高橋源一郎
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高橋 源一郎(たかはし げんいちろう、1951年1月1日 - )は、日本の小説家。広島県尾道市生まれ。灘高等学校を経て横浜国立大学経済学部除籍。大学時代、学生運動に加わって凶器準備集合罪で逮捕起訴され、東京拘置所で半年を過ごしていたときに失語症を患い、リハビリテーションとして小説を書き始めた。元妻の谷川直子は小説家。前妻の室井佑月も小説家。2005年4月から明治学院大学国際学部教授。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] 1950年代
[編集] 1960年代
1964年、鮎川信夫、谷川雁、鈴木志郎康等の現代詩を初めて読む。灘中の同級生竹信悦夫から多大な文学的影響を受ける。 1969年4月、灘高校を卒業。横浜国立大学経済学部に入学、その後退学する。
[編集] 1970年代
[編集] 1980年代
1980年『すばらしい日本の戦争』を群像新人文学賞に応募するが、落選。 1981年、『さようなら、ギャングたち』で群像新人長編小説賞優秀作を受賞してデビューする。柄谷行人、蓮実重彦、吉本隆明などから絶賛される。 1984年、『虹の彼方へ(オーヴァー・ザ・レインボウ)』を発表。 1985年、『すばらしい日本の戦争』を少し書きかえた『ジョン・レノン対火星人』を発表。 1988年、 小林恭二、中沢新一、佐伯一麦、島田雅彦、山田詠美、吉本ばなな、松浦理英子など、高橋も含めて総勢12人の候補の大混戦となった第1回三島由紀夫賞を、『優雅で感傷的な日本野球』で選考委員の大江健三郎と江藤淳の2票を獲得して受賞する。 ちなみに、この時の賞金の100万円は全額、日本ダービーにつぎ込み、一瞬にして使い果たす。 高橋が買っていたメジロアルダンは、ゴール直前にいったん先頭に立つも一度競り落としたはずのサクラチヨノオーの粘り腰に再度逆転を許し、2着に終わっている。
[編集] 1990年代
競馬好きが高じて、テレビの競馬関連の番組に進出。『スポーツうるぐす』(日本テレビ)では、司会の江川卓と予想対決を繰り広げたほか、『ドリーム競馬KOKURA』(テレビ西日本制作分)ではゲストとしてたびたび出演。盟友だった佐藤征一アナウンサーが定年の関係もあって番組の表から遠ざかった後は、コメンテーター的司会として毎回出演するようになり、現在に至っている。この2つの番組によって、高橋は「競馬好き作家」としてすっかり有名になった。ちなみに、高橋降板後の『うるぐす』には、関西テレビを定年退職した杉本清が入っている。
[編集] 2000年代
2002年、『日本文学盛衰史』が伊藤整文学賞を受ける。賛否がかまびすしく、同賞の受賞は津島佑子の強い推薦によるもの。同作は実際の近代日本の文学者を現代日本に復活させ、ありえた架空の世界を描いている。高橋源一郎らしいシミュラークルの物語である。現代のアダルトな文化を明治大正の作家の存在と組み合わせることで、近年は新しい小説のスタイルを確立している。
なお、レギュラーとして出演していた『DREAM競馬』については、2007年2月11日の放送を最後に藤城真木子ともども降板した。
[編集] 作品リスト
- 『さようなら、ギャングたち』
- 『虹の彼方へ(オーヴァー・ザ・レインボウ)』
- 『ジョン・レノン対火星人』
- 『優雅で感傷的な日本野球』
- 『ペンギン村に陽は落ちて』
- 『ぼくがしまうま語をしゃべった頃』
- 『文学王』
- 『あ・だ・る・と』
- 『日本文学盛衰史』
- 『ゴヂラ』
- 『官能小説家』
- 『君が代は千代に八千代に』
- 『一億三千万人のための小説教室(岩波新書)』
- 『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』
- 『人に言えない習慣、罪深い愉しみ』(書評集)
- 『性交と恋愛にまつわるいくつかの物語』
ほか多数