SABRE
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Sabre(SABRE)は、主にアメリカの航空会社、鉄道会社、ホテルなどの旅行関連企業で使用されていたコンピュータ予約システム(CRS)である。
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[編集] 背景
このシステムは1950年代に深刻な問題に直面していたアメリカン航空のために開発された。彼らのフライト予約システムは完全にマニュアル(手動)であり、1920年代に建設されたアーカンソー州リトルロックにある予約センターが定めたものであった。そのシステムはフライト毎のカード・ファイルを使ったもので、8人でソートしたカードが格納されている。ある座席が予約されると対応するカードに印が付けられ、その席が予約済みかどうかが示される。ここまでの処理は便数が今ほど多くないのでそれほど問題にはならない。しかし、ひとつのフライト予約が最終的に実施されるまでを見てみると、チケットを作成するには予約があってから最長三時間、平均でも90分かかっていた。また、この方式は限界に差し掛かっていた。ひとつのファイルに関われるオペレータは8人が限界であり、さらなる予約注文や問い合わせに対応するには階層構造を持たせて折り返し回答するようなシステムにせざるを得ない状況だった。
アメリカン航空はいくつかの解決法を試しており、カード・ファイルを置き換える Magnetronic Reservisor という新たなマシンが 1952 年に導入された。これは、磁気ドラムメモリを持っていて、その中に各フライトの残り座席数を記録するものである。これを使うと同時に多数のオペレータが残り座席数を見ることができるため、旅行会社からの問い合わせにすぐに応えることができた。しかし、実際のチケットの発券などは依然として手作業であり、そのためにしばしば機械と手作業の食い違いによるミスが発生した。一説には予約12件のうち1件にトラブルが発生したという。アメリカン航空はもっと根本的な自動化システムを必要としていた。
[編集] 発端
Reservisor が試験導入されていた1953年、IBMのセールスマンであるブレア・スミスはアメリカン航空の便に乗ってロスアンゼルスからニューヨークの本社に戻った。このとき彼の隣の座席にアメリカン航空の社長C.R.スミスが乗っていた。彼らは同姓であることから話がはずみ、彼らの仕事について語り合った。
その前に、IBMはアメリカ空軍のSAGEプロジェクトに参加していた。SAGEでは、複数の大型コンピュータを使用してレーダー施設からのメッセージを集め迎撃機に送るもので、侵入してきた爆撃機に対する攻撃体制をとる時間が劇的に改善された。このシステムでは世界各地のテレタイプ端末から情報が集められ、戦闘機の基地のテレタイプ端末にその情報が送られる。これは最初のオンラインシステムのひとつである。
SAGEシステムの考え方は、かなりの部分でアメリカン航空の予約システムに当てはまる。テレタイプ端末は発券オフィスに置かれ、予約や問い合わせの要求をセンターに送り、途中で人手を介することなく応答を返すのである。各フライトの残り座席数は自動的に更新され、座席があれば旅行業者に即座に知らせることが出来る。実際に予約するには再度要求を送り、データを更新すると共にチケットをプリントアウトするのである。
わずか30日後、IBMはアメリカン航空に調査報告書を送った。それはIBMが真剣に問題を考えたことを示すもので「電子頭脳」を使えば問題を解決する助けになることが示唆されていた。彼らはIBMの技術者とアメリカン航空の予約業務や発券業務に関わっている多くの人々を集めて、Semi-Automatic Business Environment Research(半自動ビジネス環境の研究) あるいは SABER と呼ばれるプロジェクトを開始した。
[編集] 開発とその後
正式な開発契約は1957年に締結され、最初のシステムはふたつのIBM 7090メインフレームを使ったもので、1960年にニューヨーク州ブライアークリフ・メナーに設置された。このシステムは成功した。プログラム開発費は4千万ドルだったと言われている。これは2000年の価値に換算すると3億5千万ドルである。1964年には全ての予約関連業務がこのシステムに集約され、名称は親しみやすい SABRE に変更された。1972年、システムはシステム/360上に移植された。
当初、アメリカン航空だけが使っていたが、1976年に旅行業者にまで拡大された。現在では多くの企業で使われていて、ユーロスター、フランス国鉄、USエアウェイズも使っている。現在では、システムは3万の旅行業者を接続し、300万の一般消費者に利用され、400以上の航空会社、50のレンタカー業者、35,000のホテル、数十の鉄道会社、海運会社ともつながっている。
SABREが機能するようになると、IBMはその経験を他の航空会社にも売り込み、デルタ航空の Deltamatic(IBM 7094)、パンアメリカン航空の Panamac(IBM 7080)が構築された。1968年、それらは PARS システムとしてまとめられた。PARS はシステム/360のどのマシンでも動作したので、いかなる規模の航空会社でも導入することができた。これが後の ACP(Airline Control System)となる。
アメリカン航空は Sabre を1990年代にスピンオフさせ、Sabre Holdings がシステムを運用するようになった。この会社は Travelocity というウェブサイトを運営していて、一般消費者がシステムを使えるようになっている。
[編集] 注意
- スミス氏達が機中で出会ったという話は事実ではないかもしれないが、事実として書かれた文書が多く存在する。
- 文書によってプロジェクトの開始した日付などが異なり、あるものは 1953年、別のものは 1957年となっているし、最初のシステムはマンハッタンに設置されたとする文書もあるし、ブライアークリフだとしている文書もある。例えば、CNNのこの記事では、1960年に始まって 1億5千万ドルかかったことになっている。
- SABRE という名称は単に呼びやすいから変更されたのではないという説もある。SABREは、Semi-Automated Booking and Reservation Environment の略だという。
[編集] 関連項目
- ERMA - もうひとつの初期のシステム。ERMAは、SAGEや SABREとともにコンピュータの実用化を促進した
- AXESS - 航空券の発券、予約、空席照会などを行うシステム。SABREと提携している
- マルス - マルス開発の参考にされた