アメリカの人権と人権政策
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アメリカの人権と人権政策(アメリカのじんけんとじんけんせいさく)は、アメリカ合衆国の人権問題と人権政策について論じる。
アメリカが政治・軍事・産業・経済・科学・技術の分野で世界で最大の規模と力を持っているので世界に多大な影響を及ぼす。アメリカの人権と人権政策を長期的な時系列で認識しその歴史的推移を知ることは、アメリカと世界各国の政府・議会・国民が、人権侵害の抑止と解消、人権保護の実現のために、どのような協力と働きかけが最適解または有効であるかを考えるための必要条件である。
目次 |
[編集] 人権の定義
- このページで記載する人権とは、人が生命・身体・性を操作すること、人が財産を獲得・保有すること、人が思想・宗教を信仰すること、人が言論・表現活動をすること、人が組織や団体を結成し活動すること、人が学校教育・職業訓練を受けること、人が福祉・保健・医療・社会保障を受けること、人が政治活動・政治参加をすることなどの、人の生物的個体としての安全と自由、社会的存在としての自由と機会の平等に関して、他者による抑圧・強制・侵害がなく、本人の自由意志で決定・行使できることであり、それらを生物的存在としての人・社会的存在としての人の自然状態・自然法としての自由とみなすこと。
- 自然界・生物界には存在せず、人為的・社会的に作った考え方として、人の脳内空間にだけ存在する、思想・宗教・価値観・道徳観・倫理観・イデオロギーとそれに基づく社会的・政治的な主張を、自然状態・自然法としての人権に優先する存在として、人為的・社会的に作った考え方のバイアスをかけて、人為的・社会的に作った考え方とそれに基づいた社会的・政治的な主張の従属物として人権を認識し解釈すること、別の表現をすると人為的・社会的に作った優先概念によって人権に関してダブルスタンダードを適用する考え方が存在するが、このページではそれらの人権観は人権とはみなさない。
- 人権侵害と人権保護に関して認識し考える社会的・具体的な基準としては、国際的に採択され多くの国が加盟している人権に関する諸条約、個別の条約の事例としては、市民的・政治的権利に関する国際規約、経済的・社会的・文化的権利に関する国際規約、女性に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約、児童の権利に関する条約、あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約、拷問・他の残虐な非人道的な品位を傷つける取り扱いまたは刑罰に関する条約、ジェノサイドの処罰と予防に関する条約、全ての移住労働者の権利とその家族の保護に関する国際条約、無国籍者の地位に関する条約、戦争時の捕虜・負傷者・民間人の処遇に関するジュネーブ条約、およびそれらの条約の追加・選択議定書などに規定されていることを基準とする。
[編集] 関連分野の影響
- 人権侵害の抑止や人権侵害の解消による人権の実現のためには、人権について抽象的に認識し考えるだけでは不十分であり、生物的存在としての人・社会的存在としての人の自然状態・自然法としての自由を守ろうとする動機と、人為的・社会的に作られた考え方に基づいて他者の自由を侵害し他者を支配しようとする動機が複合的に影響を与えて、生物的存在としての人・社会的存在としての人の自然状態・自然法としての自由を認識し考えることができなくなった場合に、人為的・社会的に作られた欲望のために他者の人権を軽視または無視する考え方が強い場合に人権侵害が発生する。それらの人権侵害の直接的な発生原因を解消し根本的な発生原因を除去することが、人権侵害の抑止と解消、人権保護の実現という成果をもたらす。
- アメリカの人権と人権政策を認識し理解し考える場合に、アメリカの戦争と外交政策、アメリカの軍需経済と軍事政策、アメリカの経済と経済政策、アメリカの環境と環境政策、アメリカの選挙の歴史も関連して知ると、人権と人権政策以外の分野の要素が、人権と人権政策の表面的現象の発生に影響している関連性の認識や理解に有効である。
[編集] アメリカの人権と人権政策の歴史
- 1607年-1890年、先住民の居住地を併合。ヨーロッパからの植民者がアメリカ大陸の原住民を大量に殺害し、土地を収奪して植民地を建設し、アメリカ合衆国建国後はアメリカ国民および植民者が原住民を大量に殺害し、土地を収奪して領土を拡大した。1607年を始期としている意味はイギリスからの植民者が恒久的旧植民地を建設した年度である。
- 1619年-1865年、奴隷制を実施。奴隷商人がアフリカ大陸から購入した奴隷をアメリカ大陸への植民者とアメリカ合衆国市民が購入し、奴隷労働により生産する農業経済を確立した。独立宣言やアメリカ合衆国憲法で規定された生命・自由に関する規定は奴隷には適用されなかった。
- 1787年9月、アメリカ合衆国憲法を制定。アメリカ議会はアメリカ合衆国憲法を採択し、1789年3月憲法は発効した。
- 1862年7月、奴隷解放法を制定。アメリカ議会(上院・下院とも共和党が多数派)は、アメリカ合衆国に敵対する南部連合が保有する奴隷を解放する第二押収法を可決した。
- 1862年9月、奴隷解放を宣言。アメリカ政府(リンカーン大統領・共和党)は、米南部連合国支配地域の奴隷解放を宣言した。
- 1865年1月、奴隷制廃止の憲法修正条項の制定。アメリカ議会(上院・下院とも共和党が多数派)は、アメリカ合衆国の全ての州における奴隷制の廃止を規定する憲法修正13条を可決した。
- 1865年12月、奴隷制廃止の憲法修正条項を批准。アメリカ合衆国に加盟する州のうち、四分の三以上の州がアメリカ合衆国憲法修正13条を批准し発効した。
- 1865年12月-2007年1月時点、人種差別主義者による暴力。奴隷制度が廃止され、奴隷だったア黒人が白人と対等の市民になったことをに不満を持つ、白人優越思想を持つ人々は、秘密結社クー・クラックス・クランを設立し、黒人に対する暴行・傷害・殺害、選挙権行使の妨害、居住・就業・学校への入学の妨害、教会・交通機関の利用の妨害などの犯罪行為を繰り返した。それらの行為は1865年の奴隷制度廃止から1800年代後半魔での期間、1900年代前半から1945年の第二次世界大戦終結までの期間、1945年の第二次世界大戦終結から1864年の公民権法制定までの期間、長期的には減少してきたが、2007年1月現在でも秘密結社の会員数や人種差別思想に基づく犯罪・人権侵害は根絶されてはいない。
- 1871年、1871年の公民権法を制定。アメリカ議会(上院・下院とも共和党が多数派)は、アメリカ合衆国連邦法に違反する州法を個人が連邦裁判所に告訴し、連邦法に違反する州内の問題の裁判権を連邦裁判所に移管する権利、公共部門の雇用で人種・皮膚の色・性・宗教・出身国による差別を禁止を規定する、1871年の公民権法(Civil Rights Act of 1871)を可決し、グラント大統領が署名して成立した。1871年の公民権法は、奴隷制度廃止後に白人優越思想を持つ人種差別主義者が、黒人を殺害または黒人に対する殺人以外の犯罪・差別をしてもしても、人種差別思想を持つ白人の警察官・検察官・裁判官・その他の公職者が、白人の黒人に対する犯罪や差別を隠蔽する不問にする正当化する現実があり、そのような行為を未然に予防し、既に行われた犯罪と差別は連邦裁判所への告訴により、問題を解決しようとする目的で作成された。
- 1876-1964年、人種を分離する法律を制定。奴隷制度が廃止された後も、アメリカの南部の州では、白人と黒人の居住区、学校、職場、病院、鉄道、バス、教会を分離する法律が制定され、1964年の公民権法制定まで継続していた。
- 1924年7月、移民帰化法に出身国による移民制限を規定。アメリカ議会(上院・下院とも共和党が多数派)は、移民帰化法に、移民希望者の出身国別受け入れ制限、日本人の移民受け入れ数を0にする、第13条C項の移民制限規定の追加を可決、クーリッジ大統領が署名し成立した。
- 1938年6月、公正労働基準法の制定。アメリカ議会(上院・下院とも民主党が多数派)は、未成年者の雇用を禁止し、超過勤務の時間給を50%増しとする公正労働基準法(Fair Labor Standards Act)を可決し、ルーズベルト大統領が署名して成立した。
- 1942年2月-1945年8月、日系市民を強制収容所に収監。アメリカ政府(ルーズベルト大統領・民主党)は、日系アメリカ民を強制収容所へ収監した。
- 1945年11月-1948年12月、軍事裁判で連合国の人道犯罪を無視。ニュルンベルク国際軍事裁判、極東国際軍事裁判では、ドイツや日本が戦争を起こした罪、戦時下の捕虜や民間人の生命や自由を侵害した人道犯罪は訴追し有罪にしたが、アメリカ軍の焼夷弾空爆や原子爆弾による攻撃、ソ連軍によるシベリア抑留や非占領地住民の強制移動、その他の捕虜や民間人の生命や自由を侵害した人道犯罪は不問にした。
- 1948年12月、ジェノサイドの処罰予防条約に署名。アメリカ政府(トルーマン大統領・民主党)は、ジェノサイドの処罰と予防に関する条約(Convention on the Prevention and Punishment of the Crime of Genocide)に署名した。
- 1949年12月、ジュネーブ条約に署名。アメリカ政府(トルーマン大統領・民主党)は、陸上の軍隊の負傷者と病人の条件の改善のためのジュネーブ条約(Geneva Convention for the Amelioration of the Condition of the Wounded and Sick in Armed Forces in the Field)、海上の軍隊の負傷者と病人と遭難者の条件の改善のためのジュネーブ条約(Geneva Convention for the Amelioration of the Condition of Wounded, Sick and Shipwrecked Members of Armed Forces at Sea)、戦争捕虜の取り扱いに関するジュネーブ条約(Geneva Convention relative to the Treatment of Prisoners of War)、戦争時の民間人の保護に関するジュネーブ条約(Geneva Convention relative to the Protection of Civilian Persons in Time of War)に署名した。
- 1951年6月、難民条約に未署名。国連総会で難民の地位に関する条約(Convention relating to the Status of Refugees)が採択された。アメリカ政府(採択時から歴代の大統領は、トルーマン・民主党、アイゼンハワー・共和党、ケネディ・民主党、ジョンソン・民主党、ニクソン・共和党、フォード・共和党、カーター・民主党、レーガン・共和党、ブッシュ・共和党、クリントン・民主党、ブッシュ・共和党)は、2007年1月時点で未署名である。
- 1955年8月、ジュネーブ条約を批准。アメリカ議会上院(民主党が多数派)は、陸上の軍隊の負傷者と病人の条件の改善のためのジュネーブ条約(Geneva Convention for the Amelioration of the Condition of the Wounded and Sick in Armed Forces in the Field)、海上の軍隊の負傷者と病人と遭難者の条件の改善のためのジュネーブ条約(Geneva Convention for the Amelioration of the Condition of Wounded, Sick and Shipwrecked Members of Armed Forces at Sea)、戦争捕虜の取り扱いに関するジュネーブ条約(Geneva Convention relative to the Treatment of Prisoners of War)、戦争時の民間人の保護に関するジュネーブ条約(Geneva Convention relative to the Protection of Civilian Persons in Time of War)を批准した。
- 1963年6月、同一給与法の制定。アメリカ議会(上院・下院とも民主党が多数派)は、同一の質と量の労働に対して性別による差別を禁止する、同一給与法(Equal Pay Act of 1963)を制定し、ケネディ大統領(民主党)が署名して成立した。
- 1964年7月、1964年の公民権法を制定。アメリカ議会(上院・下院とも民主党が多数派)は、人種、皮膚の色、宗教、出身地、家族・家庭・家系などの本人の素質・努力・能力の範囲外の、出生時に決定される社会的属性による差別を禁止する、1964年の公民権法(Civil Rights Act of 1964)を可決、ジョンソン大統領(民主党)が署名して成立した。
- 1965年7月、雇用機会均等委員会を設立 アメリカ政府(ジョンソン大統領・民主党)は、1963年の同一給与法(Equal Pay Act of 1963)、1964年の公民権法(Civil Rights Act of 1964)に基づいて、その後に制定された、1967年の雇用における年齢差別禁止法(Age Discrimination in Employment Act)、1990年のアメリカ障害者法(Americans with Disability Act)も含めて、雇用における差別の予防・解消により雇用機会の均等を推進する、雇用機会均等委員会(Equal Employment Opportunity Commission)を設立した。
- 1965年7月、1965年の社会保障法の制定。アメリカ議会(上院・下院とも民主党が多数派)は、65才以上の人、身体障害者、特定の病気の患者が加入できる公的医療保険制度、1965年の社会保障法(Social Security Act of 1965)を可決し、ジョンソン大統領(民主党)が署名して成立した。
- 1966年、アファーマティブ・アクションの制度化。アメリカ政府(ジョンソン大統領・民主党)は、政府の事業の契約者および政府から補助金を受けた機関に対する義務付け、民事裁判による命令、民間法人の自主的な行為として、職場・学校において地域の人種構成比に応じた雇用率・入学率を達成するための計画を義務付ける(アファーマティブ・アクション、社会的・歴史的経緯による差別・機会不均等を積極的に是正する措置)大統領行政命令を公布した。
- 1966年9月、人種差別撤廃条約に署名。アメリカ政府(ジョンソン大統領・民主党)は、あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約(ICERD)に署名した。
- 1966年12月、市民権規約の選択議定書に未署名。市民的・政治的権利に関する国際規約の選択議定書(ICCPR-OP1)が採択された。アメリカ政府(採択時から歴代の大統領は、ジョンソン・民主党、ニクソン・共和党、フォード・共和党、カーター・民主党、レーガン・共和党、ブッシュ・共和党、クリントン・民主党、ブッシュ・共和党)は、2007年1月時点で署名していない。
- 1967年10月、雇用における年齢差別禁止法を制定。アメリカ議会(上院・下院とも民主党が多数派)は、40才以上の人に対する雇用、給与、一時解雇、差別、仕事の制限、定年退職制度を禁止する、年齢による雇用差別禁止法(Age Discrimination in Employment Act)を可決し、レーガン大統領(共和党)が署名して成立した。
- 1968年4月、1968年の公民権法を制定。アメリカ議会(上院・下院とも民主党が多数派)は、住宅の販売と賃貸に関して、人種、皮膚の色、宗教、出身地、家族・家庭・家系などの本人の素質・努力・能力の範囲外の、出生時に決定される社会的属性による差別を禁止する、1968年の公民権法(Civil Rights Act of 1968)を可決、ジョンソン大統領(民主党)が署名して成立した。
- 1968年11月、難民条約の議定書に加盟。アメリカ政府(ジョンソン大統領・民主党)は、難民の地位に関する条約の議定書(Protocol relating to the Status of Refugees)に加盟した。
- 1972年6月、死刑執行の違憲判決。アメリカ最高裁判所は、死刑はアメリカ合衆国憲法修正第8条が規定する残虐な刑罰に該当し違憲と判決し、全米で死刑執行が停止された。
- 1973年1月、妊娠中絶の合憲判決。アメリカ最高裁判所は、妊娠中絶は妊娠している女性が自分の意志で自由に決定できると判決した。
- 1975年11月、障害者個人教育法を制定。アメリカ議会(上院・下院とも民主党が多数派)は、視力障害、聴覚障害、言語障害、学習障害、精神遅滞、情緒障害、自閉症、外傷性脳損傷、他の健康障害を持つ障害者に対する適切な教育を無料で提供することを規定し、障害児ひとりひとりに対する個別教育計画が教師や親の参加で計画され、計画に基づいて教育が実践されることを義務づけた障害者個人教育法(Individuals with Disabilities Education Act)を可決、フォード大統領(共和党)が署名して成立した。
- 1975年4月、ジュネーブ条約を批准。アメリカ議会上院(民主党が多数派)は、戦争捕虜の取り扱いに関するジュネーブ条約(Geneva Convention relative to the Treatment of Prisoners of War)を批准した。
- 1976年7月、死刑執行の合憲判決。アメリカ最高裁判所は死刑はアメリカ合衆国憲法修正第8条が規定する残虐な刑罰に該当しないので合憲と判決を変更した。1977年以後、死刑制度がある38州のうち33州と連邦法による死刑執行が復活したが、死刑制度がある5州と軍法では死刑執行は復活していない。
- 1977年6月、ジュネーブ条約の追加議定書に未署名。国際的武力紛争の被害者の保護に関するジュネーブ条約の追加議定書(Protocol Additional to the Geneva Conventions and relating to the Protection of Victims of International Armed Conflicts)、国際的でない武力紛争の被害者の保護に関するジュネーブ条約の追加議定書(Protocol Additional to the Geneva Conventions and relating to the Protection of Victims of Non-International Armed Conflicts)が採択された。アメリカ政府は歴代の民主党の大統領も共和党の大統領も署名せず、2007年1月時点で未署名である。
- 1977年12月、社会権規約に署名。アメリカ政府(カーター大統領・民主党)は、経済的・社会的・文化的権利に関する国際規約(ICESCR)に署名した。アメリカ議会上院(署名時からの歴代の多数派は、署名時1977年12月-1981年1月3日は民主党、1981年1月4日-1987年1月3日は共和党、1987年1月4日-1995年1月3日は民主党、1995年1月4日-2007年1月3日は共和党、2007年1月4日-2009年1月3日は民主党)は、2007年1月時点で未批准である。
- 1977年12月、市民権規約に署名。アメリカ政府(カーター大統領・民主党)は、市民的・政治的権利に関する国際規約(ICCPR)に署名した。
- 1980年7月、女性差別撤廃条約に署名。アメリカ政府(カーター大統領・民主党)は、女性に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約(CEDAW)に署名した。アメリカ議会上院(署名時からの歴代の多数派は、署名時-1981年1月3日は民主党、1981年1月4日-1987年1月3日は共和党、1987年1月4日-1995年1月3日は民主党、1995年1月4日-2007年1月3日は共和党、2007年1月4日-2009年1月3日は民主党)は2007年1月時点で未批准である。
- 1986年10月、移民改革管理法を制定。アメリカ議会(上院は共和党、下院は民主党が多数派)は、移民改革管理法(Immigration Reform and Control Act 2006)、通称シンプソン・マッツォーリ法(Simpson-Mazzoli Act)を可決し、レーガン大統領(共和党)が署名して成立した。移民改革管理法はアメリカへの不法移民・滞在者を減少させるために、不法滞在者を故意に雇用した雇用主に罰金刑を科すとともに、1982年1月以後アメリカに不法に滞在し雇用されている不法滞在者に1年間の恩赦を与え、アメリカの市民権を申請することを可能にした。その結果270万人の不法滞在者が合法滞在者になった。
- 1988年4月、拷問禁止条約に署名。アメリカ政府(レーガン大統領・共和党)は、拷問・他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約(CAT)に署名した。
- 1988年10月、1988年の市民の自由法を制定。アメリカ議会(上院・下院とも民主党が多数派)は、第二次世界大戦中に強制収容所に収監された日系アメリカ民に対して、被害者一人あたり20000ドルを賠償する、1988年の市民の自由法(Civil Liberties Act of 1988)を可決し、レーガン大統領(共和党)が署名して成立。アメリカ政府は日系人強制収容は自由に対する重大な侵害であったと認め謝罪した。
- 1988年12月、ジェノサイド処罰予防条約を批准。アメリカ議会上院(民主党が多数派)は、ジェノサイドの処罰と予防に関する条約を批准した。
- 1989年12月、市民権規約第二選択議定書に未署名。市民的・政治的権利に関する国際規約の第二選択議定書(ICCPR-OP2)が採択された。アメリカ政府(採択時から歴代の大統領は、ブッシュ・共和党、クリントン・民主党、ブッシュ・共和党)は、2007年1月時点で署名していない。
- 1990年7月、アメリカ障害者法の制定。アメリカ議会(上院・下院とも民主党が多数派)は、障害者が社会的・経済的に健常者と同等に社会参加し、機会均等を実現するために、連邦政府、州政府が障害者を差別すること、障害者に対する差別的な政策・社会環境を禁止し、障害者が健常者と同等に、社会の全ての場にアクセス可能な環境整備を義務付けたアメリカ障害者法(Americans with Disability Act)を可決し、ブッシュ大統領(共和党)が署名して成立した。
- 1990年12月、移住労働者保護条約に未署名。全ての移住労働者の権利とその家族の保護に関する国際条約が採択された。アメリカ政府(採択時から歴代の大統領は、ブッシュ・共和党、クリントン・民主党、ブッシュ・共和党)は、は、2007年1月時点で未署名である。
- 1992年6月、市民権規約を批准。アメリカ議会上院(民主党が多数派)は、市民的・政治的権利に関する国際規約(ICCPR)を批准した。
- 1993年2月、育児介護休業法の制定。アメリカ議会(上院・下院ともに民主党が多数派)は、被雇用者が育児や介護のために休暇を取得する権利を規定し、休暇取得者に対する雇用主からの不利益な扱いを禁止し、職場に復帰した時に休職時と同じ待遇を義務付ける、育児介護法休業法(Family and Medical Leave Act of 1993)を可決し、クリントン大統領(民主党)が署名して成立した。
- 1994年10月、人種差別撤廃条約を批准。アメリカ議会上院(民主党が多数派)は、あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約(ICERD)を批准した。
- 1994年10月、拷問禁止条約を批准。アメリカ議会上院(民主党が多数派)は、拷問・他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約(CAT)を批准した。
- 1995年2月、児童の権利条約に署名。アメリカ政府(クリントン大統領・民主党)は、児童の権利に関する条約(CRC)に署名した。アメリカ議会上院(多数派は、署名時1995年2月-2007年1月3日は共和党、2007年1月4日-2009年1月3日は民主党)は2007年1月時点で未批准である。
- 1997年8月、納税者の負担軽減の制定。アメリカ議会(上院・下院とも共和党が多数派)は、納税者に対して、17才未満の被扶養児童の養育者、住宅購入者、遺産相続者、自営業者、教育のための貯蓄、年金受給者に対する減税を規定した、納税者救済法(Taxpayer Relief Act of 1997)を可決し、クリントン大統領(民主党)が署名して成立した。
- 1998年7月、国際刑事裁判所条約の採択に反対投票。アメリカ政府(クリントン大統領・民主党)は、国連外交会議で国際刑事裁判所条約(ICC)の採択に反対投票した。
- 1999年12月、女性差別撤廃条約の選択議定書に未署名。女性に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約の選択議定書(CEDAW-OP)が採択された。アメリカ政府(採択時から歴代の大統領は、クリントン・民主党、ブッシュ・共和党)は、2007年1月時点で未署名である。
- 2000年7月、児童の権利条約の選択議定書に署名。アメリカ政府(クリントン大統領・民主党)は、児童の権利に関する条約の児童の売買等に関する選択議定書(CRC-OP-SC)、児童の権利に関する条約の武力紛争における児童の関与に関する選択議定書(CRC-OP-AC)に署名した。
- 2000年12月、、国際刑事裁判所条約に署名。アメリカ政府(クリントン大統領・民主党)は、国連総会で国際刑事裁判所条約(ICC)の採択に署名した。アメリカ議会上院(署名時-撤回時まで共和党が多数派)は、2002年5月にブッシュ大統領が署名を撤回するまで未批准だった。
- 2002年5月、国際刑事裁判所条約から脱退。アメリカ政府(ブッシュ大統領・共和党)は、国際刑事裁判所条約(ICC)の署名を撤回した。
- 2001年10月-現在、戦争捕虜を身分不詳の状態で収監。アメリカ政府(ブッシュ大統領・共和党)は、アフガニスタン侵攻、イラク侵攻で身柄を拘束した戦争捕虜を、キューバのグアンタナモ基地およびヨーロッパのアメリカ軍基地のどこかに所在する捕虜収容所に、合法性が不明で身分不詳の状態で拘束を続け、捕虜に対する尋問の方法の一部として拷問または拷問に近い方法を実施している。
- 2002年5月、アファーマティブアクションに合憲判決。アメリカ最高裁判所はミシガン大学法科大学院の入学志願者の選考に関して、社会的マイノリティであることを判断要素の一つとすることを合憲と判決した。
- 2002年12月、拷問禁止条約の選択議定書に未署名。拷問・他の残虐な、非人道的な、品位を傷つける取り扱い、または、刑罰に関する条約の選択議定書(CAT-OP)が採択された。アメリカ政府(ブッシュ大統領・共和党)は、2007年1月時点で未署名である。
- 2002年12月、児童の権利条約の選択議定書を批准。アメリカ議会上院(共和党が多数派)は、児童の権利に関する条約の児童の売買等に関する選択議定書(CRC-OP-SC)、児童の権利に関する条約の武力紛争における児童の関与に関する選択議定書(CRC-OP-AC)を批准した。
- 2003年11月、部分的出産中絶禁止法の制定。アメリカ議会(上院・下院とも共和党が多数派)は、妊娠5-6か月の時期の胎児の頭部に穴を開けて胎児を死亡させる中絶方法を禁止し、この方法で中絶手術を実施した医師に2年以下の禁固の刑罰を科す、部分的出産中絶禁止法(Partial Birth Abortion Ban Act)を可決し、ブッシュ大統領(共和党)が署名して成立した。
- 2004年12月、障害者個人教育改善法を制定。アメリカ議会(上院・下院とも共和党が多数派)は、1975年の障害者個人教育法が規定する、様々な障害を持つ児童の個別教育を支援する機能を強化した、障害者個人教育改善法(Individuals with Disabilities Education Improvement Act of 2004)を可決し、ブッシュ大統領(共和党)が署名して成立した。
- 2006年6月、戦争捕虜の身分不詳状態での収監に違法判決。アメリカ最高裁判所はアメリカ政府がアフガニスタン、イラクにおける軍事作戦で身柄を拘束した捕虜をキューバのグアンタナモ基地およびヨーロッパのアメリカ軍基地のどこかに所在する捕虜収容所に、合法性が不明で身分不詳の状態で拘束を続けていること、捕虜を軍事法廷で裁くことを、1949年のジュネーブ条約とアメリカ合衆国軍法が規定する被疑者・被告人に対する権利保護を満たしていないので違法であるとと判決した。
[編集] アメリカの人権と人権政策の傾向
- アメリカは第二次世界大戦で日本を空爆し、全国各地の都市に対する爆弾・焼夷弾を使用した攻撃、広島と長崎への核兵器を使用した攻撃により、非戦闘員である民間人を大量殺傷した。
- アメリカは第二次世界大戦でドイツを空爆し、全国各地の都市を爆弾・焼夷弾を使用した攻撃により、非戦闘員である民間人を大量殺傷した。
- アメリカは朝鮮戦争で朝鮮半島を空爆し、全国各地の都市を爆弾・焼夷弾を使用した攻撃により、非戦闘員である民間人を大量殺傷した。
- アメリカはベトナム戦争でベトナムを空爆し、全国各地の都市を爆弾・焼夷弾を使用して攻撃し、ジャングルに枯葉剤を散布して植物を枯死させ、非戦闘員である民間人を大量殺傷した。
- アメリカは1991年の湾岸戦争でイラク軍や武装民兵の基地およびその周辺に滞在していた民間人、イラク軍や武装民兵と誤認された民間人を大量殺傷した。
- アメリカは1995年のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争に対する軍事介入でボスニア・ヘルツェゴビナを空爆し、武装民兵の周辺に滞在していた民間人を、誤爆や巻き添えで殺傷した。
- アメリカは1998年のケニアとタンザニアのアメリカ大使館爆破事件に対する制裁・報復でスーダンとアフガニスタンを空爆し、スーダンではアル・カーイダと無関係な食品と医薬品の工場が誤認により攻撃され、工場およびその周辺に滞在していた民間人を殺傷し、アフガニスタンでもアル・カーイダの訓練基地と誤認された民間人を殺傷した。
- アメリカは1999年のコソボ紛争に対する軍事介入でコソボを攻撃し、武装民兵の周辺に滞在していた民間人を、誤認や巻き添えで死傷させ、中国大使館を誤認で攻撃し、中国大使館員を殺傷した。
- アメリカは1991-2003のイラク軍の飛行禁止区域への侵入に対するイラクへの制裁空爆を行い、イラク軍の周辺に滞在していた民間人、およびイラク軍と誤認された民間人を殺傷した。
- アメリカは2001年以後のアフガニスタン侵攻で、アル・カーイダの訓練基地およびその周辺に滞在していた民間人、アル・カーイダと誤認された民間人を大量殺傷した。
- アメリカは2003年以後のイラクで、イラク軍や武装民兵の基地およびその周辺に滞在していた民間人、イラク軍や武装民兵と誤認された民間人を大量殺傷した。
- アメリカが第二次世界大戦で使用した核兵器は放射線による病気の発症や遺伝子の変異の原因になり、ベトナム戦争で使用した枯葉剤は生物の遺伝子に変異を与えた可能性・危険性が指摘され、湾岸戦争、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争、スーダン空爆、アフガニスタン空爆、イラク空爆、コソボ紛争、アフガニスタン侵攻、イラク戦争で使用した劣化ウラン弾は、重金属による土壌・地下水・湖沼・河川の汚染や、病気や遺伝子の変異の原因になる可能性・危険性が指摘されている。
- アメリカが行った日本、ドイツ、朝鮮、ベトナムに対する空爆は、交戦相手の軍隊や軍事施設を標的にしたのではなく、非戦闘員である民間人を標的にして大量殺傷する作戦であり、作戦の目的どおり大量殺傷を実行した。
- アメリカは日本、ドイツ、朝鮮半島、ベトナム、ボスニア・ヘルツェゴビナ、スーダン、アフガニスタン、コソボ、イラクへの攻撃で、非戦闘員である民間人の大量殺害を目的として民間人を大量殺傷した事実、焼夷弾、核兵器、枯葉剤、劣化ウラン弾を使用したことに対して、国としても、政権党としても、前期の行為が人道に対する犯罪であることを認めず、前記の行為と行為の結果を全て正当化し、いかなる謝罪も賠償もしていない。
- アメリカは先住民に対する大量殺傷と土地の収奪、黒人奴隷制度、奴隷制度廃止後の黒人に対する差別政策と人権侵害、第二次世界大戦中に日系アメリカ国民を強制収容所に収監したことについては、人道に対する犯罪であったと認めて謝罪し、関係修復や機会均等のための法律や政策を整備してきたので、完全ではなくても問題解決ろ目標への前進になっているが、前記の戦争時の人道に対する犯罪は、現在でも国・政府として犯罪であることを認めず正当化しているので、過去の問題でも終結した問題でもなく、現在も継続している問題である。
- アメリカはニュルンベルク国際軍事裁判、極東国際軍事裁判で、ドイツと日本の政府と軍の幹部を戦争を起こした罪で訴追し、政府と軍の幹部および軍人・兵士を戦時下の人道に対する罪で訴追し、有罪判決をして死刑・終身刑・有期刑の量刑を科し刑を執行したが、アメリカが核兵器・焼夷弾・通常爆弾による攻撃で非戦闘員である民間人を大量殺害した事実、ソ連が武装解除された元日本兵や民間人を強制連行してシベリアに抑留し強制労働させ多数の抑留者を死亡させた事実、アメリカ、ソ連、その他の連合国兵士が交戦相手国の民間人を殺害・監禁・拷問・強姦した事実は全て不問にした。
- アメリカは2001年以後のアフガニスタン侵攻、イラク戦争で身柄を拘束された捕虜が、身分不詳の状態でキューバのグアンタナモ基地およびヨーロッパのアメリカ軍基地のどこかにある捕虜収容所に不定期で長期間収監し、拷問または拷問に近い尋問をしていることに対して、身柄の釈放や被拘束者の人権保護、公正な裁判をするように、国際的に広範な立場から勧告されているが、アメリカは問題を解決しようとせず現在も進行中の問題である。
- 条約の加盟国であるかまたは未加盟国であることと、加盟国であるか未加盟国であるかに関わらず、条約が規定する条項を順守しているか順守していないか、実現しているか実現していないかは別の事項である。条約の加盟国が、条約が規定する条項を順守・実現していない事例も、条約の未加盟国が、条約が規定する条項を順守・実現している事例も、いずれも広範に存在している。
- アメリカは2007年1月時点で、ジェノサイドの処罰と予防に関する条約の加盟国だが、アメリカ先住民、日本国民、ドイツ国民、ベトナム国民に対する武力行使による市民の大量殺害はジェノサイドである。
- アメリカは2007年1月時点で、陸上の軍隊の負傷者と病人の条件の改善のためのジュネーブ条約(Geneva Convention for the Amelioration of the Condition of the Wounded and Sick in Armed Forces in the Field)、海上の軍隊の負傷者と病人と遭難者の条件の改善のためのジュネーブ条約(Geneva Convention for the Amelioration of the Condition of Wounded, Sick and Shipwrecked Members of Armed Forces at Sea)、戦争捕虜の取り扱いに関するジュネーブ条約(Geneva Convention relative to the Treatment of Prisoners of War)、戦争時の民間人の保護に関するジュネーブ条約(Geneva Convention relative to the Protection of Civilian Persons in Time of War)の加盟国であるが、戦時においてはジュネーブ条約の規定を順守しない事例は、条約に加盟以前の第二次世界大戦、朝鮮戦争においても、条約に加盟後のベトナム戦争、湾岸戦争、ボスニア・ヘルツェゴビナ空爆、コソボ空爆、アフガニスタン戦争、イラク戦争、その他の武力行使においても広範に存在する。
- アメリカは2007年1月時点で、拷問・他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約(CAT)の加盟国であるが、アフガニスタン、イラクにおける軍事作戦で身柄を拘束した捕虜をキューバのグアンタナモ基地、および、ヨーロッパのアメリカ軍基地のどこかに所在する捕虜収容所に、合法性が不明・身分不詳の状態で拘束を続け、捕虜に対する尋問の方法として拷問を広範に利用している。
- アメリカは2007年1月時点で、難民の地位に関する条約の未加盟国(未署名)だが、第二次世界大戦中から2007年1月時点にいたるまで、難民や亡命者を積極的に受け入れてきた。アメリカが難民の地位に関する条約に加盟していないことは、アメリカが難民の地位に関する条約の加盟国と比較して、全ての国との比較において、例えば日本、中国、ロシアとの比較において、難民の保護の質と量が低水準なことを意味するものではない。難民の地位に関する条約の加盟国でもアメリカと比較して、難民の保護の質と量が低水準な国は、アフリカ、中東、経済的貧困国、非民主的政治体制国において多数存在し、経済的に豊かで民主的政治制度の国においても存在している。
- アメリカは2007年1月時点で、経済的・社会的・文化的権利に関する国際規約の未加盟国(署名済・未批准)だが、アメリカが経済的・社会的・文化的権利に関する国際規約に加盟していないことは、アメリカが経済的・社会的・文化的権利に関する国際規約の全ての加盟国との比較において、例えば中国、北朝鮮、イラン、ソマリ、スーダンとの比較において、経済的・社会的・文化的権利に関する国際規約の質と量が低水準であることを意味するものではない。経済的・社会的・文化的権利に関する国際規約の加盟国でもアメリカと比較して、経済的・社会的・文化的権利の質と量が低水準な国は、アフリカ、中東、経済的貧困国、非民主的政治体制国において多数存在している。
- アメリカは2007年1月時点で、女性に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約の未加盟国(署名済・未批准)だが、アメリカが女性に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約に加盟していないことは、アメリカが女性に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約の全ての加盟国との比較において、例えばサウジ・アラビア、アフガニスタン、エチオピア、ルワンダとの比較において、女性に対するあらゆる形態の差別の撤廃の質と量が低水準であることを意味するものではない。女性に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約の加盟国でもアメリカと比較して、女性に対するあらゆる形態の差別の撤廃の質と量が低水準な国は、アフリカ、中東、経済的貧困国、非民主的政治体制国において多数存在している。
- アメリカは2007年1月時点で、児童の権利に関する条約の未加盟国(署名済・未批准)だが、アメリカが児童の権利に関する条約に加盟していないことは、アメリカが児童の権利に関する条約の全ての加盟国との比較において、例えば北朝鮮、スーダン、シエラ・レオネ、コンゴ民主共和国との比較において、児童の権利の保護の質と量が低水準であることを意味するものではない。児童の権利に関する条約の加盟国でもアメリカと比較して、児童の権利の保護の質と量が低水準な国は、アフリカ、中東、経済的貧困国、非民主的政治体制国において多数存在している。
- ワシントンDCに本部がある民間活動団体・死刑情報センター(Death Penalty Information Center)の統計によると、アメリカで1977年に死刑執行が再開されて以後2006年度までに、連邦法で3人と州法で1057人が死刑を執行され、軍法による死刑執行は無い。年度別の執行人数は1977年は1、1978年は0、1979年は2、1980年は0、1981年は1、1982年は2、1983年は5、1984年は21、1985年は18、1986年は18、1987年は25、1988年は11、1989年は16、1990年は23、1991年は14、1992年は31、1993年は38、1994年は31、1995年は56、1996年は45、1997年は74、1998年は68、1999年は98、2000年は85、2001年は66、2002年は71、2003年は65、2004年は59、2005年は60、2006年は53である。
- ワシントンDCに本部がある民間活動団体・死刑情報センター(Death Penalty Information Center)の統計によると、アメリカは2007年1月時点で、連邦法と軍法と38州の州法で死刑制度があり、死刑執行が復活した1977年以後、連邦司法省と死刑制度がある38州のうち33州は執行があり、軍隊と5州は執行が無く、12州の州法とワシントンDCには死刑制度が無い。死刑執行が復活した1977年以後の連邦と軍と州の執行数は、連邦司法省は3、死刑制度がある38州のうち1977年以後に執行している33州の執行数は、アラバマは35、アリゾナは22、アーカンソーは27、カリフォルニアは13、コロラドは1、コネチカットは1、デラウエアは14、フロリダは64、ジョージアは39、アイダホは1、インディアナは17、イリノイは12、ケンタッキーは2、ルイジアナは27、メリーランドは5、ミシシッピは8、ミズーリは66、モンタナは3、ネブラスカは3、ネバダは12、ニューメキシコは1、ノースカロライナは43、オハイオは24、オレゴンは2、オクラホマは84、ペンシルバニアは3、サウスカロライナは36、テネシーは2、テキサスは381、ユタは6、バージニアは98、ワシントンは4、ワイオミングは1である。2007年1月時点で法律上は死刑制度があるが1972年以後は執行していない1組織と5州は、アメリカ合衆国軍隊、ニューハンプシャー、ニュージャージー、ニューヨーク、カンサス、サウスダコタである。2007年1月時点で死刑制度が無い1特別区と12州は、ワシントンDC、アラスカ、ハワイ、アイオワ、メーン、マサチューセッツ、ミシガン、ミネソタ、ノースダコタ、ロードアイランド、バーモント、ウエストバージニア、ウィスコンシンである。
- ワシントンDCに本部がある民間活動団体・死刑情報センター(Death Penalty Information Center)の統計によると、死刑執行が停止された1972年以前、連邦司法省とアメリカ合衆国軍隊とアメリカ合衆国の各州の執行数は、連邦司法省は34、アメリカ合衆国軍隊は162、ワシントンDCは118、アラバマは708、アラスカは12、アイオワは45、アリゾナは104、アーカンソーは478、カリフォルニアは709、コロラドは101、コネチカットは126、デラウエアは62、フロリダは314、ジョージアは950、ハワイは49、アイダホは26、インディアナは131、イリノイは348、カンサスは57、ケンタッキーは424、ルイジアナは632、メーンは21、マサチューセッツは345、メリーランドは309、ミシガンは13、ミネソタは66、ミシシッピは351、ミズーリは285、モンタナは71、ネブラスカは34、ネバダは61、ノースダコタは8、ニューハンプシャーは24、ニュージャージーは361、ニューメキシコは73、ニューヨークは1130、ノースカロライナは784、オハイオは438、オレゴンは122、オクラホマは132、ペンシルバニアは1040、ロードアイランドは52、サウスカロライナは641、サウスダコタは15、テネシーは335、テキサスは755、ユタは43、バージニアは1277、バーモントは26、ワシントンは105、ウエストバージニアは155、ワイオミングは22、ウィスコンシンは1である。
- アメリカ連邦捜査局の犯罪報告書によると、アメリカの殺人被害人数(人口10万人あたりの被害人数)は、1976年は18,780(8.8)、1977年は19,120(8.8)、1978年は19,560(9.0)、1979年は21,460(9.7)、1980年は23,040(10.2)、1981年は22,520(9.8)、1982年は21,010(9.1)、1983年は19,310(8.3)、1984年は18,690(7.9)、1985年は18,980(7.9)、1986年は20,613(8.6)、1987年は20,096(8.3)、1988年は20,675(8.5)、1989年は21,500(8.7)、1990年は23,438(9.4)、1991年は24,703(9.8)、1992年は23,760(9.3)、1993年は24,526(9.5)、1994年は23,326(9.0)、1995年は21,606(8.2)、1996年は19,645(7.4)、1997年は18,208(6.8)、1998年は16,974(6.3)、1999年は15,522(5.7)、2000年は15,586(5.5)、2001年は16,037(5.6)、2002年は16,229(5.6)、2003年は16,528(5.7)、2004年は16,148(5.5)、2005年は16,692(5.6)である。
- アメリカ連邦捜査局の犯罪報告書によると、アメリカの強姦被害人数(人口10万人あたりの被害人数)は、1976年は57,080(26.6)、1977年は63,500(29.4)、1978年は67,610(31.0)、1979年は76,390(34.7)、1980年は82,990(36.8)、1981年は82,500(36.0)、1982年は78,770(34.0)、1983年は78,920(33.7)、1984年は84,230(35.7)、1984年は88,670(37.1)、1986年は91,459(38.1)、1987年は91,111(37.6)、1988年は92,486(37.8)、1989年は94,504(38.3)、1990年は102,555(41.1)、1991年は106,593(42.3)、1992年は109,062(42.8)、1993年は106,014(41.1)、1994年は102,216(39.3)、1995年は97,470(37.1)、1996年は96,252(36.3)、1997年は96,153(35.9)、1998年は93,144(34.5)、1999年は89,411(32.8)、2000年は90,178(32.0)、2001年は90,863(31.8)、2002年は95,235(33.1)、2003年は93,883(32.3)、2004年は95,089(32.4)、2005年は93,934(31.7)である。
- アメリカ連邦捜査局の犯罪報告書によると、アメリカの強盗被害人数(人口10万人あたりの被害人数)は、1976年は427,810(199.3)、1977年は412,610(190.7)、1978年は426,930(195.8)、1979年は480,700(218.4)、1980年は565,840(251.1)、1981年は592,910(258.7)、1982年は553,130(238.9)、1983年は506,570(216.5)、1984年は485,010(205.4)、1985年は497,870(208.5)、1986年は542,775(226.0)、1987年は517,704(213.7)、1988年は542,968(222.1)、1989年は578,326(234.3)、1990年は639,271(256.3)、1991年は687,732(272.7)、1992年は672,478(263.7)、1993年は659,870(256.0)、1994年は618,949(237.8)、1995年は580,509(220.9)、1996年は535,594(201.9)、1997年は498,534(186.2)、1998年は447,186(165.5)、1999年は409,371(150.1)、2000年は408,016(145.0)、2001年は423,557(148.5)、2002年は420,806(146.1)、2003年は414,235(142.5)、2004年は401,470(136.7)、2005年は417,122(140.7)である。
- アメリカ連邦捜査局の犯罪報告書によると、アメリカの暴行被害人数(人口10万人あたりの被害人数)は、1976年は500,530(233.2)、1977年は534,350(247.0)、1978年は571,460(262.1)、1979年は629,480(286.0)、1980年は672,650(298.5)、1981年は663,900(289.7)、1982年は669,480(289.2)、1983年は653,290(279.2)、1984年は685,350(290.2)、1985年は723,250(302.9)、1986年は834,322(347.4)、1987年は855,088(352.9)、1988年は910,092(372.2)、1989年は951,707(385.6)、1990年は1,054,863(422.9)、1991年は1,092,739(433.4)、1992年は1,126,974(441.9)、1993年は1,135,607(440.5)、1994年は1,113,179(427.6)、1995年は1,099,207(418.3)、1996年は1,037,049(391.0)、1997年は1,023,201(382.1)、1998年は976,583(361.4)、1999年は911,740(334.3)、2000年は911,706(324.0)、2001年は909,023(318.6)、2002年は891,407(309.5)、2003年は859,030(295.4)、2004年は847,381(288.6)、2005年は862,947(291.1)である。
[編集] アメリカの人権と人権政策に関する政治勢力の傾向
- アメリカは政権が民主党でも共和党でも、議会の多数派が民主党でも共和党でも、人権保護を推進した事例も、人権保護を無視した事例も、人権侵害を推進した事例も、人権侵害を抑止した事例もあり、戦争と外交政策に関する考え方・政策・実績は、民主党の多数派と共和党の多数派に本質的・根本的な差異はない。
- 民主党は世界各国との国際協調を重視し、対話による外交を推進し、世界各国との利益の共存共栄を追求する考え方・政策であり、死刑制度の廃止、被疑者・被告人・受刑者の権利を保護、難民と不法移民の権利を保護、女性と児童と社会的少数者の権利の保護し、人権を保護する政策を推進してきたという認識は、公的機関が公開している客観的で具体的な事実および包括的な歴史的事実に基づいて検証され証明されたものではなく、アメリカの戦争と外交政策、アメリカの軍需経済と軍事政策、アメリカの経済と経済政策、アメリカの環境と環境政策、アメリカの選挙の歴史を検証すると、個別事例を全体化した偏った見方による誤認であり、全体的に該当する事実ではなく、共和党と比較して顕著な傾向は存在しない。
- 共和党は世界各国との国際協調を軽視し、圧力による外交を推進し、自国の独占的覇権的利益だけを追求する考え方・政策であり、死刑制度の維持、被疑者・被告人・受刑者の権利を無視、難民と不法移民の権利を無視、女性と児童と社会的少数者の権利の無視し、人権を侵害する政策を推進してきたという認識は、公的機関が公開している客観的で具体的な事実および包括的な歴史的事実に基づいて検証され証明されたものではなく、アメリカの戦争と外交政策、アメリカの軍需経済と軍事政策、アメリカの経済と経済政策、アメリカの環境と環境政策、アメリカの選挙の歴史を検証すると、個別事例を全体化した偏った見方による誤認であり、全体的に該当する事実ではなく、民主党と比較して顕著な傾向は存在しない。
- 妊娠中絶の自由、同性愛者の法律婚、生命科学・技術を利用した生命の創出・改変のための人為的操作に関して、民主党は比較的に寛容的、共和党は比較的に抑制的である。
- 生命・身体・性・精神・財産の自由に対する侵害と保護、犯罪の被疑者・被告人・受刑者の権利保護、死刑制度に関して、民主党の多数派と共和党の多数派の考え方・政策・実績に本質的・根本的な差異はない。
[編集] 参考文献
- 松井茂記『アメリカ憲法入門』有斐閣。
- 田島裕『アメリカ憲法-合衆国憲法の構造と公法原理』信山社出版。
- 一倉重美津『アメリカ憲法要説-政治制度論からの考察』成文堂。
- 芦部信喜、憲法訴訟研究会『アメリカ憲法判例』有斐閣。
- 阿川尚之『憲法で読むアメリカ史』PHP研究所。
- モートン・ホーウィッツ『現代アメリカ法の歴史』弘文堂。
- 尾崎哲夫『アメリカの法律と歴史』自由国民社。
- クレア・シャーマン・トーマス『アメリカ性差別禁止法』木鐸社。
- 中窪裕也『アメリカ労働法』弘文堂。
- 宇賀克也『アメリカ行政法』弘文堂。
- 斎藤明子『アメリカ障害者法-全訳』現代書館。
- リチャード・スコッチ、山本礼子『アメリカ初の障害者差別禁止法はこうして生まれた』明石書店。
- 定藤丈弘、北野誠一『アメリカの発達障害者権利擁護法-ランターマン法の理論と実践』明石書店。
- 浅香吉幹『現代アメリカの司法』東京大学出版会。
- ローク・リード『アメリカの刑事手続』有斐閣。
- 島伸一『アメリカの刑事司法』弘文堂。
- 西原春夫、田宮裕、松尾浩也『アメリカ刑事法の諸相』成文堂。
- 徳岡秀雄『少年司法政策の社会学-アメリカ少年保護変遷史』東京大学出版会。
- バリー・クリスバーグ、ジェームス・オースチン『アメリカ少年司法の再生』敬文堂。
- 藤本哲也『現代アメリカ犯罪学事典』勁草書房。
- ケリング『割れ窓理論による犯罪防止-コミュニティの安全をどう確保するか』文化書房博文社。
- 新恵里『犯罪被害者支援-アメリカ最前線の支援システム』径書房。
- アメリカ自由人権協会『アメリカのめざす人権-アメリカ自由人権協会ポリシーガイド』明石書店。
- ドナルド・グリンデ、ブルース・ジョハンセン『アメリカ建国とイロコイ民主制』みすず書房。
- ディー・ブラウン『わが魂を聖地に埋めよ-アメリカ・インディアン闘争史』草思社。
- エリック・ウィリアムズ『資本主義と奴隷制-経済史から見た黒人奴隷制の発生と崩壊』明石書店。
- 池本幸三、下山晃、布留川正博『近代世界と奴隷制-大西洋システムの中で』人文書院。
- 本田創造『アメリカ黒人の歴史』岩波書店。
- 菊池謙一『アメリカの黒人奴隷制度と南北戦争』未来社。
- 大谷康夫『アメリカの黒人と公民権法の歴史』明石書店。
- 本田創造『アメリカ黒人の歴史』岩波書店。
- 常石敬一『化学兵器犯罪』講談社。
- 秦郁彦、佐瀬昌盛、常石敬一『世界戦争犯罪事典』文藝春秋社。
- 猿谷要『歴史物語-アフリカ系アメリカ人』朝日新聞社。
- ロナルド・タカキ『アメリカはなぜ日本に原爆を投下したのか』草思社。
- スティーヴン・ウォーカー『カウントダウン・ヒロシマ』早川書房。
- 鳥居民『原爆を投下するまで日本を降伏させるな』草思社。
- 最上敏樹『人道的介入-正義の武力行使はあるか』岩波書店。
- 日本国際連合学会『人道的介入と国連』国際書院。
[編集] 出典
[編集] 人権に関する政策の出典
- 外務省・人権に関する政策
- 国連・人権に関する国際法
- 経済的・社会的・文化的権利に関する国際規約(ICESCR)
- 市民的・政治的権利に関する国際規約(ICCPR)
- 市民的・政治的権利に関する国際規約の選択議定書(ICCPR-OP1)
- 市民的・政治的権利に関する国際規約の第二選択議定書(ICCPR-OP2
- 女性に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約(CEDAW)
- 女性に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約の選択議定書(CEDAW-OP)
- 児童の権利に関する条約(CRC)
- 児童の権利に関する条約の児童の売買等に関する選択議定書(CRC-OP-SC)
- 児童の権利に関する条約の武力紛争における児童の関与に関する選択議定書(CRC-OP-AC)
- あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約(ICERD)
- 拷問・他の残虐な非人道的な品位を傷つける取り扱いまたは刑罰に関する条約(CAT)
- 拷問・他の残虐な非人道的な品位を傷つける取り扱いまたは刑罰に関する条約の選択議定書(CAT-OP)
- ジェノサイドの処罰と予防に関する条約
- 国際刑事裁判所条約(ICC)
- 陸上の軍隊の負傷者と病人の条件の改善のためのジュネーブ条約(Geneva Convention for the Amelioration of the Condition of the Wounded and Sick in Armed Forces in the Field)
- 海上の軍隊の負傷者と病人と遭難者の条件の改善のためのジュネーブ条約(Geneva Convention for the Amelioration of the Condition of Wounded, Sick and Shipwrecked Members of Armed Forces at Sea)
- 戦争捕虜の取り扱いに関するジュネーブ条約(Geneva Convention relative to the Treatment of Prisoners of War)
- 戦争時の民間人の保護に関するジュネーブ条約(Geneva Convention relative to the Protection of Civilian Persons in Time of War)
- 国際的武力紛争の被害者の保護に関するジュネーブ条約の追加議定書(Protocol Additional to the Geneva Conventions and relating to the Protection of Victims of International Armed Conflicts)
- 国際的でない武力紛争の被害者の保護に関するジュネーブ条約の追加議定書(Protocol Additional to the Geneva Conventions and relating to the Protection of Victims of Non-International Armed Conflicts)
- 全ての移住労働者の権利とその家族の保護に関する国際条約(International Convention on the Protection of the Rights of All Migrant Workers and Members of Their Families)
- 難民の地位に関する条約(Convention relating to the Status of Refugees)
- 難民の地位に関する条約の議定書(Protocol relating to the Status of Refugees)
- 無国籍者の地位に関する条約(Convention relating to the Status of Stateless Persons)
- 無国籍者の減少に関する条約(Convention on the Reduction of Statelessness)
- 死刑情報センター(Death Penalty Information Center)
[編集] アメリカの政府・議会・政策・法律に関する出典
- アメリカ合衆国大統領官邸
- アメリカ合衆国国務省
- アメリカ合衆国司法省
- アメリカ合衆国連邦捜査局
- 2005年の犯罪報告書
- 1986年-2005年の犯罪統計はWhere can I find the number of estimated violent and property crimes for the Nation over the past 20 years Table1。
- 1995年の犯罪報告書
- 1976年-1985年の犯罪統計はSECTION2 Crime Index Offenses Reported → Crime Index Tabulations → Table1. Index of Crime of United States 1976-1995。
- 2005年の犯罪報告書
- アメリカ合衆国連邦捜査局
- アメリカ合衆国上院
- アメリカ合衆国下院
- アメリカ合衆国連邦議会図書館
- アメリカ合衆国国立公文書館
[編集] 関連テーマ
- アメリカの戦争と外交政策
- アメリカの軍需経済と軍事政策
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