Something ELse
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Something ELse(サムシング・エルス)は、伊藤大介、大久保伸隆、今井千尋からなるスリーピースバンド。1998年にリリースしたシングル「ラストチャンス」のヒットで知られる。
1994年に3人でバンドを結成。1996年に現在の名前になる。三声のヴォーカルと、アコースティックギターを基調にした楽曲が定評。坂崎幸之助やスターダストレビュー、KAN、坂本サトルなど、先輩ミュージシャンとの親交も深い。メインソングライターである今井千尋は、楽曲提供も多く行っている。デビュー10周年となるはずだった2006年10月23日を目前とした10月22日のツアー最終日を持って解散した。
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[編集] メンバー
- 大久保伸隆(おおくぼ のぶたか、1974年9月24日-)(リード・ヴォーカル、アコースティックギター)千葉県出身。
- 伊藤大介(いとう だいすけ、1974年7月25日-)(アコースティックギター、ヴォーカル)千葉県野田市出身。妻は歌手の鈴里真帆であり、二児の父。
- 今井千尋(いまい ちひろ、1974年8月28日 -)(ベース、ヴォーカル)福岡県太宰府市出身、明治大学政治経済学部卒業。2006年7月6日、歌手の松本英子と入籍。
[編集] 概要・来歴
高校2年の夏、伊藤大介はバンドブームを横目に、自分自身が求めるアコースティックの世界へ。時同じくして同級生の大久保伸隆はアコースティックギターを持ち、必死にコピーを繰り返していた。そんな二人が高校の文化祭をきっかけに、デュオグループ『I/O EXIT』を結成。 以後、柏近辺でのストリートライブや、ライブハウスで経験を積む。 1994年5月、別のバンドで活躍してきた今井千尋が、二人のストリートライヴを偶然見かける。自分の曲に合うヴォーカルを求めていた今井が二人に声をかけ、すぐさま話し合いの場を持つ。「一年後にはメジャーデビューしよう」と語った今井に対し、「ステキなヤツだと思った(伊藤)」「大丈夫かなぁ。そんなハッタリ言っちゃって(大久保)」と感想は分かれた。しかし、今井の作る曲を聴いた瞬間、意気投合し『EXIT LINE』を結成。一週間後には三人でのライブ活動を始める。ハーモニーを作る上で最も必要な声のバランスも不思議な位に溶け合い、また今井も自発的に低いパートを歌う。「運命的な出会いだった(伊藤)」。結果、一年でデビューすることはできなかったが、後に所属する事務所関係者とは、早い段階で知り合っている。今井は当初キーボード担当であったが、デビュー直前にベースを購入。以来、ライヴではほとんどベースである。
1996年、「Something ELse」(「何かもっといいもの、転じてすごく目立つ大したやつ」の意。ELの大文字はEXIT LINEの頭文字)に改名し、デビューに向けデモテープ制作に入る。ライブ経験を積んでいただけあり、レコード会社5社からオファーされている。柏でのストリートライブも、200人以上のファンを集めるまでに成長したが、よりパワーアップしたライブを行うために、3年間継続してきたストリートライブを同年7月13日をもって終了する。この頃に歌われていた楽曲もいくつかCD化されている。笑い話ではあるが、大久保の歌唱力を見込んだ関係者から「他の二人は良いから、ソロデビューしないか」と言われたことがあった。この時ばかりはさすがに悩んだようだが、「このバランスが良い。無くしたくない」との思いもあり、実現しなかった。
そして同年10月23日、シングル「悲しきノンフィクション」でデビュー。タイアップも組まれ順風満帆のスタートかと思われたが、最高位137位に止まる。そして、『CDの出来上がりへの不満、スタッフとの考え方の相違』に悩むことになる。その後もシングル、アルバムのリリースやイベント出演を重ねるが、結果に繋ぐことはできなかった。2nd~5thシングルに至っては200位にランクインされることもなかった。当時のシングル・アルバムの平均売上は5000枚程度であったという。特に初期の傑作として、今なお評価の高い「風と行きたかった」や、NHKみんなのうたでオンエアされた「反省のうた」といった楽曲が、世間的には認知されつつあり、かつ自信作であったため、売り上げが芳しくなかったことには、当人らはショックを受けたようである。
そんな中、デビュー2周年を目前に控えた1998年9月、当時の人気番組「雷波少年」(日本テレビ)から、「ラストチャンス」企画が持ち上がる。企画内容は、「3人で一つの部屋にこもり、楽曲を制作・発売。その楽曲がオリコンチャート初登場20位以内に入らなければ音楽生命を絶たれる」というものであった。レコード会社とアーティスト間で交わされる契約は通常2年周期であり、ちょうど契約切れに差し掛かった時期だった。メンバーはスタッフの方針に不信感を募らせながらも、「自分達の音楽の力がいかなるものなのか、答えを知りたい」と、参戦を決意。当時、この企画に対してネット上では賛否両論が巻き起こった。プロモーションの為、同年11月現在で番組が放送されていなかった地域をストリートライブでくまなく回った。 関西や四国など一部地域では一週間~二週間遅れで、深夜での放送だった。(しかし関西では首都圏に次ぐ程の人気を獲得した)
同年12月23日に運命の一曲「ラストチャンス」をリリース。デビュー後に出演していた地方ラジオ局などの応援も大きく、全国のラジオ局などを主体として『僕達もサムシングエルスを失いたくない!!』という応援チラシが配布された。また、ファンが集い千羽鶴や自作チラシを作り、必死に応援を続けた。これらの応援が功を奏した。翌年のオリコンチャートでは初登場2位、翌週には1位に輝くなど、ミリオンヒットを記録。その後のストリートライブブームに一役買う。TBS「日本ゴールドディスク大賞」ソング・オブ・ザ・イヤー受賞、「NHK紅白歌合戦」と「日本レコード大賞」など、年末年始の番組に数多く出演。2000年にはシングル「ウソツキ」が有線を中心にロングヒットし、有線上半期チャートJ-POP部門で第7位を記録した。
2001年末にはアメリカ・ナッシュビルへ飛び、レコーディング作業を敢行。2002年秋には、全国津々浦々でのライヴ活動に重点を置くべく、サブ・アーバンミュージックを提唱。2003年秋に『Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ』に出演。唯一コーラスが使えるバンドとしてアコースティックで2曲を演奏し、「一番ビートルズしていた」と好評を博した。そのヴォーカルに対する評価は高い。
2004年は大久保伸隆がバンド活動と並行してシングル、アルバムをリリース。
2005年1月1日より、デビューから9年間所属していた「アップフロントエージェンシー」から独立し、新事務所「パラレルワールド」で新たな活動を始めた。2005年6月1日には、イベント・ライブ会場限定CD『バンドワゴン』をリリース。「風と行きたかった」の続編として、以前から楽曲は存在したが音源化される事のなかった「続・風と行きたかった」が世に出た。 11月30日には、新体制となってからは初のオリジナルアルバム「COLOR」を新星堂のプライベートレーベル・オーマガトキからリリースした。 近年はライブを中心とした地道な活動へと転換したが、三声のヴォーカルは健在であり稀有なギターマンであった。
2006年8月1日、同年10月22日のツアー最終日を持って解散することを表明した。
[編集] ライブツアー&主要イベント
- 1997年4月18日 Something ELse初のワンマンライブを渋谷egg-manで敢行。
- 1999年6月~7月 「トリプルプレイ~なんとか3人でやってみます~」 9ヶ所11公演。
- 1999年10月~11月 早くも2度目の全国ツアー。15ヶ所15公演。
- 2000年4月~7月 「ギターマン○ 2000~三者面談ツアー~」 20ヶ所20公演。
(2000年から2004年まで5年連続で渋谷公会堂で公演。2005年は改修工事が行われていた為、SHIBUYA-AXで開催)
- 2000年12月 四大都市ツアー「トリプルプレイ 大反省会」 4ヶ所4公演。
- 2001年5月~7月 「光の糸~怒りの人~」 19ヶ所19公演。
- 2001年9月24日 イベント「AKASAKA LIVE 20th PARTY」に出演。初の日本武道館は3Pスタイルで演奏。
- 2001年10月24日 5周年記念イベント「祝5周年☆縮我疲労パーティー」柏市民文化会館で開催。
- 2002年3月~5月 「Y~技Y転じて服とナス~」 21ヶ所26公演。
- 2002年6月 東名阪ツアー「Y~ボクラYク~」 3ヶ所3公演。
- 2002年11月~ サブ・アーバンミュージックを提唱し、「裸足のGUITARMAN」を敢行。
(公式には発表されていないが、サブ・アーバンツアーとしては、2004年12月31日を以って終了した模様)
- 2002年12月31日 初のカウントダウンイベントを大阪WTCで開催。3500人動員。
- 2003年5月21日 サッカー「キリンチャレンジカップ」ニュージーランド vs 日本代表戦にて国歌斉唱。
- 2003年10月2日 「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2003」に出演。
- 2003年12月23日 AIR-G'主催で札幌ドームで単独イベントを開催。
- 2003年12月31日 カウントダウンライブ「2003→2004未が申」横浜ランドマークホールで開催。
- 2004年4月24日 女子サッカー「オリンピック/アジア予選」北朝鮮代表 vs 日本代表戦にて国歌斉唱。
- 2004年12月31日 カウントダウンライブ「2004→2005申酉合戦」千葉京成ホテルミラマーレで開催。
- 2005年7月 東名阪ツアー「1996年にデビューしたSomething ELse大久保伸隆・伊藤大介・今井千尋の3人がお送りする2005夏の音楽祭」 3ヶ所3公演。
- 2005年11月25日 ユニバーサルスタジオジャパンUSビジョンのオープニングセレモニーに出演。
- 2005年12月31日 カウントダウンライブ「2005→2006酉が戌」ラフォーレミュージアム六本木で開催。
- 2006年10月7日~22日 Something ELse FINAL TOUR 「LAST LIVE」 5ヶ所5公演。
[編集] ディスコグラフィー
[編集] アルバム
- 1st 『TRIPLE PLAY』(1998年3月6日発売)
★初期4シングルを収録。隠れた名盤として評価の高い一枚。
I say razz you go!/反省のうた/悲しきノンフィクション/僕の友人Nの場合/処方箋/さよならは最後に言う/days go by/@-at mark-/風と行きたかった/行方不明/無口
- History Album 『502』(ごーまるに)(1999年3月17日発売)
★「ラストチャンス」のヒット後に発表された企画アルバム(6シングルが収録されているが、位置づけとしてはベスト盤ではない)。
悲しきノンフィクション (502MIX)/days go by(502MIX)/風と行きたかった (502MIX)/反省のうた/レコード/ラスト チャンス/考える人/旅に出れば
- 2nd 『ギターマン』(2000年3月8日発売)
★オリジナルでは評価が高い作品。「ウソツキ」のヒット直後で、プロモーション活動もピークに達していた。その後、ベストアルバム「TICKET」には、このアルバムからの楽曲のほとんどが収録されている。
ギターマン/be there/ウソツキ/あの日の雨と今日の雨/ビデオテープ/さよならじゃない/あいのうた/ひまわりのうた-柏 Street Live ver.-/ランナー/Musician Life~例えば僕らの場合は/いつか/旅路
- 3rd 『光の糸』(2001年3月7日発売)
★「磁石」「びいだま」といったこれまでに無いアプローチや、それぞれのソロ楽曲にも挑戦。「自転車ラプソディ#1」は現在もライブの定番曲。
サイレン/びいだま/磁石/夕立ち/パーティを始めよう/スピードにのって/きみはともだち/!(Coooool ver.)/SOUL of ORIGIN/JULY/自転車ラプソディー#1/光の糸
- 4th 『Y』(2002年2月27日発売)
★著名な作詞家陣を集めて初のコラボレーションが実現。ミックス&マスタリングをナッシュビルで敢行。アレンジに対する評価は高い。
遥かなすぐ近くに/夏のラジオ (Album version)/一枚の葉/誓い~God bless our love/ハリネズミ/君にしかできないこと/ここにいる理由(わけ)/Hello Odyssey
- Best Album 『TICKET』(2003年3月12日発売)
★「思い出の曲」をアンケートで実施。結果、「通勤・通学で聴きたい曲」をサムエルの逸曲でプロデュースしたコンセプトアルバムに。4th『Y』のジャケット写真では“CITY”と“NATURE”に分かれているが、このベスト盤も「TO THE CITY」「TO NATURE」に分けられている。「Y」から約一年を経たが、この時点ではどの道へ走り出すのか模索している、また、どこへ行こうとしているのかを問いかけているようにも考えることもできる。
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- 1枚目「TO THE CITY」
be there/さよならじゃない/悲しきノンフィクション/旅に出れば/いつか/ギターマン/夏のラジオ/桜雨~あの日の雨と今日の雨II~/あいのうた/光の糸/レコード[未発表音源] (BONUS TRACK)
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- 2枚目「TO NATURE」
風と行きたかった/ビデオテープ/ラストチャンス/ウソツキ/反省のうた/ひまわりのうた-柏 Street Live ver.-/元気ですか?/旅路/夕立ち/自転車ラプソディ#1/さよならは最後に言う[未発表音源] (BONUS TRACK)
- 5th 『風見鶏』(2003年5月14日発売)
★「これぞサムエル」と言うべく、シンプルなアコースティックナンバーが盛り込まれたアルバム。確実に「NATURE」へ向かって動き出した事を証明した。
風見鶏-Introduction-/パーフェクトドリーム/国道16/少年/cold flower/月の虹/洗濯機のうた/DiDiDi/残像/勇気の花/( )
- 6th 『夏唄』(2004年8月25日発売)
★「日本の風流な夏」をイメージして制作された。オリジナルが2曲しか収録されていない為、『オリジナルの6枚目』というよりは『カヴァーアルバム』として認識せざるを得ないだろう。実際、この年のツアーで演奏されたカヴァー曲はシングル曲と「恋しくて」ぐらいである。
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- 夏色のおもいで(チューリップ)
- あの頃のまま(ブレッド&バター)
- 夏唄 (Something ELse)
- 夏の終わり(オフコース)
- 二人の夏(愛奴)
- FINE LINE(ブレッド&バター)
- 夏華 (Something ELse)
- 夏の日(森高千里)
- 恋しくて (BEGIN)
- 星に願いを ~When You Wish Upon A Star~
- イベント・ライヴ会場限定ミニアルバム『バンドワゴン』(2005年6月1日発売)
バンドワゴン/ボールの行方/面影ポーズ/続・風と行きたかった (※解散発表を受けて廃盤の予定)
- 7th『COLOR』(2005年11月30日発売)
★独立後、初のオリジナルアルバム。これまでのサムエルの形を残しつつ、楽曲面でもメンバー個々の「色」が打ち出された作品に。
冒険者/面影ポーズ/渡り鳥/RGB ~Instrumental I~/一番星/まだまだ僕には/セルリアンブルー ~Instrumental II~/ヒラメケヒラメキ/バンドワゴン/くちぶえ
[編集] シングル
- 1st 『悲しきノンフィクション / レインボウ』(1996年10月23日発売)
- 2nd 『days go by / 無口』(1997年3月12日発売)
- 3rd 『風と行きたかった / MONKEY MAGIC』(1997年10月8日発売)
- JR東日本「View Card」CFソング」
- 4th 『反省のうた / Easy to Love』(1998年2月6日発売)
- 5th 『レコード / I say razz you go!』(1998年6月17日発売)
- テレビ東京「太陽娘と海」主題歌
- 6th 『ラストチャンス / (同)Acoustic Version』(1998年12月23日発売)
- 7th 『さよならじゃない / どこまでも遠くへ』(1999年4月9日発売)
- 日本テレビ系全国ネット「'99劇空間プロ野球」イメージソングとしてシーズン終了までオンエア。
- 8th 『あいのうた / 花火が消えるまで』(1999年7月28日発売)
- 「ルナパーク'99 雷波少年系遊園地 後ろ楽しいガーデン」イメージソング
- 9th 『ウソツキ / be there』(2000年2月16日発売)
- つんくタウン二丁目企画。映画「GO-CON!」主題歌
- c/w 「be there」山崎製パン「新食感宣言」CMソング
- 10th 『磁石 / 蜘蛛の糸 / 1224~25(今井家demo)』(2000年11月8日発売)
- テレビ東京「少女日記」主題歌
- 11th 『びいだま / 桜雨~あの日の雨と今日の雨II / 思い出であれ、後悔であれ』(2001年2月9日発売)
- テレビ東京「少女日記」主題歌
- 12th 『夏のラジオ / 元気ですか?』(2002年2月6日発売)
- c/w 「元気ですか?」全薬工業「ジキニン」CMソング
- 13th 『国道16 / そのまま』(2002年9月26日発売)
- 日本テレビ系「モグモグGOMBO」エンディングテーマ
- 14th 『少年 / 笑いたい』(2003年2月5日発売)
- 日本テレビ「C/Wラブ」エンディングテーマ
- 15th 『1M / 天気予報』(2003年10月16日発売)
- 16th 『あの頃のまま(カヴァー) / 夏唄 / 夕立ち[Acoustic Version]』(2004年7月28日発売)
[編集] その他のタイアップ
- 「ビデオテープ」(専門学校 河合塾「トライデント」CFソング)
- 「星空を見上げたら」[未発表曲](アデランスCMソング)
- 「遙かなすぐ近くに」(NTT DoCoMo東海「P-IN」CMソング)
- 「ボールの行方」(FUJIKEN企業CMソング)
- 「渡り鳥」(TBS系全国ネット「がっちりマンデー!!」エンディングテーマ)
- 「まだまだ僕には」「面影ポーズ」(松坂屋タイアップ曲)
[編集] 映像作品
- 「Musician Life」PV集&インタビュー形式(VHS / 2000年4月26日発売)
- 「TICKET THE MOVIE」PV集(DVD / 2003年8月27日発売)
『悲しきノンフィクション』から『少年』までの14シングルを収録。公式サイトには2004年発売とあるが、正確には2003年発売。
- 「1M シングルDVD」(DVD / 2003年12月12日発売)
なお、ドキュメントDVDと題した作品があるが、メンバーの意に反したリリースだった為、ここには掲載しない。
[編集] 楽曲提供
- 森高千里「普通の幸せ」作曲:今井千尋
- 谷村有美「フラジャイル」作曲:今井千尋
- さっぱりネットワーク「今夜だけのステージ」(c/w「仲間どうし」含む)作詞・作曲に今井千尋が参加。
- メロン記念日「レモンタルト」作詞・作曲:今井千尋
- 堀内孝雄「また会えるよね」作詞:今井千尋
- 松浦亜弥「ずっと好きでいいですか」作曲:今井千尋
- マイナスターズ「トイレこの先左なの」「俺なんでもいいし」作曲:今井千尋
- 松本英子「喝采~この道の先に~」(JRA中山競馬場イメージソング)作詞・作曲:今井千尋
他、多数。
- 下川みくに「tomorrow」(コーラスアレンジ:Something ELse)
- その他、KAN、スターダスト・レビューのコーラスとして、伊藤大介が度々登場している。
[編集] レギュラーラジオ
- 「里香とSomething ELseのミュージックキャンプ」(TOKYO FM:1996年10月 - 1997年9月)
- 「サタデー・ファンキーパーク」(FM-FUJI:1997年1月 - 3月)
- 「サムエル主義共和国」(FM愛知、K-MIX他)
- 「なのはなレディオ」(bayfm:1997年10月 - 1998年9月)
- 「なのはなレディオZ」(bayfm:1999年4月 - 2000年9月)合宿生活を経て復活
- 「LIPS PARTY 21.jp」(文化放送をネット局とした全国ネット:1999年10月 - 2001年9月)
- 一つの番組で2年間の出演はサムエルとしては最長。AMとしては異例のほぼ毎週生演奏があった。
- 「Step On Something」(Fm yokohama:2002年4月 - 2003年9月)
- 各界の著名人を迎えて届ける、『トーク番組』。
- 「サムシングエルスのラジオアミューズメントパーク」(文化放送系10局ネット:2003年10月 - 2004年3月)
- 「サムシングエルスのレコメン!」(インターネットラジオ)
[編集] 関連項目
- ストリートミュージシャン
- 千葉県柏市