イナリトウザイ
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性別 | 牝 |
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毛色 | 鹿毛 |
品種 | アングロアラブ |
生誕 | 1971年4月21日 |
死没 | 2002年 |
父 | カリム |
母 | タクマサル |
生産 | 渕瀬敏光 |
生国 | 日本(北海道新冠町) |
馬主 | イナリ競走馬(株) →牧野英 |
調教師 | 鴨田次男(中山) →三坂博(大井) |
競走成績 | 中央12戦7勝 地方7戦6勝 |
イナリトウザイは日本のアングロアラブ競走馬。サラブレッドを相手に重賞を含む複数のレースで勝利を収め、「アラブの魔女」と称された。
1973年6月に中央競馬でデビュー。アングロアラブ限定戦を3連勝(うち2レースはレコードタイム)を収めた後はサラブレッドを相手にレースをするようになり、サラブレッドオープンクラスのレースで3連勝(うち1レースはレコードタイム)を収めた。この実績によって1973年度の優駿賞最優秀アラブを受賞した。
翌1974年は中央競馬のオープンクラスで4戦(1勝)した後に地方競馬(大井競馬場)へ移籍。当時の地方競馬のアラブのレベルは高く、この移籍は決して都落ちではなく更なる高みを目指すためのものであった。移籍後2連勝の後南関東アラブ三冠のひとつであるアラブダービーを優勝し、さらにサラブレッドを相手にオープン特別を優勝。続くアラブ王冠(南関東アラブ三冠レースのひとつ)ではイナリトウザイとの対戦を回避する馬が続出し、出走頭数不足により競走取り止めとなった。アラブ王冠の代替レースとして陣営はサラブレッドの重賞東京盃への出走を決定、レースレコードを記録して優勝した。
1975年1月のレースを最後に競走馬を引退し、繁殖牝馬となった。産駒からアングロアラブのリーディングサイアーに4度輝いたキタノトウザイなど、4頭の種牡馬を輩出した。
[編集] 血統表
イナリトウザイの血統 (ネアルコ系(ファラリス系)、Nearco 2×5 = 28.12%、アラブ血量25%) | |||
父
*カリム Karim 1953 鹿毛 |
Nearco 1935 黒鹿毛 |
Pharos | Phalaris |
Scapa Flow | |||
Nogara | Havresac | ||
Catnip | |||
Skylarking 1947 栗毛 |
Mirza | Blenheim | |
Mumtaz Mahal | |||
Jennie | Apelle | ||
Lindos Ojos | |||
母
アア タクマサル 1963 鹿毛 (アラブ血量50%) |
ヒシマサル 1955 鹿毛 |
*ライジングフレーム | The Phoenix |
Adomirable | |||
カッター | 月友 | ||
セフトマス | |||
アラ 琢斗 1955 鹿毛 |
アラ *ニーフアン Nifan |
アラ Norniz | |
アラ Nifa | |||
アラ 琢楓 | アラ *フアヘツド | ||
アラ 師択 |