鳥海永行
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鳥海 永行(とりうみ ひさゆき、1941年10月29日- )は、神奈川県伊勢原市出身の日本の男性アニメーション監督、小説家である。中央大学法学部政治学科を卒業。
代表作は、タツノコプロでの『科学忍者隊ガッチャマン』。押井守が師匠と仰ぎ、1983年に押井と共同で監督したアニメ『ダロス』は、世界初のオリジナルビデオアニメ作品の栄誉を担った。押井が原作の漫画に登場するアニメ演出家のモデルはこの鳥海である。押井は「トリさん」と呼び、また猛禽類とも評する。2005年現在、40年近くのキャリアを誇り、1993年からのテレビシリーズ『しましまとらのしまじろう』では監督を長く続けた。
1980年代からはソノラマ文庫で小説の執筆を開始した。電撃文庫も発表の場としている。
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[編集] 略歴
大学在学中にシナリオ研究所に通い、1966年2月にタツノコプロへ入社。『マッハGoGoGo』の準備段階だった頃という。鳥海は脚本家を志望したが、当時のタツノコプロには文芸部がなかったため、演出部に所属し、九里一平、笹川ひろし、原征太郎らの下で演出家の道を歩むことになった。漫画家からの転身でもなく、他のスタジオでのアニメの経験もない鳥海は、タツノコプロ育ちの演出家としては第一世代になる。いくつかの作品で経験を経た後、前々から吉田竜夫社長から監督の打診を受けた鳥海は、原征太郎からの推挙もあり、1972年に『科学忍者隊ガッチャマン』の総監督に抜擢。同作は、タイムボカンシリーズと並んで、タツノコプロの代名詞とも言える大ヒット作となった。特に第1話「ガッチャマン対タートル・キング」の迫力は高い評価を受けた。以後、『破裏拳ポリマー』(1974年)、『宇宙の騎士テッカマン』(1975年)、『ゴワッパー5 ゴーダム(1976年)とタツノコプロでヒーローもののテレビアニメを手がけていく。タツノコプロ時代の鳥海を、押井守、西久保瑞穂、うえだひでひと、真下耕一ら当時所属していた若手演出家達は、厳しい人、怖かったと口を揃える。タツノコプロは、1970年代後半から有力スタッフが抜けていくが、鳥海も1978年12月に退社してフリーとして活動を始めた。1979年4月より日本サンライズ制作のテレビアニメ『ザ☆ウルトラマン』の監督を担当していたが、5月にタツノコプロ出身の演出家で作られたアニメ制作会社スタジオぴえろの設立に参加することなり、『ザ☆ウルトラマン』は途中降板。スタジオぴえろでは、『ニルスのふしぎな旅』(1980年)、『太陽の子エステバン』(1982年)などのテレビアニメを担当した。この頃、押井守も鳥海を私淑してタツノコプロからスタジオぴえろへ移籍し、押井は『ニルスのふしぎな旅』の各話演出として鳥海に仕えている。この作品で押井は鳥海に演出家として育ててもらったと回想する。さらに鳥海は、前述の世界初のOVA『ダロス』、同じくOVAで新谷かおる原作の『エリア88』といったメカものを任された。『エリア88』の完成度は高く評価され、第4回日本アニメ大賞オリジナルビデオソフト最優秀作品賞を受賞している。その後はスタジオぴえろを退社して再びフリーで活動した。
[編集] 作品リスト
[編集] アニメ
[編集] 監督
- 科学忍者隊ガッチャマン
- 宇宙の騎士テッカマン(笹川ひろしと連名)
- 破裏拳ポリマー
- ゴワッパー5 ゴーダム
- ザ☆ウルトラマン
- ニルスのふしぎな旅
- 太陽の子エステバン
- 宇宙戦士バルディオス [劇場版]
- ダロス
- エリア88
- LILY C.A.T
- 沙羅曼蛇
- 雲のように風のように
- しましまとらのしまじろう
- ピンカと海のお友だち
[編集] 演出
[編集] 監修
[編集] 小説
- 球形のフィグリドシリーズ
- 時の影
- 聖・八犬伝.
- フルムーン伝説インドラ
- 復活の神剣
- 水無し川かげろう草子
- 光の騎士伝説
- 標的は悪魔
- 妖門記