エッチ・ケー・エス
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種類 | 株式会社 |
市場情報 | |
略称 | HKS |
本社所在地 | 静岡県富士宮市上井出2266 |
設立 | 1973年10月3日 |
業種 | 輸送用機器 |
代表者 | 長谷川浩之 |
資本金 | 8億7,875万円 |
決算期 | 8月 |
外部リンク | http://www.hks-power.co.jp/ |
株式会社エッチ・ケー・エス(HKS)は、静岡県富士宮市に本社を置く自動車部品製造販売会社。
大パワーに執着を見せ、日本のターボチューン業界を引っ張ってきた。自動車雑誌『Option』のコーナー中「これからはリッター500馬力の時代です」とスピーチした事をネタにされている。
現在ではV-カムシステムを始め、乗りやすい車を目指す為のパーツを多く生み出している。
本社のほかにも、HKS関西S.C.、HKSテクニカルファクトリーを始めとした、サービスセンターを開いている(本社ではチューニングは行っておらず、これらのサービスセンターで受け付けている)。
主にチューニングパーツの開発、販売をしているが、レース部門が作り上げた車はとんでもない事になる事が多い(後述するレーシングアルテッツァや、TRB-02が良い例)。このレース部門は以前『Option』の取材に対し「やれることはすべてやる」とのコメントをしている。
2006年5月現在、ブランドはパーツ全般を販売する「HKS」と、エアロ関係を手がける「HKS Style」「HKS Line」の3つである。
以前からドラッグレースに挑戦していた事から、ユーザーにもドラッグミーティングという形で0-400の走行会を行っている。この走行会の成績上位者には、全国大会への出場がプレゼントされていた(現在は若干規模が縮小し、東日本/西日本大会となっている)。
その後、グリップランやドリフトにも力を入れてきたため、ハイパーチャレンジ/ドリフトチャレンジという走行会も開催している。
過去には国内トップレースで活躍を見せたこともあり、1996年に日産のレギュラーであった長谷見を移籍させオペルベクトラでJTCCに参戦、レース界を驚かせた。しかしながら2002年にJGTC用メルセデスCLKの開発に失敗し、それ以降メジャーレース参戦の動きは見せていない。また三菱のGDIエンジンを利用してF3用エンジンを製作したり、バブル期にはF1用3.5LのV12エンジンを開発したこともある。(F3用は実戦投入された)
ちなみに社名のHKSは「長谷川金物商会(長谷川金物商店)の略」、「会社設立時の出資者3人のイニシャル」など諸説あるが定かではない。
目次 |
[編集] 概要
[編集] レース部門開発のレースカー
[編集] サーキットレース用車両
- Gr.A GT-R
- 全日本ツーリングカー選手権に参戦していた日産・スカイラインGT-R(BNR32)ベースのレーシングカー。他のメーカーがレイニックチューンのエンジンを使用していたが、HKSのみ自社チューンのエンジンを使用していた。ここから用途限定、プロショップ限定発売のHRM-087というエンジンオイルが開発されている。
[編集] ドラッグレース用車両
- プロストック180SX
- RRCプロストッククラスにて長い間レコードホルダーであった。プロストックカーなので、外見は日産・180SXに似ているが、中身はパイプフレームで作られた別物。エンジンもSR20DETでなく、RB26DETT改2.7L+GT3037S×2という組み合わせであった。ドライバーは川崎哲也。
- プロGT-R
- RRCプロクラスに参戦していたBCNR33スカイラインGT-Rベースのドラッグカー。6速ドグミッションや、トリプルプレートクラッチなど、ここからも多くのパーツが開発されている。日本初のエアーシフターを搭載したのもこの車で、量産車改造のストックカーとして、初めて7秒台へ突入した。パワーユニットはRB26DETT改RB28DETT+GT3540R×2で1300馬力
- ドラッグセリカ
- 自動車雑誌『Option2』とのジョイント企画で製作されたトヨタ・セリカ(ST202)SS-IIベースのドラッグカー。FFで9秒台突入を目指し改良が進められ、日本初のFF9秒台マシンへと進化した。シフトチェンジのロスを少なくする、また強大なトルクステアに耐えるため、シフトレバーの代わりに、ペダルを蹴ってシフトするという特殊なシステムになっていた。ドライバーは当時『Option2』編集長であったマサ・サイトー。余談であるが9秒台を記録した年のHKS0-400最速決定戦にてデモランを行おうとしたとき、バーンナウト中にエンジンブローさせるという失態を見せている。
- ドラッグスープラ
- ドラッグ180SXを引退させ、新たに製作されたプロストックカー。RB26DETTではエンジンに限界があると感じたため、排気量があり、パワーチューンに耐えるエンジンを探した所、3UZに白羽の矢が立つ。そのためトヨタ車でスポーティな車という事でスープラのシルエットが選択された。エンジンには強度アップのため、スリーブが打ち込まれ4.2Lへボアダウン。これにGT3540Rを二機掛けし、推定1400ps以上のパワーを搾り出している。ひとまずシェイクダウンで6秒台を叩き出している。ただ、仙台ハイランドでは路面が上手く出来ていないため、200m地点より先でホイルスピンが止まらない現象が起きている。そのためダウンフォースを多めにつけており、この点が解消できれば6秒台前半が期待できるだろう。
- 現在ではエンジンを2JZ-GTE改3.4L+T51R SPL仕様へと乗せ変えているが、1000psは軽く越えているとの事。
[編集] デモカー
- M-300
- トヨタ・セリカXXベースの最高速チューンカー。キャブ仕様の5M-Gにツインターボを組み合わせ、日本車初の300km/hオーバーを達成する。
- ZERO-R
- 日産・スカイラインGT-R(BNR32)ベースのチューニングカー。『Option』とのジョイント企画で誕生。総工費1億円とも言われている。
- T-002
- レーシングアルテッツァ
- トヨタ・アルテッツァの名前を冠してはいるが、使用されているのはヘッドライト、テールランプ、ABCピラーのみで、キャビンはパイプフレーム化され、外装はカーボンで作り直され、サスペンションも前後プッシュロッド式に改められている。ほとんどレースカーなのだが、どのレースのレギュレーションにも当てはまらない上、なぜか助手席付。この事から一応はチューニングカーとして扱われている。エンジンは内部フル強化の3S-GTE改2.2L+GT3037S。走るたびにオーバーホールされる。筑波サーキットにて54秒台を叩き出すが、スリックタイヤ使用のため、スーパーラップレコードにはなっていない。『Option』には「黒い怪物」と書かれた事も。
- 筑波アタックエボVII(TRB230>CTR230)
- 『Option』に筑波スーパーラップ最速企画として連載され、「あくまでストリートカー(エアコン、パワステ、内装有り)、使ったパーツをすべて市販する」という縛りを設け、条件的にはかなり厳しいものだったが、飯田章の手により当時のレコードタイムを更新することに成功する。このプロジェクトから4G63改2.2Lキットが生まれている。タービンはGT3037S。
- HIPER SILVIA RS-I
- 日産・シルビア(S15)ベースのドリフトマシン。谷口信輝の手により、全日本プロドリフト選手権(D1グランプリ)にて優勝2回(2002年ラウンド2、2003年ラウンド7)を記録。タービンはサーキットによって変わっていたが、エンジンはSR20DET改2.2L仕様。
- Genki HIPER SILVIA RS-II
- RS-Iで積み上げてきた経験をつぎ込まれて製作されたS15シルビアベースのドリフトマシン。色々な人間に「この車を越える車は無い」「D1のベンチマーク」などと言われるほど、究極のチューニングが施されている。D1グランプリへの投入は2003年ラウンド5からだが、優勝は2004年ラウンド4での1回に留まっている。ドライバーは同じく谷口信輝。エンジン系統のスペックはRS-Iとさほど変わっていない。
- Racing Performer IS-220R
- 2004年ラウンド6からD1グランプリに投入されたアルテッツァベースのドリフトマシン。マイナートラブル、クラッシュなどにより、最高成績は2005年ラウンド2での準優勝。HKSのD1グランプリ撤退により、表舞台に立つことはなくなったが、HKS主催のドリフトチャレンジでのデモランなどで見る事が出来る。ドリ車として作ってはあるが、筑波スーパーラップで59秒台を出すなど、グリップランでも異常な速さを見せる。エンジンはレーシングアルテッツァから生まれた3S-GTE改2.2L+GT2835を使用。
- IS220-Zが製作された現在では2JZ-GE改3.4L+T04Zという組み合わせになった(3S-GTE改2.2Lは220-Zに移植された)。レスポンス重視の為のインタークーラーレス仕様という面白い構成になっていて、低回転からトルクがモリモリ沸きあがる、大排気量エンジンぽい性能となっている。
- Racing Performer IS220-Z
- D1から完全撤退したと思われていたHKSが、突如2006年度のハイパーチャレンジin十勝でデビューさせたドリフトマシン。シルビアRS-IにおけるRS-IIのように、やれる事はやったと思われる強烈なチューニングが施された。具体的には220Rで行わなかったアーム加工、メンバー加工を始め、サイドブレーキを油圧式に変更、タービンをGT2835からGT3037Sに変更しパワーを560馬力まで引き上げている。特にアーム加工は物凄い効果を生み出し、車高F80mm/R90mmダウンの状況でもストロークを確保している。シェイクダウンであのNOB谷口を興奮させるほどなので、これから表舞台に出てきたときのポテンシャルに期待がかかる。
- TRB-02
- ランエボVIIで得たレコードホルダーの座を取り戻すために製作された、ランサーエボリューションVIIIベースのチューニングカー。外装はカーボンアルテッツァよろしくカーボンで作り直しているが、サスペンション形式の変更は行わず、タイヤもSタイヤということで一応チューニングカーの体裁は保っている。チューニングカーによる筑波サーキット55秒切りを達成した当日、クラッシュによりスクラップになっている。エンジンはエボVIIと同一スペック。
- CT-230R
- TRB-02のクラッシュにより製作された。今回はターゲットを筑波以外にも広げ、各サーキットのレコード更新を狙っている。エンジンも4G63改2.3L+GT3037Sとなるなど、今までの4G63を使ったデモカーとは異なるエンジンを用いる。馬力的には560馬力とハイパワーとは言えないが、早速富士スピードウェイにて1分43秒4でレコードタイムを樹立。そして気温30度と超極悪なコンディションの中、十勝サーキットクラブマンコースのレコードを4秒以上更新する1分21秒735という、異次元の速さを見せ付けている(ドライバーのNOB谷口曰く「気温が低ければさらに2秒縮まる」との事)。
- そして関西出張した際、セントラルサーキットと岡山国際サーキットにてまたしてもレコードブレイクを達成。後日にはスポーツランドSUGOでもサイバーエボが持っていたレコードを塗り替える。最終目標は筑波での53秒台としていたが、53秒999を達成し、現在の目標はNOB谷口的には53秒7とのこと。
[編集] 豆知識
- 1979年にはオートレース界に進出し、「フジ」という名エンジンを生み出した。
- ツインパワーという商品があるが、これはHKS関西がまだ独立したチューニングショップであったときの店名。
- 東京オートサロン表彰式のさい、皆スーツで正装していたのにもかかわらず、HKSの社員はスタッフジャンパーで登場している。
- 日産・ステージア260RS(WCNC34)を『Option』で取材するために借りてきたとき。HKS商品開発スタッフが真っ先に行った事は、助手席の内装を剥がし、コンピューターを確認。そして「大丈夫です、GT-R用のF-CONハーネスそのまま使えます!」の発言をすることだった(260RSはRB26DETT+アテーサ4WDを搭載し、ワゴン版GT-Rと言える物だった。またF-CONとはHKSが発売しているエンジンコントロールユニット)。
- 社長の長谷川が、良い機械を見つけるとポンポン買ってきてしまうため、会計担当の人は苦労している。
- 本社の周囲を回る道路は、距離もありセッティングするのに使えるほどなのだが、「隣の養鶏場にいる鶏が卵を生めなくなるため」禁止されている。
- 下手に品薄になる新型車を買ってしまうと、会社に開発車両として取り上げられてしまい、しばらく乗ることが出来なくなる。色々なパーツが勝手に装着されるため嬉しいのだが、複雑な心境になるらしい。
- 以前キャンディボールという、マフラーの穴を見せないマフラーが販売されているのだが、1年ほどでカタログ落ちしてしまい、『Option』に「時代を先取りしすぎたパーツ」として取り上げられてしまった。
- 最新トヨタ系車両のコンピュータ解析に社外メーカーとして世界で初めて成功し、新たなコンピュータ制御装置を開発して特許を取得する。チューニング業界では無理とされていたレクサス・SC430、トヨタ・マークX等のスピードリミッター解除やコンピュータチューンに成功し、HKSの技術力の高さを知らしめる。
- 1990年代初頭に起きたHKS社の事件を記載する。違法改造車(チューニングパーツの開発車輌)のS13シルビアに乗ったHKSの社員が、富士宮市内の公道で百数十キロで走行し、一般車輌への追突事故を起こした。この事故により、HKS社員は重傷し追突された車の同乗者は死亡すると言う痛ましい事故を起こしてしまった。会社の車輌が違法改造車であることと、会社ぐるみで公道をサーキットの様に走行する行為を認めている言う、常識では考えられない行為がクローズアップされた。
- レーシングアルテッツァが生まれた背景には、『グランツーリスモ2』にてドラッグGT-R・プロストック180SXの2車が収録されたことが挙げられる。同ゲームにおいて両車両はセッティングどうこうでは対応しきれ無い直線番長ぷりに加え、チューニングメニューにドラッグスリックタイヤが無かったため、その性能を完全に発揮する事が出来なかった。これに長谷川社長が怒り、曲がりのスペシャリストを生もうとしたことからレーシングアルテッツァが生まれたと言われる。
- 2006年シーズンからワークス体制でのD1グランプリ参戦を行っていないのだが、2006年第5戦の予選でかつて参戦していたハイパーシルビアと同じカラーリングの180SXが参加したことで話題となった。ドライバーである斉藤健太郎選手がHKSの営業部社員ということで、社内有志で参加チームを結成し参戦している(会社自体もサポートを行っているものの、あくまでもパーツ面や整備などのサポートのみでありHKSワークス体制ではない)。カラーリングから会社所有と思われがちだが、斉藤選手個人の所有である。
- …などお茶目?な社員が多いため、よく『Option』誌上にてネタにされる事が多い。
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