エレクトリック・ライト・オーケストラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エレクトリック・ライト・オーケストラ (Electric Light Orchestra) は、イギリスのバーミンガム出身のロックバンド。ザ・ムーブからの発展という形で1970年に活動を開始、1971年にレコードデビューした。リーダーであるジェフ・リンが紡ぎ出すポップで端麗な名曲群で、1970年代から1980年代にかけて世界的な人気を博した。略称ELO(イー・エル・オー)。1960年代以降の、ロックとクラシックの融合という意味では、最も成功したロックバンドであり、「世界、最小で最高のオーケストラ」と言われる。また、「最も全米トップ40ヒットが多いアーティスト」としてギネスブックに載った程である。特に、バイオリンを効果的に利用しているロック・バンドという点では、カンサスと双璧をなすバンドであるといえ、クラシカルかつポップという点では初期のクイーンに通じるものがある。その後も、ボストンやTOTOなどにも多大な影響を与えた。
1970年代においては、アメリカで最も多くの(ビルボード40位以内の)ヒット曲を持つバンドであり、「ビートルズよりもビートルズらしい曲を持ったバンド」とも言われた。リーダーのジェフ・リンは、ビートルズのコアなファンであり、ジェフ・リンの自宅のレコード棚にはビートルズとバルトークのレコードしかないとの噂があったほどである。特に『ディスカバリー』(1979年)までの楽曲は、中期のビートルズを連想させる楽曲である。
ELO、ジェフ・リンの熱烈な支持者としては、国内のミュージシャンでは奥田民生が有名である。ユニコーンやパフィーの楽曲に、その影響を強く感じることができる(余談だが、パフィー自身もELOの代表曲であるDon't Bring Me Downをカバーしている)。
目次 |
[編集] バンドの概要及び略歴
通常のロックバンドとは異なり、ストリングス(チェロ2名、バイオリン1名)がバンドメンバーとして在籍するという編成で、クラシカルなサウンドが特徴だった。しかし、『エルドラド』でストリングスアレンジにLouis Clarkを迎えて以降レコーディングではストリングス・メンバーが目立たなくなり、代わりに本物のオーケストラを中心に楽曲のアレンジを構成するようになる。さらに、『ディスカバリー』を機にストリングス・メンバーを解雇(ライブのための「サポートメンバー」に降格)、『タイム』以降はシンセサイザーを中心としたポップな音楽へと変貌した。
デビュー当初は、ロイ・ウッド(元ザ・ムーブ)とジェフ・リンの二人が中心の双頭体制であった。その後、ファースト・アルバム発表後にロイが脱退。1972年の「ELO II」、1973年の「第三世界の曙(On The Third day)」と、ポップでありながらプログレッシブ・ロックに通じる実験的な試行錯誤の時期を経て、1970年代中盤からはビートルズ・ライクなポップスの要素を強め、70年代を代表するヒットメーカーへと変貌する。
1974年の「Eldorado」が初の全米ゴールドディスクを獲得すると一気にブレイクし、1975年の「Face The Music」、プラチナディスクに輝く1976年の「オーロラの救世主(A New World Record)」と順調にヒットチャートの常連へと成長。その後、二枚組大作『アウト・オブ・ザ・ブルー』(1977年)、当時大流行したDisco BeatをELO流に解釈したPOP Rockの傑作『ディスカバリー』(1979年)を産み出し、作品の質的にも、レコードの売上げ的にも、ライブの動員規模的にもキャリアのピークを迎える。
1977年から78年に駆けて行われたワールドツアー(Out Of The Blueツアー)では、ステージ上にレーザービームが飛び交う巨大UFOを出現させ、メンバーがその中で演奏するという大がかりな演出で話題をさらった。このツアーは、当時から「UFOツアー」としてファンの間では伝説となっており、1978年のWembley Arenaのライブを収録したDVDも発売されている。なお、最初で最後の日本公演もこのツアーで実現した。
1980年代にはいっても、映画「Xanadu」のサウンドトラック(1980年)の片面を担当し、担当した6曲(Olivia Newton-Johnの「Xanadu」含む)中3曲を全米Billboard TOP20に送り込むなど変わらぬヒットメーカーぶりを発揮していた。
ELOは、ロイ・ウッドが脱退した「ELO II」以降、中心メンバーであるジェフ・リンがほとんど全曲を一人で書き、プロデュースしてレコードを制作していたのだが、1981年の「Time」以降は、バンドとしてのレコーディングが完了した後、ジェフが一人残ってオーバーダビングを続けてアルバムを完成させるというレコーディング・スタイルに変化し、ELOは、ジェフのソロ・プロジェクト的な色合いが強まっていった。 また、この頃からマネージメント(Don Arden)とバンドの関係がぎくしゃくし始め、1981年の全米ツアー(Timeツアー)は、思うようにライブスケジュールを組むことができず中途半端な規模で半ば中止されるような形で終わってしまい、1982年の「Secret Messages」発表時にはライブツアーの予定すら組まれなかった。
1980年代中盤頃、バンドとレコード会社の間の契約問題で活動が停滞し、更にメンバーのKelly Groucuttがリーダーのジェフ・リンとマネージメントを訴えるという事件が発生。すっかりELOとしての活動に嫌気が差したジェフ・リンは、1986年の「Balance Of Power」の発表と幾つかのギグへの参加を最後に、ELOの活動を放棄してしまう。
1990年代初頭、ELOオリジナルメンバーであるベヴ・ベヴァンを中心としてElectric Light Orchestra Part.2が結成され、ストリングスメンバーを再加入させた上で、Louis Clarkを正式メンバーとして迎えて本物のオーケストラも効果的に使い、1970年代のELOサウンドを再現して古参のファンを喜ばせた。しかし、Electric Light Orchestra Part.2には、ジェフ・リンのような楽曲を作曲・プロデュースできるメンバーがいなかったため新曲からヒット曲は生まれず、ライブツアーでは、もっぱら昔のヒット曲を演奏していたようである。更に、ベヴ・ベヴァンが引退した現在でもメンバーの残党(ELOの元ベースプレイヤー・Kelly Groucuttや、バイオリンのMik Kaminskiを含む)は、「The Orchestra」の名前で活動し、相変わらず往年のELOのヒット曲を演奏している。
なお、「Electric Light Orchestra(ELO)」というバンド名は、ジェフ・リンとベヴ・ベヴァンに使用権があるため、ベヴ・ベヴァン抜きの「元Electric Light Orchestra Part.2」は、元メンバーが数名在籍するにもかかわらず「ELO」の名称が使えず、その一方で、2001年に元メンバーはジェフ・リンだけという新バンドが「Electric light Orchestra」名義でニューアルバムを発売している。ちなみにPart.2結成の際にも、ELOの名称を使いたいベブと、それに難色を示すジェフの間で相談が持たれ、結局「Part.2」を「ELO」の名称に追加することで決着した経緯がある。2001年にJeff LynneがELO名義でニューアルバムを発表した際には、既にBev Bevanが引退していたため特に問題は起こらなかった。
ジェフは1980年代後半からは、プロデューサーとしても活躍しており、デイヴ・エドモンズ、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター(元ビートルズ)、トム・ペティ、ロイ・オービソン、デル・シャノンなどのプロデュースを手掛けている。1995年から96年にかけて発売されたビートルズのアンソロジー・プロジェクトでも、プロデュースを担当し話題となった。
現在では、ファンの大半はジェフのポップの才能を認めた上で、Time以降のエレクトリック・ポップサウンドを好むものと、1970年代後半の全盛期のストリングスサウンドを好むものとに二分できる。もちろん、どちらも好きである人も少なく無い。
[編集] 代表曲
- 10538序曲(10538 Overture)
- 1971年発売。ELOのデビュー曲。全英チャートにチャートイン。「10538」とは、発売当時のデビューアルバムのレコード番号である。デフ・レパードの2006年発売のカバーアルバム「Yeah!」に彼らの手によるカバーバージョンが収録された。
- ロール・オーヴァ・ベートーヴェン(Roll Over Beethoven)
- 1973年発売。ELOの名を広く知らしめたヒット曲。チャック・ベリーの代表曲をカバーしたもの(ビートルズもこの曲をカバーしている)。ストリングスがあることを生かして、大胆にもベートーヴェンの交響曲第5番ハ短調作品67をそのままイントロとして利用したことで話題を呼んだ。1973年、Billboard POP Single最高位43位。
- 見果てぬ想い(Can't Get It Out Of My Head)
- 1974年発売。ELO初の全米TOP40ヒットにしてTOP10入りした大ヒット曲(Billboard POP Single、1975年1月、最高位9位)。
- テレフォン・ライン(Telephone Line)
- 1976年発売。全世界で大ヒットしたELOの代名詞的ヒット曲。全米最高位7位(Bliiboard POP Single、1977年)。重厚なオーケストラとコーラスを配した「ELO的POPバラッド」の完成形。
- ミスター・ブルー・スカイ(Mr. Blue Sky)
- 1977年発表。「雨の日のコンチェルト」の最後を飾る曲で、雨がやんだ後の青空への喜びを表すかのような内容となっており、テンポのよく元気あふれるピアノやベースラインが特徴。「ELO的なバラード」の代表を「Telephone Line」とするならば、この曲は「ELO的なポップ・ソング」の代表曲であり、さらに次の「Don't Bring Me Down」が「ELO的なロックンロール」の代表曲になる。
- ドント・ブリング・ミー・ダウン(Don't Bring Me Down)
- 1979年発表。シングルは全米チャート4位を獲得(Billboard top 100)。これまでのELOと区別をつけるという点で重要な曲となった。メンバー全員が参加して「せーの!」で弾いたラフかつ重厚なピアノ・リフが特徴。
- ザナドゥ(Xanadu)
- オリビア・ニュートン=ジョンとのコラボレーション。同名映画の主題歌で全米最高位8位(同名のサウンドトラック・アルバムはBillboard Pop Albumsで最高位4位、CashBoxで1位)。ただし、映画自体は出来はまったくであり、監督がゴールデンラズベリー賞を受賞している。オリビア自身のターニングポイントにもなったようで、後の「フィジカル」のヒットにつながった。ジェフ・リン自身が歌ったセルフカバー・バージョンもある(2000年の「Flashback」に収録)。
- トワイライト(Twilight)
- CX系ドラマ『電車男』オープニングテーマ、DAICON4オープニングアニメ、トヨタ「セリカ・ダブルエックス」CF曲、Lばんスーパーニュース初代オープニングテーマの原曲。1981年のアルバム『タイム』に収録されている。Billboard全米TOP40最高位38位ながら、多分、現在日本では最も有名な曲。
[編集] アルバム・ディスコグラフィー
[編集] オリジナル・アルバム
- 1971 エレクトリック・ライト・オーケストラ[1] - UK:Electric Light Orchestra, Other:No Answer (全英32位・全米196位)[2]
- 1973 ELO2 - Electric Light Orchestra II (全英35位・全米62位)
- 1973 第三世界の曙 - On The Third Day (全英46・全米52位)
- 1974 エルドラド - Eldorado (全英40・全米16位)
- 1975 フェイス・ザ・ミュージック - Face the Music (全英30・全米8位)
- 1976 オーロラの救世主 - A New World Record (全英6位・全米5位)
- 1977 アウト・オブ・ザ・ブルー - Out of the Blue (全英・全米4位)
- 1979 ディスカバリー - Discovery (全英1位・全米5位)
- 1980 ザナドゥ - Xanadu (全英2位・全米4位)
- オリビア・ニュートン=ジョン主演の同名映画のサントラ盤。片面がELOサイドで片面がオリビアサイド(A面・B面の設定は国により異なる)。ちなみにアルバム・映画と同名の曲はELOサイドに収録。
- 1981 タイム - Time (全英1位・全米16位)
- 1983 シークレット・メッセージ - Secret Messages (全英4位・全米36位)
- 1986 バランス・オブ・パワー - Balance of Power (全英9位・全米49位)
- 2001 ズーム - Zoom (全英34位・全米94位)
[編集] ライヴ・アルバム
- 1974 The Night The Light Went On (In Long Beach)
[編集] ベスト・アルバム
- 1976 Olé ELO (全米32位)
- 1979 グレイテスト・ヒッツ - ELO's Greatest Hits (全英7位・全米30位)
- 1990 アフターグロウ - Afterglow
- 1995 ベスト・オブ・ELO - Strange Magic:The Best of
- 2000 フラッシュバック - Flashback (Electric Light Orchestra box set)
- 2003 エッセンシャル・ELO - The Essential Electric Light Orchestra
- 2005 オール・オーヴァー・ザ・ワールド - All Over The World:The Very Best Of (全英6位)
[編集] 脚注
- ^ LP版のときは「踊るヴァイオリン群とエレクトリック・ロック、そしてボーカルは如何に」という邦題だった。
- ^ アメリカのレコード会社の担当者がイギリスに電話をしてタイトルを尋ねたが、担当者が不在だったため、「答えが得られなかった」ということで「No Answer」とメモに書き残したら、それに気づいた他の担当者が勘違いをして「No Answer」をタイトルとして処理してしまったという逸話による。なお、アメリカをはじめとしてイギリス以外の国では「No Answer」をタイトルにして1年遅れで発売された。なお、CD化に際しては日本などの一部の国は「エレクトリック・ライト・オーケストラ」に直したため、現在では「Electric Light Orchestra」と「No Answer」が混在している。