ヒシマサル (1955年生)
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性別 | 牡 |
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毛色 | 鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1955年4月5日 |
死没 | 1962年 |
父 | ライジングフレーム |
母 | カッター |
生産 | 藤田牧場 |
生国 | 日本(浦河町) |
馬主 | 阿部雅信 |
調教師 | 矢野幸夫(中山) |
競走成績 | 27戦13勝 |
獲得賞金 | 958万7400円 |
ヒシマサルは、日本の競走馬。同期には、牝馬ながらも天皇賞(秋)・有馬記念を制したガーネツトがいる。
目次 |
[編集] 戦績
馬齢は旧表記で統一する。
1957年8月18日に函館競馬場の3歳新馬(芝 800m)でデビューしたが5着であった。その後も3戦使われたがいずれも勝てず春まで休養する。
4歳緒戦の未勝利戦(東京競馬場・芝1400m)での初勝利を含む3連勝で、NHK杯に出走し4着。東京優駿(日本ダービー)は5着に敗れたが、その後は千葉ハンデキャップ・中山4歳ステークス(現在のラジオNIKKEI賞)・札幌改築記念・札幌記念・毎日王冠・セントライト記念まで全て1位で入線した(但し、中山4歳ステークスは失格)。この勢いで挑んだ菊花賞は距離特性が合わず5着に敗れ4歳シーズンを終えた。この1958年に啓衆賞最良スプリンターを受賞している。
5歳時は、9戦して安田記念・日本経済賞等を勝ち、本来なら距離不適の天皇賞(春)も3着となっている。
6歳時は、オープン競走を2戦1勝で引退した。
[編集] 引退後
1960年6月11日のオープン競走を最後に引退し種牡馬入りしたヒシマサルは、内国産種牡馬と言うハンデを抱えていたにも関わらず、早くも代表産駒・ヒシマサヒデを輩出する。安田記念父子制覇・最良スプリンター父子受賞を達成した孝行息子であったが、残念ながらヒシマサルはヒシマサヒデの活躍を見る事は叶わなかった。種牡馬生活3年目突入した矢先、放牧中に有刺鉄線に絡まると言う今では信じられないアクシデントに遭遇。この時、予想外の事態に錯乱し無理やり振り払おうとしたのが災いし、体に致命的な傷を負ったヒシマサルは出血多量の為その日のうちに急逝した。ヒシマサヒデの他にもイナリトウザイの母・タクマサルを輩出している事を考えると、このアクシデントに遭わず長生きしていれば、更なる活躍馬も出せていたと思われる。
[編集] 2代目ヒシマサル
1989年生まれの同名の競走馬がいる(血統表などでは初代ヒシマサルと区別するため「ヒシマサル II」と表記されている)。馬主は 初代ヒシマサルの馬主である阿部雅信の子息・阿部雅一郎で、思い入れのあるヒシマサルと同じ馬名で登録するため、わざわざ生産国のアメリカ合衆国において"Hishi masaru"で馬名登録を行った上で輸入した。本来、種牡馬になった競走馬と同じ名前を登録することはできないが、この方法を使えば条件付では有るが今でも登録可能である(詳細は競走馬名の項を参照)。
[編集] 主な産駒
- ヒシマサヒデ(安田記念・オールカマー・京王杯スプリングハンデキャップ・金杯(東)、1966年啓衆賞最良スプリンター)、ヒシスピードの父
- タクマサル(イナリトウザイの母)
[編集] 血統表
ヒシマサルの血統 (ベンドア系(エクリプス系)/Pharos 4×5(父系)=9.38%) | |||
父
*ライジングフレーム Rising Flame 1947 黒鹿毛 |
The Phoenix 1940 鹿毛 |
Chateau Bouscaut | Kircubbin |
Ramondie | |||
Fille de Poete | Firdaussi | ||
Fille d'Amour | |||
Adomirable 1942 黒鹿毛 |
Nearco | Pharos | |
Nogara | |||
Silvia | Craig an Eran | ||
Angela | |||
母
カッター 1947 栗毛 |
月友 1932 栗毛 |
Man o'War | Fair Play |
Mahubah | |||
*星友 | Sir Martin | ||
Colna | |||
セフトマス 1941 栗毛 |
*セフト Theft |
Tetratema | |
Voleuse | |||
月家 | *トウルヌソル | ||
種家 F-No.6 |