ウィラポン・ナコンルアンプロモーション
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
[[画像:|200px]] |
|
基本情報 | |
---|---|
本名 | ウィラポン・サハプロム |
あだ名 | デスマスク |
階級 | バンタム級 |
国籍 | ![]() |
誕生日 | 1968年11月16日 |
出身地 | タイ, ナコーンラーチャシーマー県 |
命日 | |
死地 | |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 60 |
勝ち | 55 |
KO勝ち | 40 |
敗け | 3 |
引き分け | 2 |
無効試合 |
ウィラポン・ナコンルアンプロモーション(Veeraphol Nakhornluang Promotion、1968年11月16日 - )は、タイのプロボクサーで、本名はウィラポン・サハプロム(Veeraphol Sahaprom)。タイ王国ナコーンラーチャシーマー県出身。表情を全く変えずに強打を放つ所から"デスマスク(死者の顔)"との異名を持つ。
ベルトラインぎりぎりのボディブローと長年の経験で培われた屈指の技術で圧倒的な実力を持つ。日本では辰吉丈一郎を破った男として知られている。
決して派手ではないが、実直な強さと、寡黙で礼儀正しい性格から、日本でもファンが多い。
[編集] 経歴
母国タイの国技ムエタイで3階級制覇という実績を引っ提げ、1994年12月にプロデビュー。そのデビュー戦でWBCスーパーフライ級インターナショナル王座を獲得。
1995年9月17日、デビュー4戦目で世界初挑戦。ダウルン・MPペトロリアムとの同国人対決を12回判定で制し、WBA世界バンタム級王座獲得。
翌1996年1月28日、初防衛戦で元WBC世界スーパーフライ級王者ナナ・コナドゥ(ガーナ)と対戦。初回にいきなりダウンを奪ったものの、続く2回に逆襲に遭い、この回でKO負け。わずか4ヵ月で王座を手放す。
WBA王座陥落から3年が経過しようとしていた1998年12月29日、世界再挑戦。大阪でWBC世界バンタム級王者辰吉丈一郎に挑み、6回KO勝ち。世界王座返り咲きに成功する。
1999年8月、2度目の防衛戦で辰吉と再戦し、7回TKOで返り討ち。
2000年6月には3度目の来日を果たし、当時"日本プロボクシング界最大のホープ"と称されていた西岡利晃の挑戦を12回判定に退けた。その後、西岡とは2001年9月には序盤苦戦するものの、終盤に強烈な右ストレートが決まりだし、試合のペースをつかみ、2003年10月には、挑戦者びいきとも捉えれる判定もあるなかで、いずれも引き分け。さらに、2004年3月にも対戦し、ここでは12回判定で完勝している。
辰吉との再戦ならびに西岡との4度の対戦を含め、実に14度の王座防衛を果たしたが、2005年4月16日、15度目の防衛戦で長谷川穂積に12回判定負けを喫し、6年3ヵ月以上保持してきた王座を遂に手放した。
王座陥落後はノンタイトル戦5連勝(内4KO)
2006年3月25日、11ヵ月前の雪辱と王座奪回を懸け、長谷川穂積と神戸で再戦、しかし、初防衛戦をクリアし更に強くなった長谷川の前に、果敢に立ち向かうも、第9ラウンド開始直後に長谷川の右フックを浴び、ダウン。立ち上がろうとするも完全に試合を続行できる状態ではなかったため、レフェリーストップ、自身二度目のKO負けを喫した。なお、日本での試合はこれが8度目となる。
長谷川戦後は引退も囁かれたが、2006年8月18日に母国タイで、パスカル・マガマに3RTKO勝ちで現役復帰に成功。
[編集] 戦績
- ムエタイ:不明
- ボクシング:55勝(40KO)3敗2引き分け
- 獲得タイトル
- WBCインターナショナルスーパーフライ級王座(1度防衛)
- WBA世界バンタム級王座(初防衛戦で陥落)
- WBC世界バンタム級王座(14度防衛)
題目 | 日付 | 勝敗 | 勝敗内容 | 対戦相手 | 国籍 | 備考 |
22 | 1998年12月29日 | 勝 | 6RKO | 辰吉丈一郎 | 日本 | WBC世界バンタム級王座挑戦・獲得 |
23 | 1999年5月21日 | 勝 | 3RTKO | マウロ・ブランコ | メキシコ | 同王座防衛・1 |
24 | 1999年8月29日 | 勝 | 7RTKO | 辰吉丈一郎 | 日本 | 同王座防衛・2 |
27 | 2000年3月11日 | 勝 | 12R判定 | アダン・バルガス | メキシコ | 同王座防衛・3 |
28 | 2000年6月25日 | 勝 | 12R判定 | 西岡利晃 | 日本 | 同王座防衛・4 |
30 | 2000年12月5日 | 勝 | 5RTKO | オスカル・アルシニエガ | メキシコ | 同王座防衛・5 |
33 | 2001年5月14日 | 勝 | 3RTKO | リカルド・ハラハス | メキシコ | 同王座防衛・6 |
35 | 2001年9月1日 | 引き分け | 判定 | 西岡利晃 | 日本 | 同王座防衛・7 |
37 | 2002年1月1日 | 勝 | 12R判定 | セルヒオ・ペレス | メキシコ | 同王座防衛・8 |
39 | 2002年5月1日 | 勝 | 12R判定 | フリオ・コロネル | コロンビア | 同王座防衛・9 |
43 | 2003年5月1日 | 勝 | 12R判定 | ウーゴ・ディアンソ | メキシコ | 同王座防衛・10 |
44 | 2003年10月4日 | 引分 | 判定 | 西岡利晃 | 日本 | 同王座防衛・11 |
45 | 2004年3月6日 | 勝 | 12R判定 | 西岡利晃 | 日本 | 同王座防衛・12 |
46 | 2004年5月13日 | 勝 | 12RTKO | フリオ・セサール・アビラ | メキシコ | 同王座防衛・13 |
48 | 2004年9月11日 | 勝 | 12R判定 | セシリオ・サントス | メキシコ | 同王座防衛・14 |
50 | 2005年2月22日 | 勝 | 3RKO | アレン・フエンテス | フィリピン | 無 |
51 | 2005年4月16日 | 負 | 12R判定3-0 | 長谷川穂積 | 日本 | 15度目の防衛失敗・王座陥落 |
56 | 2006年3月25日 | 負 | 9RTKO | 長谷川穂積 | 日本 | 王座奪還失敗 |
前王者 トーサク・ポンスパ |
第3代WBCインターナショナルスーパーフライ王者 1991年12月5日 - 1995年 |
次王者 ガブリエル・レイ |
前王者 ダオラン・チュワタナ |
第32代WBA世界バンタム級王者 1995年9月17日 - 1996年1月28日 |
次王者 ナナ・コナドゥ |
前王者 辰吉丈一郎 |
第25代WBC世界バンタム級王者 1998年12月29日 - 2005年4月16日 |
次王者 長谷川穂積 |