEDELIC SOUND PARADISE(1991年、テイチク) - 関根勤、ラッキィ池田と共に「オラセラル」として。
- オレ達、ルーキーショー(1991年、キングレコード) - きたろう、翔と共に「ルーキーショー」として。
- YOKOHAMA/あまい囁き(1992年、テイチク) - ルー大柴 with 国分友里恵として。
- 覚えてないんです(1992年、ポリドール) - 大鵬薬品ソルマックCMソング。佐野啓子と共に。
- 抱腹絶倒目覚ましCD(1994年、サンリオ) - 松尾貴史と共に。
- ファイティング目覚ましCD(1994年、サンリオ) - 松尾貴史と共に。
- ルパン三世~アニメカル愛・夢・ルパン~(1998年、日本コロムビア) - ルパン三世誕生30周年記念ミュージカル。アニメカルルパン三世オリジナルサウンドトラック。
「音痴」なことでも有名で、「ルー節」とも呼ばれる歌い方はコサキンのラジオ番組では度々ネタにされている。「YOKOHAMA」という曲では気持ち悪い歌い方でコサキンの2人の失笑を買う。
[編集] 外部リンク
- ルー大柴公式プロフィール 浅井企画
- ルー大柴オフィシャルブログ『Together』 - 本人とそのマネージャーによるブログ。