飯島愛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
飯島 愛(いいじま あい、公称1972年10月31日 - 本名:大久保松恵は、日本の元AV女優で元タレント。 東京都江東区亀戸出身。元ワタナベエンターテインメント所属。身長161cm。
目次 |
[編集] 芸能界内での遍歴など
- 1992年、AV女優となる。
- 本名は「大久保松恵」である。(2007年4月8日放送分の『ウチくる!?』にて、中山秀征により公表された。)
- 生年月日は、当初は1973年8月25日と公表していた。本人の弁によれば、デビューしたのが夏で、すぐに芸能界からいなくなるからその前に誕生日が来ればプレゼントがもらえると思って8月生まれと言ったとのこと。現在でも、1973年8月25日生とする資料がある。
- 芸名の由来は、水商売時代、所属していた店のママが「みんなから愛される子になるように」という願いを込めて「愛」という源氏名を命名してくれたことによる(自著「プラトニック・セックス」より)とあるが、以前テレビ番組で「ラブ」という源氏名を自らつけたことを告白している。「本名が垢抜けないから好きではない」と、思い切った名前をつけた。その後に勤めることになったクラブのママが「ラブ」を転じさせ「愛」にするよう指導し、理由は後付で、客に紹介する際に「みんなから愛され~」のくだりが確立された。
- 芸名に「飯島」という姓がつけられたのは、当時の所属事務所社長が飯島直子の大ファンだったため。飯島直子側はこれを快く思っていないと報道されることが多く、「W飯島」と括られることもあるが共演はほとんどなかった。しかし飯島直子が2006年10月に「ウチくる!?」に出演した際、両者が不仲説を明確に否定した。
- 1990年代前半、とんねるずのみなさんのおかげですのスタッフと木梨憲武が、飯島のビデオのファンであったことから番組にハプニングゲストで出演(これがテレビ番組初出演になる)。
- 1990年代前半、深夜番組「ギルガメッシュないと」(テレビ東京系)で、スカートをめくり、世の男たちに活力をあたえた。『Tバックの女王』と呼ばれる。その後、次第に大人の女性としてトーク番組等でバラエティタレントとして活躍している。近年は気だるく重い口調が特徴。
- 1993年、「ナイショ DE アイ!アイ!」で歌手デビュー。オリコン87位。このCDには飯島愛が実際に着用したパンティを細かく裁断した生地が同梱されていた。
- 2000年、半自伝的な小説「プラトニック・セックス」でAVや性病感染、整形手術していたこと等をカミングアウトしべストセラーに。映画化やテレビドラマ化もされ、作家活動も行っている。週刊朝日にコラム「飯島愛の錦糸町風印税生活」を執筆。また性感染症予防の啓蒙活動でも知られる。
- あんたにグラッツェ!・あんグラ☆NOW!にゲストとして呼ばれた回数No.1。奢った金額トータルもNo.1。放映開始1周年を記念した回では伊倉一恵の「本の印税で益々儲かってるに違いない飯島愛さんに、オヤジ三人がおごってもらう」との冷静なナレーションの中、登場早々に高田純次らに「金おろせよ」と言われ銀行のATMから100万円を引き出す。途端にオヤジ三人のテンションは高くなり、「よし、100万円全部使い切るぞ!」「俺達いい仕事するからな」と散々。飯島は抵抗・抗議したが、無論受け入れられず。(エンディングでは、70万円弱を使った旨、明細が出ていた)
- ゲスト出演から準レギュラーを経てレギュラーになる事が多い。例としては「スパスパ人間学!」、「決定!これが日本のベスト」、「ロンドンハーツ」等がある。
- 胸や顔の整形等について公にカミングアウトしていて、自らのスッピンネタ等自虐系の発言も時々する。そのメイク技術はテレビ番組『くりぃむナントカ』でも、「飯島さん、メイクの本を出すべきですよ!」と言われたほどに絶賛だった。
- 2005年にブログを始める。同年、ネット配信番組に連動した株取引に関するブログも、短期間公開された。
- 2006年11月11日、個人事務所の経理担当の人間から数千万円もの横領被害に遭ったことをブログで告白した。
- 2007年3月31日、所属事務所から正式に芸能界を引退することが発表された。
[編集] 引退報道
- 2007年3月3日、芸能界引退の報道が流れる[1]。事務所もこの内容をFAX回答で認めた。生出演した『サンデージャポン』では、この件について、いつかは引退すると言うも3月末とは明言しなかった。その後翌週(3月10日)で3月いっぱいで引退することを本人が発表した。
- 腎臓病(腎盂炎)であることが報道された。それによると「症状が予想以上に重く、仕事を続ける意欲を完全に失っているという。」と理由付けされている。「引退」飯島愛を悩ます腎盂炎の深刻度 日刊ゲンダイ - 2007年3月4日。
- 『サンデージャポン』最後の出演は2007年3月25日だが、ちょうど番組放送直前の午前9時42分頃、能登沖でマグニチュード6.9の能登半島地震が発生。TBSは地震の状況を報道。飯島最後の『サンデージャポン』の放送時間はわずか15分となってしまい、飯島本人が出演した場面は、たった3分(予告編だけ)しかなかった。飯島はこのことをブログで「大変な事態です。人命と私の引退は比べるに値しない。今はそっと、被害が最小限に収まるように見守りましょう。」と綴っている。なお、翌日のニッポン放送の生放送ラジオ番組『テリー伊藤のってけラジオ』において、飯島と『サンデージャポン』で共演しているテリー伊藤が「飯島愛ちゃんの分は収録しました」と話し、来週の『サンデージャポン』で放送すると明言した。
- その後、テリー伊藤の言うとおり、4月1日の『サンデージャポン』のラスト10分で、事前に収録された「飯島愛 引退ファイナルカウントダウン」と題されたVTRが放送され、飯島は週間誌で報じられている「藤田晋とITビジネスを行うという説」や「ニューヨークへ移住するという説」を否定し、「(今後は)医療関係の仕事に就きたいが、今から勉強しても間に合わない。でも、(医療と性質の似ている)カウンセリング関係の仕事をしたい」「歌や(お笑いの)ライブなど、板の上(舞台)に立つ仕事ができないと、芸能人としては限界がある。あと、病気で休んでいる時に、私の代わりになる若手はいっぱいいると思った」と語った(また、「精子バンクでシングルマザー説」については「試みようとしたことはある」と述べた)。そして、VTRの最後では、高橋ジョージが飯島愛のために「ロード」を熱唱し、飯島本人はみんなへの感謝のメッセージを贈った。
- 2007年3月31日に「目標や夢が見い出せず、芸能界で生き残っていくことは不可能」として所属事務所から正式に引退が発表された。
- 4/6放送の『金スマ』で、霊能師の木村藤子が「自分に嘘をついてる。あなたは病気くらいで仕事をやめるような無責任な人じゃない。芸能界を引退しては駄目。今まで築き上げたものを全部捨ててしまうことになる。(引退を撤回して苦難を)乗り越えるべき。あなたは無言のうちに人に影響を与えられる人。今が人生最高の時期。(芸能活動を続行すれば)2、3年後に大きな出来事が起こりすべてが変わる。(引退すれば)数年後に後悔する姿が見える。誰か、(飯島の芸能界引退を)止めてあげて下さい。あなたはこんなに愛されている」とアドバイスした。このとき、もっと飯島にアドバイスをすべきかどうかを迷う木村氏に対し、無声のまま口の動きだけで「だめ…だめ…」と訴える飯島の表情がテレビに映った。
木村がその発言をしたその次回の収録が奇しくも最後の芸能活動となるため、本人も再度引退を再考したが、結局飯島が出した結論は、「芸能界引退」。芸能活動最終日となる2007年3月31日が、その「金スマ」最終収録日となった。
[編集] 逸話
- 人気AV女優・後藤えり子にスカウトされてAV界に入った。
- 週刊誌が本人に許可をとらずに勝手にヌード写真を載せたとして争った事がある。
- 『元アダルトビデオ出演女優』の肩書き(も同然)でデビューしたにもかかわらず、その後の本人の努力によって、現在ではバラエティー番組・コメンテーター・ドラマ女優・作家・ボランティア活動等をこなすマルチタレントとして老若男女から広く支持を得るという成功をおさめた稀有な例であり、巷間のAVタレントからは憧れの的となっている。
- その後、自著「プラトニック・セックス」で、AV女優経験について語っている。しかしその描写をめぐって当時の関係者に波紋が広がる(「実際以上に酷い世界であると強調している」との主張がある)。
- 同書を読んだ大槻ケンヂは本人に対し、「あんた、好きなことやってきただけじゃん」と呆れて、飯島も笑いながらそれを肯定した。
- 2002年、サッカーW杯日韓大会の韓国-イタリア戦などでの、「韓国チーム寄りの意図的な誤審では?」との疑惑(当時、ほぼ全てのマスメディアが意図的に無視していたも同然の状況であった)について、テレビ番組の「サンデージャポン」内でも疑惑について言及しない番組進行に激怒。「もうキムチは食べない」などの憤りをあらわにした発言をした(同じ不審感を持っていた一般人の代弁者になったとも言える)。
- 「私的(わたしてき)には」というフレーズで流行語大賞をとったことがある。
- TVの前のキャラと違い、共演者・スタッフ達にはプレゼントを欠かさず贈り、営業に余念が無いと(あくまで)自ら告白している。
- TVでは自由奔放で辛口発言や暴言が多いと思われがちだが、実際は非常に繊細で、辛口や暴言を吐いた相手に対し、気遣いとフォローを忘れない。また気が回りすぎて、つい虚勢を張ってしまうタイプであることを、前所属事務所の社長により告白されているが、真実は定かではない。
- 知識を要するクイズ番組は苦手だが、運や駆け引きを要するゲーム番組には極めて強く優勝回数も多い。
- かなりのガンダム好きであり、富野由悠季と何度か対談を行っている。
- 父親は自民党後援会員を務めている。その縁で都知事選で柿沢弘治を応援したこともある。
- 1993年にダウンタウンの番組(「ダウンタウン汁」)にゲスト出演した際、事前にダウンタウン側に「AV女優時代の話はしないで欲しい」との要望(本人、事務所のどちらからのものかは不明)が伝えられた。これを聞いた松本人志はあえてAV女優時代の話をしようと思ったが、生放送ではないためカットされるとみて要望通りトークを行った。これについて松本は著書『「松本」の「遺書」』で「過去の自分があるから今の自分があるのではないか」と憤慨している。また松本は2005年にも自身のラジオでこの件について嫌悪感を露にした発言をしており、現在まで飯島がダウンタウンの番組に出演しない原因になっていると思われる。
- AV業界でも飯島のこの態度に苦言を呈す人が多く、AV男優の加藤鷹は「嘘ばかり書いた本(プラトニック・セックス)を出して、自分を育ててくれたAV界を足蹴りにしたような女は俺は嫌いだ。」と痛烈に批判している。
- 2006年、『ウチくる!?スペシャル』に江原啓之が出演した際に、「“とにかくかわいそうなくらい繊細過ぎる。外見の印象と全く違う人。オーラの色はきれいな紫の色を持ってるが微弱。他人を信じ過ぎて、疑う事を知らな過ぎたために、さんざん、裏切られた事がいっぱいある。他人からの愛を信じられない所がある。他人への施しは程々にして、自分の幸せを考えなさい。去年まで人間関係、ゴタゴタ、色々とあったが、全部、切り捨て、今年から気持ちを切り替えて、新しい方向へ行きなさい。今まで一度も甘えた事が無い。自分自身が甘えられる環境を作る事がこれからの課題。幸せはある”と守護霊からのメッセージがあった」と指摘された。
- 芸能人の昔を再現フィルムなどで見せるという特番では中学の写真一枚で終わった。
[編集] 主な出演番組
[編集] テレビ
- 未来MODEL(テレビ東京系、2005年終了)
- スパスパ人間学!(TBS系、2005年終了)
- スーパークイズスペシャル(日本テレビ系、1999年終了)
- クイズ世界はSHOW by ショーバイ!! 常連ゲスト解答者(日本テレビ系、1996年終了)
- 新装開店!SHOW by ショーバイ!!
- 新装開店!SHOW by ショーバイ2
- マジカル頭脳パワー!! 常連ゲスト解答者(日本テレビ系、1999年終了)
- クイズ赤恥青恥 準レギュラー解答者(1995年~2002年)(テレビ東京系)
- ろみひー レギュラー(1999年4月~2003年3月)(中京テレビ製作)
- あんたにグラッツェ!・あんグラ☆NOW! ゲスト(2001年4月~2004年3月(中京テレビ製作)
- 所さん&おすぎの偉大なるトホホ人物伝 準レギュラー(2004年~2005年)(テレビ東京系)
- 決定!これが日本のベスト 準レギュラー(初期~中期)(テレビ朝日系)
- タモリのSUPERボキャブラ天国 準レギュラー審査員(フジテレビ系、フジテレビ721にて再放送中)
- タモリの超ボキャブラ天国
- 黄金ボキャブラ天国
- 家族そろってボキャブラ天国
- 続ボキャブラ天国
- ウチくる!?(フジテレビ系)
- 中居正広の金曜日のスマたちへ(TBS系)
- サンデージャポン(TBS系:2006年11月12日・12月3日は出演せず)
- 金のA様×銀のA様(日本テレビ系)
- ロンドンハーツ(テレビ朝日系)
- エンターテイメント·マザーズ TV(BS-i)
- 爆笑問題&日本国民のセンセイ教えて下さい!(テレビ朝日)
- FNSソフト工場『嘉門達夫と飯島愛のみちのくお遍路いい人いい歌の旅』(仙台放送製作フジテレビ系、1999年12月15日放送)
[編集] 映画
- ヅラ刑事 - 2006年9月16日公開(ホステス役で友情出演)
- バブルへGO!! タイムマシンはドラム式 - 2007年2月10日公開(本人役カメオ出演)
[編集] CM
[編集] ラジオ
- 飯島 愛のallnightnippon sunday.com(ニッポン放送、2003年終了)
[編集] インターネットテレビ
- 渋谷ではたらく社長の会食
[編集] 連載
- 日経エンタテインメント対談連載「お友達になりたい!」(日経BP社)
- POPTEEN連載「飯島 愛のLOVE&SEX ER恋愛緊急救命室」
[編集] 書籍
- 「タイムトラベラーズ愛」の漫画原案
- 「どうせバカだと思ってんでしょ!!」
- 「プラトニック・セックス」(小学館、ISBN 4093792070、2000年10月)
- 「生病検査薬≒性病検査薬」(朝日新聞社、ISBN 4022578440、2003年6月)
[編集] ビデオ
[編集] 音楽作品
- シングル
- アルバム
- なんてったって飯島愛(1993年12月1日発売)
[編集] 飯島愛(に相当する役)を演じた女優
[編集] 参考文献
- ^ 飯島愛、引退に関して業界内では「3月末では」説アメーバニュース 2007年3月5日
- ^ コジマ 飯島愛が体調不良で3月末に芸能界引退へ、“引退特番”も。 narinari.com 2007/03/03
- ^ 飯島愛のポルノ・ホスピタル 2007年3月9日
[編集] 関連項目(人物)
[編集] 外部リンク
カテゴリ: 節現在進行 | 日本のAV女優 | 日本のタレント | 過去の渡辺プロ系列所属者 | 東京都出身の人物 | 江東区 | 1972年生 | 人物関連のスタブ項目 | 性風俗関係者のスタブ項目