館山航空基地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
幕僚機関 |
---|
海上幕僚監部 |
主要部隊 |
自衛艦隊 |
横須賀地方隊 |
舞鶴地方隊 |
大湊地方隊 |
佐世保地方隊 |
呉地方隊 |
教育航空集団 |
練習艦隊 |
海自の群一覧 |
海自の隊一覧 |
主要機関 |
海自幹部学校 |
海自幹候学校 |
術科学校 |
海自補給本部 |
その他 |
海自の基地一覧 |
海自の装備品一覧 |
館山飛行場 | |||
---|---|---|---|
IATA:N/A - ICAO:RJTE | |||
概略 | |||
空港種別 | 軍用 | ||
管理者 | 防衛省 | ||
航空管制 | 海上自衛隊 | ||
使用者 | 海上自衛隊 | ||
運用時間 | 24時間 | ||
海抜 | 62m | ||
位置 | 千葉県館山市宮城北緯34度59分14秒東経139度49分43秒 | ||
滑走路 | |||
方向 | ILS | m×幅 | 表面 |
09/27 | YES | 300m×45m | 舗装 |
館山航空基地(たてやまこうくうきち)は、千葉県館山市に所在する海上自衛隊の飛行場である。八八艦隊ヘリコプター部隊としてSH-60Jを運用する第21航空群の航空基地となっている。砕氷艦(南極観測観測船)しらせ艦載ヘリの基地としても知られている。
目次 |
[編集] 概要
館山航空基地は、戦前から東京湾の防備を担当する海軍航空部隊の要であったと共に、横須賀鎮守府に所属している艦船の艦上航空機部隊の飛行場であった。戦後、保安庁館山航空隊が編成され、海上自衛隊航空部隊発祥の地ともなった。
現在は、大村航空基地とともに、八八艦隊ヘリコプター部隊の基地となっており、舞鶴飛行場に第123航空隊舞鶴航空分遣隊を派遣している他、自衛艦隊航空集団では唯一の陸上哨戒ヘリコプター部隊第101航空隊が、東京湾の防備を担当している。
かつては、第101航空隊による伊豆諸島での急患搬送が東京都から任されていたが、現在は、東京消防庁航空隊のヘリコプターが大型化したことから、出動する機会はほとんどなくなった。それでも、年に数回程度の急患搬送を行っており、伊豆諸島の救急体制には欠かせない部隊となっている。
他には、横須賀地方隊所属の砕氷船しらせの艦載ヘリの基地となっており、海上自衛隊では最も大型のヘリ、CH-101の運用を行っている。
余談だが、館山航空基地に近い館山港には、海上自衛隊専用岸壁があり、観艦式に参加する艦船が使用するなど、横須賀基地の補助的な役割を担っている。
滑走路のタイトルバックが有名なTVドラマ「Gメン'75」の撮影はここで行われた。 映画「零戦燃ゆ」の撮影はここで行なわれた。
[編集] 歴史
- 1930年(昭和5年)・・・大日本帝国海軍横須賀鎮守府隷下の館山海軍航空隊が開設される。首都防衛の拠点として、海軍航空隊の艦上戦闘機、艦上攻撃機、水上偵察機部隊が置かれる。近くの州崎にも海軍飛行場が存在していた。
- 1945年(昭和20年)・・・終戦により、アメリカ陸軍騎兵第1師団が駐留。
- 1953年(昭和28年)・・・保安庁館山航空隊が新編。保安庁~海上自衛隊の航空部隊としては初の部隊。
- 1955年(昭和30年)・・・第101飛行隊に改編。
- 1961年(昭和36年)・・・第21航空群が新編。第101航空隊を隷下に再編。第211・221教育航空隊が館山で新編。
- 1968年(昭和43年)・・・第221教育航空隊が小月航空基地へ移転。
- 1973年(昭和48年)・・・第121飛行隊を新編。翌年第121航空隊に改編。
- 1974年(昭和49年)・・・第211教育航空隊が鹿屋航空基地へ移転。
- 1988年(平成元年)・・・第123航空隊が、第124航空隊として新編。
- 1998年(平成10年)・・・第124航空隊が、第123航空隊に名称変更。
- 1999年(平成11年)・・・護衛艦「はるな」艦載の第123航空隊所属ヘリが、能登半島沖不審船事件に出動。不審船をビデオ撮影して、防衛庁に電送。
- 2001年(平成13年)・・・舞鶴航空基地が開港。第123航空隊舞鶴航空分遣隊が新編。
[編集] 所属部隊
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
空港情報 (RJTE) |
空港情報(worldaerodata.com) | 定時航空気象(METAR) | 飛行用飛行場予報(TAF) | 定時航空気象 |