タツノコプロ
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タツノコプロは、日本のアニメ制作会社。 正式社名は設立当初より株式会社竜の子プロダクションという。このため竜の子プロ、タツノコプロダクションとも呼ばれる。英文名称はTatsunoko Production Co., Ltd.。本社は東京都国分寺市南町3丁目22番12号。コーポレート・キャラクターはタツノオトシゴ。
漫画等の原作を元にしないオリジナルアニメを得意とし、そのため作品にかかわる権利の9割以上を自社単独で保有している。 1970年代を中心に、人気作品を多く輩出した。
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[編集] 歴史
- 1962年10月19日、漫画家の吉田竜夫が、自身のマネージャーを務めていた弟の吉田健二らと共に設立。竜夫の末弟で漫画家の九里一平(本名: 吉田豊治)も、竜夫と健二に勧められるまま参加。3兄弟が代表権を持つ取締役に就任し、竜夫が社長、健二が専務、九里が常務となった。
- 1964年、タツノコプロへ東映動画からテレビアニメ制作の企画が持ち込まれるが、著作権の配分を巡って制作開始直前に中止。
- タツノコプロが原作と演出、東映動画が作画以降の作業を分担する形。東映動画は独自に『宇宙パトロールホッパ』を制作した。
- このとき、タツノコ側からはアシスタントの原征太郎と吉田兄弟の友人の漫画家笹川ひろしが東映動画で3ヶ月のアニメーター養成研修を受けた。
- 1967年4月、カラー作品第1号『マッハGoGoGo』が放送開始。
- 以後、吉田竜夫が原作を務めた作品と『いなかっぺ大将』などの他の原作者による作品を並行しながらアニメ制作を続ける。
- 主に『科学忍者隊ガッチャマン』などのSFアクションヒーロー物を制作する一方、スラップスティックギャグや家庭向け作品を多く制作する。
- 1973年、タツノコランドを設立。
- 同社はタツノコプロのキャラクターをプラモデル化、販売は今井科学が行なった。タツノコランドはテレビアニメ『新造人間キャシャーン』『破裏拳ポリマー』のスポンサーにもなった。
- 1978年、アニメーター養成機関、タツノコアニメ技術研究所を設立。
- 1985年9月、『炎のアルペンローゼ』を最後に、タツノコ制作によるアニメがフジテレビ系列で放送されることはなくなった。
- ちなみにフジテレビの現在のロゴ(目玉印など)は翌年から使われている。従ってタツノコプロで本放送がフジテレビの作品のタイトルクレジットの「フジテレビ」の字体は全て旧ロゴ(目玉印なし。ロゴの字体は太い)である。
- 一方、『ドテラマン』を皮切りに、1971年に制作・放送された『アニメンタリー 決断』以来15年ぶりに日本テレビでタツノコ制作のアニメが放映された。また、タイムボカンシリーズなど多くの作品が、再放送も含めてテレビ東京で放送され、「アニメのテレ東」確立の一端となる。
- 1987年
- 吉田健二社長が退任し、タツノコを退社。九里一平が第3代社長に就任。
- 健二前社長は退任後、独自のプロダクション「遊エンターテインメント」を設立。同社でアニメ『横山光輝 三国志』の制作に関わる。
- 12月、竜の子制作分室が独立して有限会社アイジータツノコ(現: Production I.G)が設立される。設立にあたって、タツノコプロは資本金の20%を出資。1993年に資本関係は解消。
- 吉田健二社長が退任し、タツノコを退社。九里一平が第3代社長に就任。
- 1990年
- 杉井興治率いるタツノコアニメ技術研究所が、アニメーション21結成に参加して独立。
- 9月、アニメフレンドを解散。
- 『ロビンフッドの大冒険』の放映がNHK衛星第2テレビで開始、タツノコアニメが初めてNHKで放映される。
- 1995年、吉田健二前社長がタツノコに復帰、初代会長に就任。
- 2000年、タイムボカンシリーズ17年ぶりの新作、『怪盗きらめきマン』がテレビ東京系で放映される。
- 2004年、映像作家の紀里谷和明が『新造人間キャシャーン』を自ら監督を務めて実写映画化(『CASSHERN』)。ただし、タツノコプロは原作者としてクレジットされただけで、制作には一切関与していない。
[編集] 代表作
[編集] 日曜夕方18時フジテレビ枠
『ハクション大魔王』の放送が開始された1969年10月から、『未来警察ウラシマン』が土曜日に移転した1983年3月まで、フジテレビの日曜夕方18時枠は13年半にわたりタツノコアニメが独占していた。
- ハクション大魔王
- いなかっぺ大将
- 科学忍者隊ガッチャマン
- てんとう虫の歌
- ポールのミラクル大作戦
- 一発貫太くん
- 科学忍者隊ガッチャマンII
- 科学忍者隊ガッチャマンF
- とんでも戦士ムテキング
- ダッシュ勝平
- 未来警察ウラシマン
[編集] タイムボカンシリーズ
[編集] その他・あ行
- 赤い光弾ジリオン
- アクビガール
- アニメ親子劇場
- アニメンタリー 決断
- 宇宙エース
- 宇宙の騎士テッカマン
- 宇宙の騎士テッカマンブレード
- 黄金戦士ゴールドライタン
- OKAWARI-BOY スターザンS
- おらあグズラだど
[編集] か行
[編集] さ行
[編集] た行
[編集] な~や行
- ナースウィッチ小麦ちゃんマジカルて
- 破裏拳ポリマー
- 光の伝説
- 風船少女テンプルちゃん
- 炎のアルペンローゼ
- マッハGoGoGo
- 無責任艦長タイラー
- 森の陽気な小人たちベルフィーとリルビット
- よばれてとびでて!アクビちゃん
- よろしくメカドック
[編集] 他社主導作品の共同制作
タツノコプロは『超時空要塞マクロス』『無責任艦長タイラー』『新世紀エヴァンゲリオン』などの制作にも携わったが、外部企画による作品であり、あくまでも協力的立場での参加のため自社単独で権利を保有しておらず、従ってこれらは自社ウェブサイト上の作品リストには掲載されてない。
[編集] 特色
[編集] キャラクター造形
タツノコプロのアニメ企画作りはまずキャラクター作りから始まっており、2000年代現在もタツノコから産まれたキャラクターは根強い人気を誇る。『宇宙の騎士テッカマンブレード』のプラモデル(発売元: バンダイ)が通商産業省のグッドデザインを受賞(1992年度)したり、タツノコプロの歴代ヒーローをモデル化したミクロマン2003(発売元: タカラ)が発売直後に売り切れるなど、キャラクターのプロポーションのよさは評価が高い。
元々吉田竜夫の作品は『忍者部隊月光』など、劇画タッチのアクション物として知られており、アニメーションにもその作風が発揮されていた。吉田竜夫、九里一平、天野嘉孝らの描いたアメリカンコミックを思わせるカラフルでスタイリッシュ・肉感的なキャラクターが魅力の一つに数えられ、これは作品の海外輸出を強く意識した結果だと言われている。1960年代の代表作である『マッハGoGoGo』はアメリカに輸出され "Speed Racer" の題で人気を博し、一部のアメリカ人がアメリカ製のアニメーションだと信じていたとの逸話も残すほどだった。アクションものともにタツノコプロの2本柱となった笹川ひろし監督によるギャグもの『ハクション大魔王』「タイムボカンシリーズ」も根強い人気でキャラクター商品に人気があるが、こちらもアクションものと同様にデザインはバタくさく、美術設定などは日本を感じさせない無国籍風の作りとなっている。
タツノコプロの1990年代の苦境を凌げたのは、吉田竜夫らの遺した財産とも言えるキャラクターたちだった。1970年代の人気作品を続々とリメイクする企画によって作品をリリースすることが出来たのである。タツノコオリジナルキャラクターには業界内でもファンが多く、1973年に製作された『新造人間キャシャーン』が、30年を時を経て2004年に『CASSHERN』の題で実写映画化。さらにアメリカでも、2005年に映画会社ワーナーブラザーズによって『マッハGoGoGo』が実写映画化される動きが伝えられた。
[編集] 映像
タツノコ作品の映像は質の高さ・ユニークさで定評があり、代表作とも言える『科学忍者隊ガッチャマン』では、特にハイクオリティな映像にこだわり、CGが無い時代に、セル画は1万枚を超えたこともあった。当時アニメの撮影では35ミリフィルムが一般的だったのに対して、16ミリフィルムで製作されたが、その映像の質の高さは、1972年放送とは思えないほど鮮明とも評される。これには難しい吉田のキャラクターを描ける、タツノコアクションの人気には、宮本貞雄、須田正己、二宮常雄、湖川友謙といったアニメーターの力もあった。
映像の表現については、セルアニメーションにこだわらない貪欲さを見せ、実写映像を撮影あるいは、フィルムを購入して、アニメに挿入するなどした。東洋現像所(現: IMAGICA)に導入されたばかりの映像効果スキャニメイトをいち早くアニメに導入したのはタツノコプロである。これは初期のCGとも評されるもので、アナログ処理による画像を変形させる効果が、『タイムボカン』シリーズのタイムトラベルシーン、1975年製作の『宇宙の騎士テッカマン』のオープニング演出など、いくつかのタツノコ作品で使われた。特撮では日本現代企画が『スーパーロボット マッハバロン』『少年探偵団 (BD7)』で同じ技術を使っており、アニメ・特撮ファンにはこの2社による採用が最も有名である。
[編集] シンジケーション
テレビアニメ進出当初からフジテレビとは関係が深く、土曜日の18時30分から19時の時間帯と日曜日の18時から18時30分の時間帯は一時期タツノコアニメが独占していた。広告代理店の読売広告社(読広)の初のテレビ作品がタツノコプロの『宇宙エース』であり、以後も読広と組むことが多かった。初期には読広がタツノコプロの音響製作をし、読広の社員が予告のナレーション台本も担当。多くのタイトルが読広の電波担当役員の松山貴之によって名付けられ、松山は読広退社後の1995年12月から1996年11月までタツノコプロの会長に迎えられる間柄でもあった。
[編集] 社内体制
タツノコプロには企画から撮影まで社内のみで完結する一貫した制作体制が整っていた。かつては東映動画や虫プロダクション(旧社)も同様の体制を保持していたが、これらが合理化や倒産により消滅したあともタツノコのみは長くこの体制を維持した。押井守は演出家の修業の上でそれが役立ったことを語っている。
外注プロダクションでは作画のタマプロが大いに貢献している。後に韓国ルートを開拓し、子会社のアニメフレンドを設立した。
近年は制作本数の減少に伴い、他社と同様に、正社員を減らして作品ごとに契約スタッフを採用する形にし、スタジオ経営のスリム化を図っている。
- キャラクター室
- 吉田竜夫社長が直轄していた独立性の高い部署。天野嘉孝(名前は当時)、高田明美、下元明子が在籍。
- 企画文芸部
- 日活出身の脚本家、鳥海尽三が虫プロを経て移籍してきたのを契機に設立。鳥海尽三を部長に、小山高生、柳川茂らが所属した。
- 美術部
- 中村光毅が部長。美術デザイン、世界設定のみならず、メカニックデザインも行なった。大河原邦男、多田喜久子らが所属。
- 演出部
- 部長は笹川ひろし。原征太郎、鳥海永行、布川ゆうじ、押井守、真下耕一、うえだひでひと、西久保利彦らが活躍。タツノコでは演出が動画チェックも行なった。
- 出版部・版権部
- 版権管理の他、タツノコアニメのコミカライズや絵本、版権イラストを担当。天馬正人や内山まもるが在籍。
- CM部
- コマーシャルやPR映画などを制作。後に葦プロダクションを設立する佐藤俊彦、加藤博らが在籍した。
[編集] 出身者
- 天野喜孝(イラストレーター)
- 池端俊策(脚本家)- 大学卒業後、半年のみ勤務。
- 押井守(アニメ映画監督)
- 大河原邦男(『機動戦士ガンダム』のメカニックデザイナー)
- 布川ゆうじ(アニメ制作者)
- 小山高男(現:小山高生)(脚本家)
- 鳥海尽三(脚本家)
- 下元明子(現:河井ノア)(絵本作家)
- 高田明美(キャラクターデザイナー、イラストレーター)
- 笹川ひろし(アニメ演出家)
- 鳥海永行(アニメ演出家)
- 西久保利彦(アニメ演出家)
- 真下耕一(アニメ演出家)
- うえだひでひと(アニメ演出家)
- 中村光毅(アニメ美術、メカニックデザイナー)
- 内山まもる(漫画家)
- 秋本治(漫画家)
- あや秀夫(漫画家)
- 森藤よしひろ(漫画家)
- UPLIFT(伊平崇耶)(作詞家、プロデューサー、構成作家)
- 南家こうじ(アニメーション作家)
- 落合茂一(アニメプロデューサー。故人)
[編集] タツノコプロOBが独立して設立した会社
- 葦プロダクション(佐藤俊彦、加藤博)
- アクタス(加藤博)
- ぴえろ(布川ゆうじ、鳥海永行、案納正美)
- アートミック(鈴木敏充)
- Production I.G(石川光久)
- J.C.STAFF(宮田知行)
- RADIX(植田もとき)
- ビィートレイン(真下耕一)
- ピーエーワークス(堀川憲司)
- ティー・エヌ・ケー(加藤長輝)
- ぶらざあのっぽ(小山高生)
- アニメーション21(笹川ひろし、杉井興治)
- デザインオフィス・メカマン(中村光毅、大河原邦男)
- スタジオユニコーン(栃平吉和)
- スタジオ旗艦(栃平吉和)
- 鳥プロ(鳥海尽三、酒井あきよし、陶山智)
- 鳳工房(鳥海尽三)
- 龍プロダクション(永井昌嗣)
- アーツプロ(本田保則)
- マリックス(向井稔)
[編集] 関連文献
- 笹川ひろし 『ぶたもおだてりゃ木にのぼる 私のマンガ道とアニメ道』 ワニブックス、2000年、ISBN 4847013581
- 原口正宏・赤星政尚・長尾けんじ 『タツノコプロ・インサイダーズ』 講談社、2002年、ISBN 4063301796
- 岩切徹 「漫画家九里一平 アニメ界のモックは何処へ」 『AERA』、朝日新聞社、2005年10月17日号