長野県松本深志高等学校
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長野県松本深志高等学校(ながのけんまつもとふかしこうとうがっこう)は、長野県松本市蟻ヶ崎にある県立高等学校。
長野県松本深志高等学校 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 長野県 |
創立記念日 | 1876年7月10日 |
共学・別学 | 男女共学 |
通学区 | 第4学区 |
校訓 | 自治自律・自学自習 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
学科 | 普通科(8クラス) |
高校コード | 20175J |
所在地 | 〒390-8515 |
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電話番号 | 0263-32-0003 |
FAX番号 | 0263-37-1071 |
外部リンク | 公式サイト |
目次 |
[編集] 概要
校名は旧校舎の建てられていた松本城付近、即ち松本市の一部の旧東筑摩郡北深志町に由来している。前身である松本中学校初代校長であった小林有也(こばやしうなり)の3つの遺訓(後述)は、現在も後輩へ受け継がれている。
先代から自治の校風が引き継がれ、生徒たちに自主的に決められた生徒会会則等によって生徒会、各種委員会等を運営している。この「自治」は、自ら(生徒)が主体的に運営する活動についての「自治」を意味しているのであって、学校側から委任されるものである。もちろんのことながら学校そのものの運営を「自治」によって妨げることはできないとされる。ただ、生徒の主体的活動と学校運営の両者の間に線を引くことは非常に難しい。それらの「中間部」において、学校の介入の是非を問うといった生徒の過剰な(学校運営を妨げるような)「自治」行為が行われることもある。現代では、自治の範囲は学校によって委任される範囲によるので、学校側の介入というのは本末転倒な考え方であるともいう教育者もいる。 また、自治の気風によって生徒会が運営される中、生徒会への無関心等が生徒の行動、例えば生徒大会や選挙の出席、投票率の低下といったところにに表れはじめた。 このような点から、生徒組織の自治の認識を生徒が誤認、もしくは認識が軽薄になっているという意味を込めて、ここ最近「自治の廃退」が叫ばれることがある(一部深志高校生徒手帳参照)。
服装、持ち物等に関する規定はない。非常に自由な雰囲気の学校であり、日々の行動は個々の自立心と責任に任されている。
本校管理棟普通教室棟(第一棟)と講堂は、共に2003年4月8日から、国登録有形文化財となっている。
- 第一棟は、1933年(昭和8年)に建てられた初期のコンクリート造学校建築である。尖った柱の形や尖頭状の正面玄関のアーチ等、ゴシック風意匠に特徴がある。東京帝国大学安田講堂(東京大学大講堂)を手本としたと伝えられている。
- 講堂は、第一棟の翌年1934年(昭和9年)に建てられた。体育館を兼ねている。壁体は鉄筋コンクリート造、屋根は桟瓦葺の切妻屋根である。5連の尖頭アーチが特徴のアーケード風の正面玄関、玄関のスクラッチタイルなどは第一棟に呼応した意匠である。
伝統・学業共に県内屈指の進学校である。授業は1日65分の5時限で、密度の濃い授業が展開される。xxxx年度から2003年度までの夏期は70分授業を実施していたが、家庭学習の重視等の理由により、65分に短縮された。
[編集] 沿革
- 1876年(明治9年)7月10日 第17番中学変則学校として創立。
- 1877年(明治10年) 第18番中学校。
- 1883年(明治16年) 東筑摩中学校。
- 1884年(明治17年) 長野県中学校松本支校となる。
- 1886年(明治19年) 1府県1中学の制により、県内4つの本支校を統合し松本に長野県尋常中学校を設置。
- 1898年(明治31年) とんぼの校章を制定。
- 1899年(明治32年) 長野県立松本中学校と改称。
- 1901年(明治34年) 長野県松本中学校大町分校を設置。(現:長野県大町高等学校)
- 1920年(大正9年)4月 長野県令38号により、長野県松本中学校に改称。
- 1948年(昭和23年) 学制改革により長野県松本深志高等学校となる。
- 1973年(昭和48年)3月 長野県松本筑摩高等学校の開校に伴い、定時制を廃止。
- 2003年4月22日 文部科学省から学力向上フロンティアハイスクール事業の指定を受ける(2005年度迄)。
[編集] 教育目標
- 広い分野で、確かな基礎学力を養う。
- 生徒の個性や能力に応じ、その可能な限りの伸長発展を図る。
- 生徒の自主性を尊重して、自治の精神を育てる。また、豊かな情操を養い、知情意のバランスのとれた、ゆとりある学校生活ができるようにする。
[編集] 遺訓
旧制松本中学校初代校長小林有也が残した遺訓が現在も伝えられている。
- 一、諸子はあくまでも精神的に勉強せよ
- 一、而して大に身体の強健を計れ
- 一、決して現代の悪風潮に染み堕落するが如き事のあるべからず
[編集] 特色
[編集] 応援団管理委員会
深志高校は生徒全員が応援団員と規定されており、それを指揮統括する「應援團管理委員会(応管)」という生徒会とは独立した組織が中心となって活動する機会がある。
[編集] 春の歌練習(歌練)
新入生を対象に行われる応援練習のこと。応援団管理委員会(応管)が指導し行う。基本的に教師の介入はなく、そのすべてを応管の委員が行う。入学後の近日中に約1週間行われている。最近では学校5日制の影響から4日間の開催となっていて、日程が合わない場合は週をまたいでの実施もある。期間中の放課後、基本的には1棟屋上で、雨天などの場合は小体育館などの屋内で行われる。内容は校歌、応援歌、寮歌などの深志高校に関する歌の習得である。このとき、各歌を歌うときの姿勢も教えられ、特に応援歌を歌うときの深志高校独特の拍手の練習が行われる。形式は独特で、正面のお立ち台の上に団長が立ち、新入生の周囲を下駄を履いた応管委員が周回し指導する。応援歌などを歌うとき深志生は団長に合わせて歌うので、歌練の中でも新入生は団長の方を向き練習する。
新入生は歌練を終え、「厳しかった」「為になった」「深志生としての自覚が持てた」などの感想を述べる者が多い。既に歌練を経験し学校生活を過ごす上級生は、歌練をやり遂げ乗り越えるまでは未だ深志生ではない、との意識を持っている。実際、歌練後に行われる「応管選出」を終えるまで、新入生は部活動の加入が許されていない。
参加は原則、新入生全員で、欠席の場合は担当の委員にその理由を告げなくてはならない。しかし、近年では無断欠席するをする割合が増え、事ある度に「深志高校の自治問題」と絡めて取り上げられる問題になっている。
歌練では、覚えてきた歌を復習し歌えるようにすることを求めているので、新入生は歌練前までに歌を覚えてくる。このため、入学予定者オリエンテーション(3月末に開催)において、歌集が配付され、また応援歌の収録されたCDなどの音源が販売される。入学予定者は歌集の20曲ほどを自主的に覚えてくることになる。
さて、一時期応援練習が「自主参加」となり、参加する1年生も激減した。また、屋上がリノリウム貼りになったため、応管委員の鳴らす下駄の音が聞かれなくなった。しかし、環境は変わっても受け継がれてきた伝統を継承しようと現在でも歌練は続いている。
[編集] 部活動
特別活動としての部活動は、「運動協議会」(運動部)と「学芸協議会」(文化部)とによって構成される「合同協議会」によって総括される。合同協議会には、部活動の設立、昇格の承認、不祥事を起こした部活動への処分決定権等が与えられている。
2005年4月現在、合同協議会に属する正式な団体は、運動協議会21、学芸協議会は37の計58団体(名前だけで部員を持たないものも含む)が存在する。
[編集] 独特な部活動
[編集] 部活動の主な実績
- 弓道部 - 第24回全国高等学校弓道選抜大会男子団体ベスト8[県選抜予選優勝 県代表](H18.3)・第23回全国高等学校弓道選抜大会男子団体ベスト8[県選抜予選優勝 県代表](H17.3)・第3回東日本高等学校弓道大会女子団体5人編成3位(H16.12)・平成16年度北信越高等学校弓道大会女子団体準優勝
- 硬式テニス部 - 第27回全国選抜高校テニス大会 長野県大会・北信越大会 準優勝 同全国大会(H17)北信越代表
- 演劇部 - 第40回関東高等学校演劇研究大会 長野県代表
- サッカー部 - 昭和62年長野県高校総体優勝 長野県代表 同年全国高校サッカー選手権大会長野県大会優勝 長野県代表
平成7年長野県高校総体準優勝・同年北信越高校総体優勝 北信越代表として全日本ユース大会出場
[編集] 出身者
[編集] 政治
- 田中康夫 - 長野県知事(2000年-2006年)、新党日本代表、作家
- 増田甲子七 - 政治家、元内閣官房長官
- 村井仁 - 政治家、元国家公安委員長、長野県知事(2006年-)
- 藤森昭一 - 官僚、元宮内庁長官、日本赤十字社社長
- 米田建三 - 元衆議院議員、大学教授
[編集] 学者
- 大谷茂盛-東北大学総長
- 礒山雅 - クラシック音楽評論家、国立音楽大学教授
- 大澤真幸 - 社会学者、京都大学大学院人間・環境学研究科助教授
- 荻上紘一 - 数学者、元東京都立大学総長
- 熊谷寛夫 - 物理学者、東京大学名誉教授
- 小平邦彦 - 数学者、フィールズ賞受賞、のちに東京府立五中へ
- 佐々木重次 - インドネシア語学、東京外国語大学名誉教授
- 中嶋嶺雄 - 国際関係論、国際教養大学理事長・学長、前東京外国語大学学長
[編集] 経済人
[編集] 文化人
- 熊井啓 - 映画監督
- 合津直枝 - テレビドラマプロデューサー
- 原田健二 - 俳優
- 降旗康男 - 映画監督
- 元川悦子 - サッカージャーナリスト
- 藤岡筑邨 - 俳人
- 萩元晴彦 - テレビ・プロデューサー、テレビマンユニオン元会長、甲子園出場者
- 木下尚江 - 作家、社会主義運動家
- 臼井吉見 - 作家
- 唐木順三 - 哲学者、評論家
- 加々美豊 - 画家
- 土屋正孝 - 元読売ジャイアンツ内野手
[編集] その他
- 上原良司 - 太平洋戦争期の思想家。
[編集] 校章
- 高の字にトンボがとまる。校章
- 古事に日本国を「秋津島」と呼ぶ記載があり、秋津⇒蜻蛉(あきつ)からトンボ=日本を背負っているという説がある。
- 文化祭は「とんぼ祭」と称し、その名称は校章に由来する。
[編集] 校歌・応援歌
- 校歌
- 自治を叫びて
- 何かの行事があると必ずといっていいほど歌われる定番の応援歌。
[編集] 交通
最寄駅
- 自宅の最寄り駅から学校の最寄り駅までの区間でのみ発券される通学定期券では、上記どちらの駅を片端とする定期券も購入できることから、JRは両駅共に最寄り駅と見なしている。
停留所
- 松本電鉄北市内線が当校に隣接する公道を走っている。
- 深志高校裏 - 西回り『横田方面行き』
- 深志高校前 - 東回り『松本駅前方面行き』
- 当校の周りが一方通行の為二方向のバス停が別になっている。
[編集] 逸話
1960年(昭和35年)から1972年(昭和47年)まで、「クロ」という犬が住み着いていた。クロは、職員会議に出席し、授業の見回りをし、そして、夜間の警備の巡回についてまわっていた。当時の職員名簿に名前ものっていた。
この事実に一部フィクションを織り交ぜて作成された映画が、「さよなら、クロ」(配給:シネカノン 監督:松岡錠司 主演:妻夫木聡) である。この映画には、当時在籍していた生徒や教職員がエキストラで出演もしている。
- 参考及び映画の原作:『職員会議に出た犬・クロ』 作:藤岡改造(元松本深志高等学校国語科教諭) 郷土出版社 ISBN 4876633886