アポロ8号
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徽章 | |||||
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ミッションの統計 | |||||
ミッション名 | Apollo 8 | ||||
コールサイン: | 司令機械船: Apollo 8 |
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乗員数: | 3 名 | ||||
発射台: | フロリダ州ケネディー宇宙センター LC 39A発射台 |
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打ち上げ日時: | 1968年12月21日 12:51:00 UTC |
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着陸日時: | 1968年12月27日 15:51:42 UTC 8°6′N 165°1′W |
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ミッション期間: | 6日3時間0分42秒 | ||||
月周回数: | 10 周 | ||||
月周回時間: | 20時間10分13.0秒 | ||||
質量: | 司令機械船 28,817 kg; LTA 9,026 kg |
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クルーの画像 | |||||
左から:ラヴェル、アンダース、ボーマン |
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年表 | |||||
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アポロ8号(アポロはちごう)は人類初の有人月周回ミッションを行った宇宙船である。8号はアポロ計画で2番目の有人ミッションであった。
1968年12月21日、サターンVロケットで打ち上げられ、初めて月を周回(10周)して帰還。3名の搭乗員は人類で初めて月の裏側を目撃した人物となった。
月軌道上では司令船と機械船の試験を行ない、また宇宙船からのテレビ中継も実施された。
CIAのスパイ衛星により、ソ連が新型ロケットを準備している事が分かり、宇宙開発競争で遅れをとっていたアメリカは、急遽予定を変更してアポロ8号に月の周回軌道を廻らせる事とした。
急な変更で準備期間が無かった為、帰還する際の予備のロケットを持たずに強行し、万が一再点火しなければ、永遠に月の軌道を廻っていたといわれる。
なお打ち上げ前より、イギリスなど各国の天文学者から「無茶である」との声も出ていた。のちに起こるアポロ13号の事故の際には月着陸船を連結していたため、それを避難場所として用いることができたが、8号の際には司令船だけを用いての往復であったため、同種の事故が起きていれば乗組員の生還は望めなかったし、そもそも準備不足の中での強行であったことから、月往復の軌道を外れて太陽系をさまよう危険性も多く有していた。
またソ連はアポロ8号の打ち上げに12日先駆け(12月9日打ち上げ予定であった)、ソユーズL1計画として2人乗り宇宙船の月往復を計画していたが、1967年のソユーズ1号での墜落事故(コマロフ飛行士が死亡)を受けて及び腰になっていた政府から認可が下りず、実施されることは無かった。
[編集] 搭乗員
- フランク・ボーマン:船長
- ジム・ラヴェル:飛行士
- ウィリアム・アンダース:飛行士
3名の宇宙飛行士は、タイム誌の1968年のマン・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。
[編集] 関連項目
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