富士スピードウェイ
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富士スピードウェイ(ふじ -:Fuji International Speedway )は静岡県駿東郡小山町にあるサーキットである。略称は「FSW」。かつては運営会社の「富士スピードウェイ株式会社」の英文社名であるFuji International Speedway Co.,LtdにちなみFISCOと表記されていたこともある。2000年よりトヨタ自動車の傘下に入る。
目次 |
[編集] 歴史
[編集] オープンまでのいきさつ
富士スピードウェイ株式会社の前身である「日本ナスカー株式会社」は1963年に設立。その名の通り日本国内におけるNASCAR形式のレース開催を目的として設立され、翌1964年1月にはNASCARとの間で日本及び極東地域におけるNASCAR形式レースの独占開催権に関する契約を締結。同年6月にはサーキット候補地として静岡県駿東郡小山町大御神の150万坪の土地を選定し地権者らとの契約にこぎつける。
しかし、その後本格的にサーキットの設計が始まると、地形の関係からNASCARレースの開催に必要なオーバルコースの建設が困難であることが判明したため、翌1965年にはNASCARとの間の開催権契約を白紙還元することで合意。改めてロードコースとしてサーキットを建設することとなり、社名を現在の「富士スピードウェイ株式会社」に改める。その後同年10月には三菱地所が同社に出資、実質的な経営権を握ることになる。
[編集] オープン
高度成長期真っ只中の1966年1月3日にオープン。1960年代には当時スポーツカーで争われた日本グランプリが開催されるなど、船橋サーキット・筑波サーキットと並んで首都圏におけるモータースポーツの中心的な場所となる。
[編集] 30度バンク
富士スピードウェイの大きな特徴として、30度のカントがついたバンクコーナーがあった。これは前述の通り、元々同サーキットがオーバルコースとして計画されたことの名残であると言われている(オーバルコースではコーナーでの減速を極力減らすため、コーナーにバンクを付けるのが普通)。
当時、国内でこのような急角度の路面舗装を経験した業者はひとつも無く、依頼された日本鋪道(現・NIPPOコーポレーション)は、ロードローラーをバンクの上からワイヤーで引っ張ると言う方法できり抜けた。
しかし、もともと勾配の設計が良くないうえ、後に「馬の背」と呼ばれることになる、こぶ状のうねりもあり、オープン当初から重大事故が多発し、1974年の富士グランドチャンピオンシリーズ第2戦中に起きた風戸裕、鈴木誠一両選手が死亡する大事故を契機に使用が中止された。
旧コース時代の末期にイベントの一環として、30度バンクでの体験走行会が何度か行われている。
現在は一部の路面がモニュメントとして遺されたメモリアルパークとなっている。
[編集] F1開催と中断
1976年と1977年にはF1世界選手権の日本ラウンドが開催されたが、1977年のF1日本グランプリではロニー・ピーターソン(ティレル)とジル・ヴィルヌーヴ(フェラーリ)が第1コーナーでクラッシュ。このクラッシュで宙を舞ったヴィルヌーヴのマシンは立ち入り禁止区域にいた観客2名に激突し、死亡する事故が起きた。(ヴィルヌーヴは無事。)この事故の衝撃や、当時、暴走族の傍若無人なふるまいが大きな話題となっていたこともあり、モータースポーツ=危険、という認識が広がってしまった。以来富士でのF1グランプリは開催されなくなり、1987年より鈴鹿で開催されるようになるまでF1グランプリの日本での開催は中断することとなった。
※注:1976年は『F1世界選手権・イン・ジャパン』という名称で開催された。/日本グランプリ_(4輪)参照
[編集] 廃止の危機
1979年に御殿場市の青年会議所が富士スピードウェイの廃止を陳情したことがきっかけとなり、1980年代前半にはサーキットの廃止とゴルフ場などを中心にしたレジャーランドへの転用が、経営権を持ち大半の土地を所有する三菱地所によって検討された。
この陳情の背景には、当時の富士スピードウェイの屋台骨を支えていた富士グランドチャンピオンレースの観戦を目的とした暴走族が、サーキット周辺で集会や暴走行為などを繰り返すことにより周辺環境が悪化するという問題があった。また当時の世間におけるモータースポーツの認知度の低さから、「モータースポーツ自体、暴走行為を助長するものであり好ましいものではない」との意見も一部には見られた。
これに対し1980年には、モータースポーツ界を代表する形で「日本モータースポーツ振興会」が設立され廃止反対運動を開始。1985年には「FISCO廃止問題連絡協議会」と改名し、サーキット廃止に反対する地権者達で構成される「富士スピードウェイ協力会」とタッグを組む形で反対運動を展開した。
1986年には三菱地所がスピードウェイのある小山町長に対し調停を申し立てたが、同年7月30日に「この件は白紙に戻す」という町長裁定が下り、正式にサーキットの存続が決定した。
[編集] バブル景気到来
その後日本経済はバブル景気に突入、同時に中嶋悟のF1参戦とホンダのF1での活躍による未曾有のモータースポーツブームが訪れた。富士スピードウェイも1989年に富士グランドチャンピオンレースが廃止されたものの、世界耐久選手権(WEC)日本ラウンドの開催や全日本F3000選手権、インターTEC等の開催で再び賑わいを見せることになる。その後1990年代中盤にはピット・パドックエリアが改修され近代的な設備が整った。
[編集] リニューアル・オープン
2000年にトヨタ自動車が三菱地所から同社を買収し、2003年の9月から営業を停止して改修工事を開始、2005年4月10日にリニューアルオープンした。新コースはセパンサーキット(マレーシア)や上海インターナショナルサーキット(中華人民共和国)など、1990年代後半から2000年代にかけて新規にF1を開催しているサーキットのほとんどでそのデザインを担当しているヘルマン・ティルケの手によるもの。
旧コースの特徴の一つであった約1.5kmの直線は残されつつ、コースが現代的に改良された。大きな変更点としては、旧コースでは最終コーナーから直線にスムーズにつながっていた部分が、新コースでは入り組むような形に直されており、難易度が増している。
また、ランオフエリアはほとんどが舗装され、安全性が向上した上、コース脇には緊急車両用の通路が設けられた。これらの改修により同サーキットはF1開催に必要な資格であるグレード1を取得した。
時間走行券や占有使用料などをはじめとする料金の設定が、これだけの設備を持つ日本のモータースポーツ施設にしては安価である点も歓迎されている。メインスタンド、レストラン、駐車場、トイレなど観客が利用する施設の質的向上も旧来に比べ著しい。
[編集] F1グランプリ再開催
鈴鹿サーキットでのF1日本GP開催の契約が2006年シーズンをもって切れるため、2007年以降の日本GP誘致に乗り出していたが、2006年3月24日、FOA(フォーミュラ・ワン・アドミニストレーション)とF1日本グランプリを2007年に開催することで合意したと発表した。
2006年10月1日には、トヨタ自動車の岡本副社長が時事通信社の取材に対し、FIA(国際自動車連盟)との契約期間が5年間であることを明らかにした。ただ鈴鹿サーキット側も2008年以降の開催復活を目指して動いていることから、今後日本GPを富士と鈴鹿の隔年開催とする案も浮上している。
[編集] 問題点
国際サーキットとして長い歴史の有るサーキットであるが、いくつか問題を抱えている。
ひとつは入退場時の酷い交通渋滞である。自動車以外でアクセスする場合は御殿場駅からのバスがよく使われるが、御殿場駅自体がサーキットから離れている上、運行本数が少ない。このため、観客の大部分が自動車で来場し、大きなレースイベントを開催する際は必ず酷い渋滞が引き起こされる。(大レースの際は御殿場からの臨時バスが増発され、他駅からもシャトルバスが運転される場合が多い)
また、自動車で来場しない場合、移動手段が限られるため、宿泊施設が付近に少ない点も大きな難点となる。
このため2007年の日本GP開催に懸念を示すファン、関係者が多い。
[編集] コースレコード
[編集] 旧コース
カテゴリー | 記録 | ドライバー | メーカー・車種 | 樹立日 |
---|---|---|---|---|
世界耐久選手権・WEC-JAPAN[1] | 1分10秒02 | ステファン・ベロフ | ポルシェ956 | 1983年10月1日 |
F1・日本グランプリ[1] | 1分12秒23 | マリオ・アンドレッティ | ロータス78・フォード | 1977年10月22日 |
グループC | 1分14秒088 | 星野一義 | 日産・R92CP | 1992年5月2日 |
F3000 | 1分14秒854 | 黒澤琢弥 | ローラT92 | 1993年4月10日 |
フォーミュラ・ニッポン | 1分15秒304 | 星野一義 | ローラT96/52 | 1996年10月19日 |
F3 | 1分26秒344 | 片岡龍也 | ダラーラF302・トヨタ | 2003年4月6日 |
LM-GTP | 1分16秒349 | 片山右京 | トヨタ・GT-One TS020 | 1999年11月6日 |
GT500 | 1分23秒886 | 立川祐路 | トヨタ・スープラ | 2003年5月3日 |
グループA (クラス1) | 1分31秒131 | 星野一義 | 日産・スカイラインGT-R | 1993年10月31日 |
GT300 | 1分31秒356 | 菅一乗 | モスラー・MT900R | 2003年5月3日 |
スーパーツーリングカー | 1分33秒035 | 服部尚貴 | ホンダ・アコード | 1997年11月1日 |
スーパー耐久 | 1分35秒173 | 粕谷俊二 | 日産・スカイラインGT-R | 1998年11月7日 |
[編集] 新コース
カテゴリー | 記録 | ドライバー | メーカー・車種 | 樹立日 |
---|---|---|---|---|
フォーミュラ・ニッポン | 1分25秒525 | ブノワ・トレルイエ | ローラFN06・トヨタ | 2007年3月31日 |
GT500 | 1分33秒070 | 立川祐路 | トヨタ・スープラ | 2005年5月3日 |
F3 | 1分35秒173 | 大嶋和也 | ダラーラF306・トヨタ | 2007年3月31日 |
GT300 | 1分40秒682 | 黒澤治樹 | ホンダ・NSX | 2005年5月3日 |
スーパー耐久(ST-1) | 1分46秒391 | 田中哲也 | ポルシェ・911GT3 | 2005年8月6日 |
[編集] 交通アクセス
[編集] 周辺施設
- 冨士霊園 霊園入り口から西ゲートまで徒歩10分程度
※冬季以外はJR御殿場線駿河小山駅から富士霊園行きの路線バスが運転され、東京方面から富士スピードウェイへの公共交通機関での最短ルートとなる。
[編集] 関連項目
- モータースポーツ
- 富士1000km
- 富士グランドチャンピオンレース
- インターTEC
- 全日本GT選手権
- SUPER GT
- フォーミュラ・ニッポン
- FJ1600
- F1
- 鈴鹿サーキット
- ツインリンクもてぎ
- トヨタ自動車
- 007は二度死ぬ
- エンジン (テレビドラマ)
- グランツーリスモ4 新、旧コースが収録されている。
[編集] 外部リンク
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