自衛艦隊
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幕僚機関 |
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自衛艦隊(じえいかんたい、Self Defense Fleet)とは、海上自衛隊で機動運用が行なわれる部隊である。1954年(昭和29年)7月1日の防衛庁(防衛省の前身)自衛隊発足と同時に置かれた。警備区域の防衛や補給等を目的とする地方隊と異なり、海外派遣やシーレーン防衛に当たる。
自衛艦隊は、司令部及び護衛艦隊、航空集団、潜水艦隊、掃海隊群、情報業務群、海洋業務群(平成18年9月長官直轄から自衛艦隊直轄に編成変え)、開発隊群、その他防衛大臣の定める部隊を以て編成されている。帝国海軍の連合艦隊(もしくは海軍総隊、海上護衛総隊)等に相当する事実上の実戦部門の統括部隊であるといえる。観艦式は原則として自衛艦隊司令官が執行者となる。
国際的には、外洋での作戦展開能力を持つ機動艦隊は"Blue Water Navy (Ocean Navy)"と呼ばれており、Blue Water Navyを持つ国はアメリカ、イギリス、ロシアなど、ほんのわずかな国だけである。ローテションによる継続的な外洋での作戦展開能力を持ち、実際に自衛隊ペルシャ湾派遣やテロ対策特別措置法に基づくインド洋派遣など、外洋での援助活動実績がある自衛艦隊は、紛れもなくBlue Water Navyであり、自衛艦隊の存在は、日本が「海軍大国の一角」であるという、国際的に大きなアナウンス効果を持っている。
目次 |
[編集] 沿革
保安庁警備隊の主力は、第1、第2、第3船隊群であったが、1954年(昭和29年)7月1日の防衛庁海上自衛隊発足に当たり、それぞれ第1、第2護衛隊群、第1警戒隊群と改称された。
そして、以上の3個群及び司令部、旗艦たる警備艦「けやき」(PF295)により自衛艦隊が編成されることとなった。
「自衛隊法の一部を改正する法律」(昭和36年6月12日法律第126号)により、次のような大幅な組織変更を行った。
- 自衛艦隊の長を自衛艦隊司令から自衛艦隊司令官と改称する。
- 護衛隊群等を統括する部隊として護衛艦隊を置く。
- 航空群等からなる航空集団を置く。
[編集] 艦隊の編成
- 自衛艦隊(Self Defense Fleet)
- 護衛艦隊(Fleet Escort Force)
- 護衛隊群(Escort Flotilla)
- 護衛隊(Escort Division)
- 海上訓練指導隊群(Fleet Training Command)
- 海上訓練指導隊(Fleet Training Group)
- 護衛隊群(Escort Flotilla)
- 航空集団(Fleet Air Force)
- 航空群(FIeet Air Wing)
- 航空隊
- 整備補給隊
- 航空基地隊
- 航空群(FIeet Air Wing)
- 潜水艦隊(Fleet Submarine Force)
- 潜水隊群(Submarine Flotilla)
- 潜水隊(Submarine Division)
- 潜水艦基地隊(Submarine Base)
- 潜水隊群(Submarine Flotilla)
- (自衛艦隊直下隊群)
- 掃海隊群(Minesweeper Flotilla)
- 掃海隊(Minesweeper Division)
- 情報業務群(Fleet Intelligence Command)
- 情報支援隊
- 海洋業務群(Oceanographic Command)
- 対潜資料隊
- 開発隊群(Fleet Research and Development Command)
- 開発隊
- 掃海隊群(Minesweeper Flotilla)
- 護衛艦隊(Fleet Escort Force)
- ※自衛隊法施行令(昭和29年政令第179号)に記載のある総称等を掲載。その他の隊等の細目は各記事項目に詳述。
- ※自衛艦隊直下隊群(艦隊・集団などの中間的な上部組織を持たない群)に記載した群のうち、掃海隊群については、艦隊・集団にあって群にはない掌理の規定(施行令第16条の13第3項)があり、かつ、護衛隊群(同令第17条)よりも前の条項に規定されていることから、他の群よりやや格上(艦隊・集団に準ずる位置)にあるものと考えられるが、ここでは羅列の都合上他の群と同列とした。
[編集] 司令部の編成
自衛艦隊司令部や隷下部隊の司令部の編成は次のとおりである。
- 司令官・司令
- 幕僚長
- 艦隊・集団及び掃海隊群に置かれる。司令官を補佐し、司令部の部内の事務を整理する。
- 海将補:自衛艦隊司令部幕僚長・護衛艦隊司令部幕僚長・航空集団司令部幕僚長・潜水艦隊司令部幕僚長
- 1等海佐:掃海隊群司令部幕僚長
- 首席幕僚
- 幕僚長の置かれていない司令部(掃海隊群を除く群・隊)にあっては、幕僚のうち最上位にある者を首席幕僚とする。司令の命を受け、当該司令部の部務を整理する。
- 幕僚
- 幕僚長の置かれている司令部(艦隊・集団及び掃海隊群)では、幕僚長の命を受け、当該司令部の部務を分掌する。
- 幕僚長の置かれていない司令部(掃海隊群を除く群・隊)では、司令の命を受け、当該司令部の部務を分掌する。
- 副官
- 司令官・司令の庶務をつかさどる。
司令部が置かれる旗艦は、1957年(昭和32年)4月1日に第2代自衛艦隊旗艦として護衛艦「ゆきかぜ」(DD102)が、1961年(昭和36年)7月26日に第3代旗艦として護衛艦「あきづき」(DD161)がそれぞれ選ばれたが、1963年(昭和38年)3月に自衛艦隊司令部は陸上に移り、横須賀市船越に置かれて現在に至っている。
[編集] 自衛艦隊司令官
- 詳細は自衛艦隊司令官を参照
[編集] 護衛艦隊
護衛艦隊(ごえいかんたい)とは、護衛艦を中心として編成された自衛艦隊の中核となる艦隊である。英訳は「Fleet Escort Force」という。
1961年(昭和36年)9月1日に旗艦たる護衛艦「てるづき」(DD162)及び第1、第2、第3護衛隊群をもって護衛艦隊が編成される。1985年3月27日に第2代護衛艦隊旗艦として護衛艦「むらくも」(DDK118)が、第3代に1998年3月16日に護衛艦「たちかぜ」(DDG168)がそれぞれ選ばれる。現在第4代護衛艦隊旗艦として護衛艦「さわかぜ」(DDG170)が改修工事中である。
護衛艦隊には4個護衛隊群(群司令は海将補)が置かれ、ローテーションを組んで有事に備えている。護衛隊群は俗に八八艦隊といわれ、護衛艦8隻とヘリコプター8機が置かれるのが基本である。
なお、イージス護衛艦のうちこんごう型護衛艦は、護衛艦こんごう(DDG173)が第2護衛隊群、護衛艦きりしま(DDG174)が第1護衛隊群、護衛艦みょうこう(DDG175)が第3護衛隊群、護衛艦ちょうかい(DDG176)が第4護衛隊群といったように、護衛艦隊の各護衛隊群に1隻づつ配備されている。さらに、こんごう型護衛艦の次級であるあたご型護衛艦の護衛艦あたご(DDG177)は第3護衛隊群に配備されている。
自衛隊海外派遣任務の増加に伴い、補給艦の機動的運用の必要性が高まったことを受けて、2006年4月に補給艦5隻による第1海上補給隊(横須賀)が編成された。また、それまで自衛艦隊直轄であった第1輸送隊が護衛艦隊直轄に編成替えされた。
2007年度末には、地方隊隷下の6個護衛隊を護衛艦隊指揮下へ移すとともに、護衛隊群隷下の12個護衛隊をDDH中心グループ4個とDDG中心グループ4個の計8個隊に集約するなどの改編が実施される予定。
- 護衛艦隊
[編集] 司令官
代数 | 氏名 | 在任期間 | 出身校・期 | 前職 | 後職 |
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初代 | 三上作夫 | 1961.9.1 - 1962.7.15 | 海兵56期・海大37期 | 練習艦隊司令官 | 佐世保地方総監 |
第2代 | 山下雅夫 | 1962.7.16 - 1963.6.30 | 海兵57期 | 海上幕僚監部総務部長 | 佐世保地方総監 |
第3代 | 永井昇 | 1963.7.1 - 1964.7.15 | 海兵59期 | 第1術科学校長 | 呉地方総監 |
第4代 | 板谷隆一 | 1964.7.16 - 1965.6.30 | 海兵60期 | 海上幕僚監部総務部長 | 横須賀地方総監 |
第5代 | 久原一利 | 1965.7.1 - 1967.1.9 | 海兵60期 | 海上訓練指導隊群司令 | 海上幕僚副長 |
第6代 | 池田徳太 | 1967.1.10 - 1968.1.1 | 海兵60期 | 海上訓練指導隊群司令 | 退職 |
第7代 | 内田一臣 | 1968.1.1 - 1969.6.30 | 海兵63期 | 海上幕僚監部防衛部長 | 海上幕僚長 |
第8代 | 北村謙一 | 1969.7.1 - 1970.6.30 | 海兵64期 | 海上幕僚監部防衛部長 | 横須賀地方総監 |
第9代 | 石隈辰彦 | 1970.7.1 - 1972.3.15 | 海兵65期 | 海上幕僚監部総務部長 | 横須賀地方総監 |
第10代 | 中村悌次 | 1972.3.16 - 1973.11.30 | 海兵67期 | 海上幕僚監部防衛部長 | 呉地方総監 |
第11代 | 宮田敬助 | 1973.12.1 - 1975.3.16 | 海兵69期 | 海上幕僚監部総務部長 | 海上幕僚副長 |
第12代 | 齋藤國二朗 | 1975.3.17 - 1976.3.15 | 海兵70期 | 練習艦隊司令官 →1974.12.5海上幕僚監部付 |
幹部学校長 |
第13代 | 大賀良平 | 1976.3.16 - 1976.11.30 | 海兵71期 | 海上幕僚監部防衛部長 | 大湊地方総監 |
第14代 | 清水清 | 1976.12.1 - 1978.12.11 | 海兵71期 | 第1護衛隊群司令 | 退職 |
第15代 | 秋山正之 | 1978.12.11 - 1981.2.15 | 海兵74期 | 海上幕僚監部総務部長 | 自衛艦隊司令官 |
第16代 | 古賀鶴男 | 1981.2.16 - 1982.6.30 | 海兵75期 | 海上幕僚監部総務部長 | 自衛艦隊司令官 |
第17代 | 深井汪介 | 1982.7.1 - 1984.6.6 | 海兵75期 | 海上幕僚監部監察官 | 退職 |
第18代 | 能津長和 | 1984.6.6 - 1986.12.5 | 開発指導隊群司令 | 退職 | |
第19代 | 小西岑生 | 1986.12.5 - 1988.3.15 | 防大1期 | 練習艦隊司令官 | 呉地方総監 |
第20代 | 伊東隆行 | 1988.3.16 - 1989.12.15 | 第1術科学校長 | 退職 | |
第21代 | 岩澤徹 | 1989.12.15 - 1991.6.30 | 防衛大学校訓練部長 | 佐世保地方総監 | |
第22代 | 内田耕太郎 | 1991.7.1 - 1992.6.15 | 海上幕僚監部装備部長 | 舞鶴地方総監 | |
第23代 | 村中壽雄 | 1992.6.16 - 1994.12.14 | 海上幕僚監部防衛部長 | 自衛艦隊司令官 | |
第24代 | 林博太郎 | 1994.12.15 - 1996.6.30 | 自衛艦隊司令部幕僚長 | 幹部学校長 | |
第25代 | 石山嵩 | 1996.7.1 - 1998.6.30 | 防大9期 | 海上幕僚監部調査部長 | 佐世保地方総監 |
第26代 | 金田秀昭 | 1998.7.1 - 1999.7.12 | 防大12期 | 統合幕僚会議事務局第5幕僚室長 | 退職 |
第27代 | 勝山拓 | 1999.7.12 - 2001.3.26 | 防大12期 | 海上幕僚監部装備部長 | 佐世保地方総監 |
第28代 | 古庄幸一 | 2001.3.27 - 2002.3.21 | 防大13期 | 阪神基地隊司令 | 海上幕僚副長 |
第29代 | 道家一成 | 2002.3.22 - 2003.1.27 | 防大15期 | 海上幕僚監部人事教育部長 | 海上幕僚副長 |
第30代 | 香田洋二 | 2003.1.28 - 2004.8.29 | 防大16期 | 海上幕僚監部防衛部長 | 統合幕僚会議事務局長 |
第31代 | 保井信治 | 2004.8.30 - | 防大16期 | 幹部候補生学校長 |
[編集] 航空集団
[編集] 概要
- 航空群(航空群司令部・航空隊2・整備補給隊・航空基地隊)を主体とする。2007年度末までに地方隊隷下の航空隊(大湊、小松島、大村)を編入し、救難飛行隊を含めた再編が予定されている。
[編集] 沿革
- 1961年9月1日 - 「航空集団」が発足(司令部:下総航空基地)し、「鹿屋航空隊」は「第1航空群」、「八戸航空隊」は「第2航空群」、「徳島航空隊」は「第3航空群」、「館山航空隊」は「第21航空群」と改称して隷下に編入。
- 1962年9月1日 - 下総航空基地に「第4航空群」を新編。
- 1973年3月1日 - 岩国航空基地に「第31航空群」を新編。第3航空群が徳島教育航空群に改編して教育航空集団の隷下に編入。
- 1973年12月25日 - 航空集団司令部と第4航空群が下総航空基地から厚木航空基地に移駐。
- 1981年7月15日 - 「沖縄航空隊」を「第5航空群」に改編。
- 1987年12月1日 - 大村航空基地に「第22航空群」を新編。
[編集] 部隊編制
- 航空集団司令部(厚木航空基地)
- 第1航空群(鹿屋航空基地)
- 鹿屋航空基地隊-鹿屋救難飛行隊
- 第2航空群(八戸航空基地):固定翼対潜哨戒機P-3Cを運用
- 八戸航空基地隊-八戸救難飛行隊
- 第4航空群(厚木航空基地):固定翼対潜哨戒機P-3Cを運用
- 第5航空群(那覇航空基地)
- 第21航空群(館山航空基地)
- 第101航空隊:自衛艦隊に所属する唯一の陸上哨戒ヘリコプター部隊
- 第121航空隊:第1護衛隊群の艦載ヘリコプター部隊
- 第123航空隊
- 舞鶴航空分遣隊(舞鶴飛行場)
- 第22航空群(大村航空基地)
- 第31航空群(岩国航空基地):US-1A、EP-3、UP-3D、U-36Aを運用
- 第51航空隊(厚木航空基地):航空機等の試験評価および運用指導
- 第61航空隊(厚木航空基地):YS-11、LC-90による輸送部隊
- 第111航空隊(岩国航空基地):ヘリコプターによる航空掃海部隊。
- 第1航空修理隊(鹿屋航空基地)
- 第2航空修理隊(八戸航空基地)
- 航空管制隊(厚木航空基地)
- 機動施設隊(八戸航空基地)
[編集] 司令官
代数 | 氏名 | 在任期間 | 出身校・期 | 前職 | 後職 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
初代 | 山田龍人 | 1961.9.1 - 1963.4.30 | 海兵58期 | 鹿屋航空隊司令 →1960.8.1幹部学校付 →自衛艦隊司令部付 |
大湊地方総監 | 就任時海将補 1963.1.1海将 |
第2代 | 大野義高 | 1963.5.1 - 1964.12.15 | 海兵59期 | 教育航空集団司令 | 佐世保地方総監 | 就任時海将補 在任中海将昇任 |
第3代 | 相生高秀 | 1964.12.16 - 1965.12.15 | 海兵59期 | 自衛艦隊幕僚長 | 自衛艦隊司令官 | 就任時海将補 1965.1.1海将 |
第4代 | 岡本晴年 | 1965.12.16 - 1967.12.31 | 海兵60期 | 幹部候補生学校長 | 退職 | |
第5代 | 伊吹正一 | 1968.1.1 - 1968.12.31 | 海兵62期 | 教育航空集団司令官 | 自衛艦隊司令官 | |
第6代 | 内田泰 | 1969.1.1 - 1971.1.15 | 海兵64期 | 教育航空集団司令官 →1968.12.16航空集団司令部付 |
呉地方総監 | |
第7代 | 安藤信雄 | 1971.1.16 - 1972.12.15 | 海兵65期 | 教育航空集団司令官 | 呉地方総監 | |
第8代 | 鮫島博一 | 1972.12.16 - 1973.11.30 | 海兵66期 | 教育航空集団司令官 | 海上幕僚長 | |
第9代 | 肥田眞幸 | 1973.12.1 - 1975.7.1 | 海兵67期 | 教育航空集団司令官 | 退職 | |
第10代 | 矢板康二 | 1975.7.1 - 1977.7.1 | 海兵69期 | 自衛艦隊司令部幕僚長 | 退職 | |
第11代 | 宮澤正介 | 1977.7.1 - 1979.2.1 | 海兵71期 | 教育航空集団司令官 | 退職 | |
第12代 | 門松安彦 | 1979.2.1 - 1980.2.14 | 海兵72期 | 自衛艦隊司令部幕僚長 | 幹部学校長 | |
第13代 | 青野壮 | 1980.2.15 - 1983.3.16 | 海兵73期 | 自衛艦隊司令部幕僚長 | 退職 | 定年延長 |
第14代 | 重野正夫 | 1983.3.16 - 1984.1.16 | 海兵75期 | 教育航空集団司令官 →1983.2.16自衛艦隊司令部付 |
佐世保地方総監 | |
第15代 | 古閑健一郎 | 1984.1.17 - 1985.7.31 | 教育航空集団司令官 | 自衛艦隊司令官 | ||
第16代 | 東山収一郎 | 1985.8.1 - 1986.6.16 | 東京水産大 | 自衛艦隊司令部幕僚長 | 横須賀地方総監 | |
第17代 | 寺井愛宕 | 1986.6.17 - 1987.7.6 | 教育航空集団司令官 | 横須賀地方総監 | ||
第18代 | 松本克彦 | 1987.7.7 - 1989.8.30 | 統合幕僚会議事務局第3幕僚室長 | 呉地方総監 | ||
第19代 | 岡田毅 | 1989.8.31 - 1991.3.16 | 自衛艦隊司令部幕僚長 | 退職 | ||
第20代 | 齊藤又三郎 | 1991.3.16 - 1992.3.16 | 教育航空集団司令官 | 退職 | ||
第21代 | 岡田孝 | 1992.3.16 - 1993.6.30 | 海上幕僚監部監察官 | 舞鶴地方総監 | ||
第22代 | 松本哲雄 | 1993.7.1 - 1995.6.30 | 防大5期 | 統合幕僚会議事務局第3幕僚室長 | 退職 | |
第23代 | 杉山靖樹 | 1995.6.30 - 1996.6.30 | 教育航空集団司令官 | 呉地方総監 | ||
第24代 | 藤田幸生 | 1996.7.1 - 1997.6.30 | 防大9期 | 教育航空集団司令官 | 海上幕僚副長 | |
第25代 | 仲摩徹彌 | 1997.7.1 - 1998.6.30 | 防大10期 | 教育航空集団司令官 | 呉地方総監 | |
第26代 | 福谷薫 | 1998.7.1 - 2000.3.29 | 防大12期 | 海上幕僚監部人事教育部長 | 幹部学校長 | |
第27代 | 角田陽三 | 2000.3.30 - 2002.3.22 | 防大11期 | 教育航空集団司令官 | 退職 | |
第28代 | 小串茂 | 2002.3.22 - 2003.3.26 | 防大13期 | 教育航空集団司令官 | 呉地方総監 | |
第29代 | 高橋亨 | 2003.3.27 - 2005.3.28 | 神奈川大 | 海上幕僚監部監察官 | 退職 | |
第30代 | 赤星慶治 | 2005.3.28 - 2007.3.27 | 防大17期 | 横須賀地方総監部幕僚長 | 佐世保地方総監 | |
第31代 | 松岡貞義 | 2007.3.28 - | 防大18期 | 大湊地方総監 |
[編集] 潜水艦隊
海上自衛隊の潜水艦部隊は、当初は第1潜水隊群(呉市)と第2潜水隊群(横須賀市)が編成上並列で、潜水艦の作戦運用は群司令部相互間の調整により実施していて、指揮・運用が二元化されていた。そのため、「防衛庁設置法等の一部を改正する法律」(昭和55年11月29日法律第93号)により、潜水艦隊が設けられることとなった(本改正と同時に曹長等の階級が新設された。)
- 潜水艦隊
[編集] 司令官
代数 | 氏名 | 在任期間 | 出身校・期 | 前職 | 後職 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
初代 | 安陪祐三 | 1981.2.10 - 1981.6.30 | 海兵75期 | 第2潜水隊群司令 | 佐世保地方総監 | |
第2代 | 藤川常夫 | 1981.7.1 - 1983.10.12 | 海兵75期 | 幹部候補生学校長 | 退職 | |
第3代 | 石原俊三 | 1983.10.12 - 1985.12.20 | 海兵78期 | 呉地方総監部幕僚長 | 退職 | 就任時海将補 1984.3.2海将 |
第4代 | 末貞臣 | 1985.12.20 - 1987.12.10 | 横須賀地方総監部幕僚長 | 統合幕僚会議事務局長 | ||
第5代 | 久保彰 | 1987.12.11 - 1989.8.31 | 横須賀地方総監部幕僚長 | 退職 | ||
第6代 | 新井利康 | 1989.8.31 - 1991.7.1 | 横須賀地方総監部幕僚長 | 退職 | ||
第7代 | 佐藤雅 | 1991.7.1 - 1993.3.23 | 海保大7期 | 統合幕僚会議事務局第2幕僚室長 | 呉地方総監 | |
第8代 | 西村義明 | 1993.3.24 - 1995.6.30 | 自衛艦隊司令部幕僚長 | 退職 | ||
第9代 | 平賀源太郎 | 1995.6.30 - 1996.7.1 | 統合幕僚会議事務局第1幕僚室長 | 退職 | ||
第10代 | 坂部邦夫 | 1996.7.1 - 1997.6.30 | 防大10期 | 海上幕僚監部人事教育部長 | 舞鶴地方総監 | |
第11代 | 三成裕二 | 1997.7.1 - 1998.12.8 | 防大8期 | 自衛艦隊司令部幕僚長 | 退職 | |
第12代 | 明野充功 | 1998.12.8 - 2000.6.30 | 防大10期 | 阪神基地隊司令 | 退職 | |
第13代 | 田内浩 | 2000.6.30 - 2002.3.21 | 海上幕僚監部調査部長 | 大湊地方総監 | ||
第14代 | 中尾誠三 | 2002.3.22 - 2004.3.28 | 防大14期 | 海上幕僚監部監理部長 | 佐世保地方総監 | |
第15代 | 田村力 | 2004.3.29 - 2005.7.27 | 防大15期 | 横須賀地方総監部幕僚長 | 幹部学校長 | |
第16代 | 杉本正彦 | 2005.7.28 - | 防大18期 | 海上幕僚監部監理部長 |
[編集] 掃海隊群
08中期防衛力整備計画(平成8年度-平成13年度)以降は次の編成となっている。
- 掃海隊群
昭和27年8月1日、保安庁(警備隊)発足に伴い、航路啓開業務は海上保安庁から保安庁に移され、海上保安庁から掃海船等76隻が移管された。これを受けて、昭和27年11月1日、第二幕僚監部(後の海上幕僚監部)並びに横須賀及び舞鶴地方総監部に航路啓開部が置かれると共に、両地方隊に航路啓開隊が新編され、その下に第1ないし第10掃海隊が新編された。昭和28年9月16日、地方隊の航路啓開隊は解隊されて、業務は新編された基地隊、基地警防隊等に移された。また、昭和28年10月16日に地方総監部が改組されて航路啓開部が廃止される。
昭和29年10月1日に、長官直轄の部隊として第1掃海隊群(司令部、掃海艦「桑栄丸」、掃海艇「ゆうちどり」、第4掃海隊、第7掃海隊)が新編された。この部隊は第2次世界大戦中に敷設された機雷の掃海業務が一段落ついた昭和44年3月15日に、長官直轄から自衛艦隊に編入された。
昭和36年9月1日に第2掃海隊群(司令部、護衛艦「きり」、掃海艦「桑栄」、敷設艦「つがる」、敷設挺「えりも」、第32掃海隊、第33掃海隊、第34掃海隊)が新編され、自衛艦隊に編入される。
昭和52年4月から昭和55年3月までのポスト4次防「基盤的防衛力構想」では、東西日本海域にそれぞれ1個ずつの、合計2個掃海隊群を維持するものとされ、それと同時に地方隊の任務達成上欠くことができない部隊として、各地方隊にも掃海隊が置かれる。
昭和57年度末には、2個掃海隊群及び地方隊に計14個掃海隊を保有していた。03中期防衛力整備計画(平成3年度-平成7年度)では、ペルシャ湾派遣掃海部隊の成果を反映した新型の07MSC「すがしま」型(510トン)2隻等の建造が計画された。
平成12年3月に、08中期防衛力整備計画(平成8年度-平成13年度)を受けて、第1・第2掃海隊群を合併して1個掃海隊群とし、併せて掃海隊群の司令部機能を充実させるという機雷戦部隊にとって大きな改編となった。
平成16年3月に第3掃海隊が廃止になり、以後4個掃海隊編制となる。
掃海部隊は、旧日本海軍解体後も特別に存続が許され、苛酷な環境の下で黙々と掃海作業に従事し、朝鮮戦争では特別掃海隊を派遣し、また保安庁警備隊時代も相当数の掃海艇を擁してきた沿革があり、世界中の海軍の中でも海上自衛隊の実力が特に高い分野であるとされている。
[編集] 群司令
代数 | 氏名 | 在任期間 | 出身校・期 | 前職 | 後職 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
第1掃海隊群司令(海将補) | ||||||
初代 | 吉松田守 | 1954.10.1 - 1956.1.15 | 海兵55期・海大38期 | 保安研修所所員(第二幕僚監部附) | 海上幕僚監部調査部長 | 姓は吉松 就任時1等海佐 1955.8.16海将補 |
第2代 | 山澤久治 | 1956.1.16 - 1957.7.31 | (海上保安官) | 呉地方総監 | 呉地方総監 | |
第3代 | 藏冨一馬 | 1957.8.1 - 1958.7.31 | 海兵56期・海大39期 | 防衛研修所勤務(海上幕僚監部所属) | 海上幕僚監部調査部長 | 就任時1等海佐 1957.8.16海将補 |
第4代 | 山上龜三雄 | 1958.8.1 - 1959.3.16 | 海兵55期 | 大阪基地隊司令 | 海将補・退職 | 就任時1等海佐 |
第5代 | 清水鶴造 | 1959.3.16 - 1961.4.30 | 海兵58期 | 第7護衛隊司令 →1959.1.16呉補充部附 →第1掃海隊群司令部附 |
横須賀地方副総監 | 1等海佐 |
第6代 | 岡本功 | 1961.5.1 - 1962.1.15 | 海兵57期・海大38期 | 幹部学校副校長 | 大湊地方総監 | |
第7代 | 西村友晴 | 1962.1.16 - 1962.6.30 | 海兵59期 | 統合幕僚会議事務局第3幕僚室長 | 海上幕僚監部防衛部付 →1962.7.16同部長 |
|
第8代 | 森永正彦 | 1962.7.1 - 1963.4.30 | 海兵59期 | 自衛艦隊幕僚長 | 横須賀地方副総監 | |
第9代 | 藥師神利晴 | 1963.5.1 - 1965.3.15 | 防衛研修所所員(海上幕僚監部所属) →1962.7.16海上幕僚監部付 |
横須賀地方副総監 | 就任時1等海佐 1963.7.1海将補 |
|
第10代 | 石田捨雄 | 1965.3.16 - | 海兵64期 | 海上幕僚監部防衛部防衛課長 | 海上幕僚監部付 →1966.5.16同総務部長 |
|
橋本正久 | - 1967.7.9 | 海上幕僚監部調査部長 | 就任時1等海佐 1966.7.1海将補 |
|||
石塚榮 | 1967.7.10 - 1968.12.31 | 海兵63期 | 防衛研修所副所長 | 第1術科学校長 | 1968.7.1海将 | |
石森重郎 | 1969.1.1 - 1969.12.15 | 海兵66期 | 舞鶴地方総監部防衛部長 →1968.12.16呉地方総監部付 |
自衛艦隊司令部付 →1970.4.1海上訓練指導隊群司令 |
就任時1等海佐 1969.7.1海将補 |
|
山口毅 | 1969.12.16 - 1971.6.30 | 第9護衛隊司令 | 海上幕僚監部付 →1971.12.16退職 |
就任時1等海佐 1970.1.1海将補 |
||
志賀博 | 1971.7.1 - 1973.1.31 | 防衛研修所所員 | 海上幕僚監部付 →1973.7.1退職 |
就任時1等海佐 1971.12.1海将補 |
||
西垣英夫 | 1973.2.1 - 1974.6.30 | 海兵71期 | 呉地方総監部防衛部長 →1972.12.16同総監部付 |
海上訓練指導隊群司令 | 就任時1等海佐 1973.12.1海将補 |
|
毎熊祐俊 | 1974.7.1 - 1975.12.15 | 海兵72期 | 幹部学校研究部員 | 海上幕僚監部付 →1976.4.1退職 |
就任時1等海佐 1974.10.1海将補 |
|
馬場正雄 | 1975.12.16 - 1977.1.31 | 第1術科学校教育第1部長 | 舞鶴地方総監部幕僚長 | 就任時1等海佐 1976.5.17海将補 |
||
山田善照 | 1977.2.1 - 1973.6.30 | 海兵75期 | 海上幕僚監部総務部人事課長 | 防衛大学校訓練部長 | ||
高宮良國 | 1978.7.1 - 1980.6.30 | 海兵74期 | 第34護衛隊司令 | 海上幕僚監部付 →1980.12.5退職 |
就任時1等海佐 1979.2.1海将補 |
|
内富男 | 1980.7.1 - 1981.6.30 | 自衛艦隊司令部幕僚 | 呉地方総監部幕僚長 | |||
河合恒二 | 1981.7.1 - 1983.12.19 | 函館基地隊司令 | 第2掃海隊群司令 | 1等海佐 | ||
内海久 | 1983.12.20 - 1986.7.1 | 第52護衛隊司令 →1983.3.30佐世保地方総監部付 |
退職 | 就任時1等海佐 1985.8.1海将補 |
||
尾澤一好 | 1986.7.1 - 1987.7.6 | 海上幕僚監部総務部法務課長 | 警務隊司令 | 1等海佐 | ||
小林義明 | 1987.7.7 - 1988.7.6 | 開発指導隊群司令部首席幕僚 | 第2掃海隊群司令 | 1等海佐 | ||
黒川武彦 | 1988.7.7 - 1990.3.16 | 幹部学校主任教官 | 海将補・退職 | 就任時1等海佐 | ||
木内正人 | 1990.3.16 - 1991.3.20 | 福井地方連絡部長 | 海将補・退職 | 就任時1等海佐 | ||
落合畯 | 1991.3.20 - 1991.12.1 | 防大7期 | 長崎地方連絡部長 | 海上幕僚監部付 →1992.1.13呉地方総監部幕僚長 |
下の名は 「峻」の偏が「田」 1等海佐 |
|
水村宏 | 1991.12.2 - 1994.8.1 | 幹部候補生学校副校長 | 海将補・退職 | 就任時1等海佐 | ||
芹川正信 | 1994.8.1 - 1996.3.25 | 防大10期 | 海上幕僚監部人事教育部教育課長 | 第2掃海隊群司令 | 1等海佐 | |
宮下英久 | 1996.3.25 - 1997.4.1 | 第1海上訓練指導隊司令 | 海将補・退職 | 就任時1等海佐 | ||
平井良彦 | 1997.4.1 - 1998.8.3 | 防大13期 | 海上幕僚監部人事教育部教育課長 | 第1術科学校副校長 | ||
小森谷義男 | 1998.8.3 - 2000.3.13 | 鹿児島地方連絡部長 | 海将補・退職 | 就任時1等海佐 | ||
第2掃海隊群司令(海将補) | ||||||
初代 | 井上團平 | 1961.9.1 - 1963.1.15 | 海兵60期 | 海上幕僚監部防衛部運用課長 →1961.7.15自衛艦隊司令部付 |
幹部学校付 →1963.4.1同副校長 |
就任時1等海佐 1962.7.1海将補 |
第2代 | 竹山百合人 | 1963.1.16 - 1964.7.15 | 海兵61期 | 幹部学校教育部長 | 海上幕僚監部付 →1964.8.14同防衛部長 |
|
第3代 | 南部伸清 | 1964.7.16 - 1965.5.15 | 海兵61期 | 統合幕僚学校副校長 | 海上幕僚監部付 →1965.7.1退職 |
|
第4代 | 余田四郎 | 1965.5.16 - | 海兵64期 | 海上幕僚監部防衛部運用課長 | 就任時1等海佐 1965.7.1海将補 |
|
柳田益雄 | - 1967.6.30 | 海兵65期 | 防衛大学校訓練部長 | 就任時1等海佐 1966.7.1海将補 |
||
加藤善一郎 | 1967.7.1 - 1968.7.15 | 海上幕僚監部調査部調査第1課長 →1967.6.16自衛艦隊司令部付 |
自衛隊神奈川地方連絡部長 | |||
関清栄 | 1968.7.16 - 1969.12.15 | 海兵65期 | 統合幕僚会議事務局第1幕僚室長 | 阪神基地隊司令 | ||
市瀬信 | 1969.12.16 - 1971.3.31 | 海兵65期 | 阪神基地隊司令 | 海上幕僚監部付 →1971.6.30退職 |
||
松尾敬次 | 1971.4.1 - 1972.6.30 | 海兵67期 | 呉地方総監部幕僚長 | 海上幕僚監部付 →1973.1.1退職 |
||
藤永壽 | 1972.7.1 - 1974.3.31 | 海兵70期 | 護衛艦隊司令部幕僚長 | 幹部学校副校長 | ||
伊藤治義 | 1974.4.1 - 1975.12.15 | 海兵70期 | 第1輸送隊司令 →1973.7.16自衛艦隊司令部付 |
海上幕僚監部付 →1976.4.1退職 |
||
田尻正司 | 1975.12.16 - 1977.1.31 | 海兵73期 | 幹部学校教育部長 | 防衛研修所研究部第6研究室長 | ||
來島照彦 | 1977.2.1 - 1978.3.15 | 海兵72期 | 舞鶴地方総監部幕僚長 | 海上幕僚監部付 → |
||
片桐宏平 | 1978.3.16 - 1979.7.31 | 海兵74期 | 佐世保地方総監部防衛部長 | 統合幕僚会議事務局第3幕僚室長 | ||
安岡亀雄 | 1979.8.1 - 1980.10.6 | 海兵76期 | 海上幕僚監部調査部調査第2課長 | 海上幕僚監部調査部長 | ||
高崎郁男 | 1980.10.7 - 1982.1.10 | 海上幕僚監部総務部人事課長 | 海上幕僚監部総務部長 | 就任時1等海佐 1981.1.1海将補 |
||
末貞臣 | 1982.1.11 - 1983.3.15 | 海上幕僚監部調査部調査第1課長 | 海上幕僚監部付 →1983.4.26同調査部長 |
|||
蘆田義悟 | 1983.3.16 - 1983.12.19 | 第1術科学校教育第3部長 | 呉地方総監部付 →1984.2.17退職 |
1等海佐 | ||
河合恒二 | 1983.12.20 - 1985.12.19 | 第1掃海隊群司令 | 海洋業務群司令 | 就任時1等海佐 1984.7.1海将補 |
||
高山雅司 | 1985.12.20 - 1986.12.4 | 防大1期 | 幹部学校研究部長 | 防衛大学校教授 | ||
今泉康昭 | 1986.12.5 - 1988.7.6 | 舞鶴地方総監部幕僚長 →1986.8.5自衛艦隊司令部付 |
佐世保地方総監部幕僚長 | |||
小林義明 | 1988.7.7 - 1989.8.1 | 第1掃海隊群司令 | 退職 | |||
堀内敏夫 | 1989.8.1 - 1991.3.15 | 大湊地方総監部幕僚長 | 海上幕僚監部付 →1991.3.30退職 |
|||
小林幸雄 | 1991.3.16 - 1993.4.1 | 防大6期 | 大湊地方総監部防衛部長 | 退職 | 就任時1等海佐 1991.3.30海将補 |
|
落合畯 | 1993.4.1 - 1994.3.31 | 防大7期 | 呉地方総監部幕僚長 | 第1術科学校長 | 下の名は 「峻」の偏が「田」 |
|
茂木通保 | 1994.4.1 - 1996.3.24 | 自衛艦隊司令部作戦主任幕僚 | 防衛大学校訓練部長 | |||
芹川正信 | 1996.3.25 - 1999.12.10 | 防大10期 | 第1掃海隊群司令 | 退職 | ||
平井良彦 | 1999.12.10 - 2000.3.12 | 防大13期 | 第1術科学校副校長 | 掃海隊群司令 | ||
掃海隊群司令(海将補) | ||||||
初代 | 平井良彦 | 2000.3.13 - 2001.3.26 | 防大13期 | 第2掃海隊群司令 | 第1術科学校長 | |
第2代 | 河村雅美 | 2001.3.27 - 2003.7.1 | 掃海隊群司令部幕僚長 | 退職 | ||
第3代 | 森田良行 | 2003.7.1 - 2005.7.28 | 防大15期 | 下関基地隊司令 | 退職 | |
第4代 | 加藤耕司 | 2005.7.28 - | 防大20期 | 統合幕僚会議事務局第1幕僚室長 |
[編集] 情報業務群
- 情報業務群
- 情報業務群司令部
- 作戦情報支援隊
- 基礎情報支援隊
- 電子情報支援隊
[編集] 群司令
代数 | 氏名 | 在任期間 | 出身校・期 | 前職 | 後職 |
---|---|---|---|---|---|
初代 | 青柳亀平 | 1997.1.20 - | 第111航空隊司令 →1996.3.31海上幕僚監部調査部勤務 |
||
第2代 | 児玉和敏 | - 2000.12.8 | 海将補・退職 | ||
第3代 | 吉村研二 | 2000.12.8 - 2002.8.1 | 大湊警備隊司令 | 海将補・退職 | |
第4代 | 関口英雄 | 2002.8.1 - 2004.4.1 | 情報本部情報官 | 海将補・退職 | |
第5代 | 宮崎行隆 | 2004.4.1 - 2005.7.27 | 防大20期 | 海上幕僚監部調査部調査課長 | 第3護衛隊群司令 |
第6代 | 小原久志 | 2005.7.28 - 2006.8.4 | 横須賀教育隊司令 | 海将補・退職 | |
第7代 | 横山史朗 | 2006.8.4 - | 情報本部情報官 |
|
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内閣情報会議 | 合同情報会議(☆がその構成機関) |
内閣官房☆ | 内閣情報調査室(内調)☆ |
防衛省☆ | 情報本部 自衛隊…情報保全隊|陸自中央情報隊|海自情報業務群|空自作戦情報隊 |
警察庁☆ | 警備局☆ 警視庁…公安部 道府県警察本部…警備部 |
海上保安庁 | 警備救難部…情報調査室 |
法務省 | 公安調査庁☆ |
外務省☆ | 国際情報統括官組織☆ |
[編集] 海洋業務群
2006年(平成18年度)9月に長官直轄から自衛艦隊直轄に変更された。
- 海洋業務群
[編集] 群司令
代数 | 氏名 | 在任期間 | 出身校・期 | 前職 | 後職 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
初代 | 川村成 | 1980.3.17 - 1986.12.1 | 海洋業務隊司令 | 装備実験隊司令 | ||
第2代 | 田中守 | 1986.12.2 - 1983.8.1 | 横須賀潜水艦基地隊司令 | 退職 | 1982.7.1海将補 | |
第3代 | 竹内秀一 | 1983.8.1 - 1985.12.19 | ふじ艦長 →1983.6.2自衛艦隊司令部付 |
横須賀地方総監部付 →1986.2.17佐世保教育隊司令 |
||
第4代 | 河合恒二 | 1985.12.20 - 1987.7.7 | 第2掃海隊群司令 | 退職 | 海将補 | |
第5代 | 佐藤保 | 1987.7.7 - 1989.8.1 | 第33護衛隊司令 | 海将補・退職 | ||
第6代 | 伊藤和賢 | 1989.8.1 - 1991.3.20 | 第1潜水隊群司令 | 海将補・退職 | ||
第7代 | 向井朗 | 1991.3.20 - 1992.3.23 | 第1術科学校副校長 | 海将補・退職 | ||
第8代 | 永田眞晟 | 1992.3.23 - 1993.12.20 | 運用開発隊司令 | 海将補・退職 | ||
第9代 | 平田清勝 | 1993.12.20 - 1995.4.1 | 統合幕僚会議事務局第1幕僚室企画調整官 | 海将補・退職 | ||
第10代 | 玉井晃 | 1995.4.1 - 1996.12.2 | 幹部候補生学校副校長 | 海将補・退職 | ||
第11代 | 藤村輝行 | 1996.12.2 - 1998.8.3 | 第1術科学校副校長 | 海将補・退職 | ||
第12代 | 古川俊男 | 1998.8.3 - 1999.8.2 | 第1術科学校副校長 | 海将補・退職 | ||
第13代 | 竹島信博 | 1999.8.2 - 2001.4.2 | 函館基地隊司令 | 海将補・退職 | ||
第14代 | 重水義也 | 2001.4.2 - 2002.12.16 | 第1海上訓練指導隊司令 | 海将補・退職 | ||
第15代 | 岩谷文隆 | 2002.12.16 - 2003.12.19 | 横須賀地方総監部防衛部長 | 海将補・退職 | ||
第16代 | 清末純博 | 2003.12.19 - 2005.7.1 | 横須賀地方総監部管理部長 | 退職 | ||
第17代 | 中塚久雄 | 2005.7.1 - | 第1術科学校副校長 |
[編集] 開発隊群
[編集] 群司令
代数 | 氏名 | 在任期間 | 出身校・期 | 前職 | 後職 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
開発指導隊群司令 | ||||||
初代 | 成合正義 | 1978.7.1 - 1979.1.31 | 海兵73期 | 海上訓練指導隊群司令 | 海上幕僚監部付 →1979.4.2退職 |
|
第2代 | 伴野丈夫 | 1979.2.1 - 1980.12.4 | 海兵74期 | 第2護衛隊群司令 | 第1術科学校長 | 1979.3.22海将 |
第3代 | 植田一雄 | 1980.12.5 - 1981.12.25 | 海兵74期 | 海上幕僚監部監察官 | 退職 | 海将 |
第4代 | 曽根龍男 | 1981.12.25 - 1983.7.1 | 第1術科学校副校長 | 退職 | ||
第5代 | 能津長和 | 1983.7.1 - 1984.6.5 | 海上幕僚監部防衛部副部長 →1983.1.20自衛艦隊司令部付 |
護衛艦隊司令官 | ||
第6代 | 小畑清幸 | 1984.6.6 - 1985.12.20 | 海兵78期 | 統合幕僚会議事務局第3幕僚室長 →1984.3.16海上幕僚監部付 |
退職 | 1985.8.1海将 |
第7代 | 小川正美 | 1985.12.20 - 1986.12.5 | 練習艦隊司令官 →1984.12.17自衛艦隊司令部勤務 |
退職 | ||
第8代 | 白石洋介 | 1986.12.5 - 1988.3.15 | 第3護衛隊群司令 | 海上幕僚監部付 →1988.7.7退職 |
||
第9代 | 鈴木克男 | 1988.3.16 - 1989.6.30 | 舞鶴地方総監部幕僚長 | 退職 | ||
第10代 | 野崎亮 | 1989.6.30 - 1990.7.9 | プログラム業務隊司令 | 退職 | 就任時1等海佐 1989.8.1海将補 |
|
第11代 | 齋藤克彦 | 1990.7.9 - 1993.12.15 | 第1護衛隊群司令 | 退職 | ||
第12代 | 五味睦佳 | 1993.12.15 - 1995.3.22 | 防大8期 | 練習艦隊司令官 | 大湊地方総監 | |
第13代 | 長崎嘉徳 | 1995.3.23 - 1997.3.25 | 佐世保地方総監部幕僚長 | 第1術科学校長 | ||
第14代 | 山田道雄 | 1997.3.26 - 1999.3.30 | 防大11期 | 練習艦隊司令官 →1996.12.16海上幕僚監部付 |
幹部学校長 | |
第15代 | 中河道春 | 1999.3.31 - 2001.1.10 | 自衛艦隊司令部作戦主任幕僚 | 退職 | ||
第16代 | 関泰雄 | 2001.1.11 - 2002.3.21 | 海上幕僚監部監察官 | 開発隊群司令 | ||
開発隊群司令 | ||||||
初代 | 関泰雄 | 2002.3.22 - 2002.12.1 | 開発指導隊群司令 | 第1術科学校長 | ||
第2代 | 篠原俊 | 2002.12.2 - 2005.7.28 | 防大15期 | 第1護衛隊群司令 →2002.11.8自衛艦隊司令部付 |
退職 | |
第3代 | 古閑修 | 2005.7.28 - 2006.8.4 | 防大16期 | 第3護衛隊群司令 | 退職 | |
第4代 | 東郷行紀 | 2006.8.4 - | 防大18期 | 海上幕僚監部指揮通信情報部長 |
[編集] その他の直轄部隊
- 特別警備隊(SBU)