オフサイドトラップ
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性別 | 牡 |
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毛色 | 栗毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1991年4月21日 |
死没 | 生存中 |
父 | トニービン |
母 | トウコウキャロル |
生産 | 村本牧場 |
生国 | 日本(北海道新冠町) |
馬主 | 渡邊隆 |
調教師 | 加藤修甫(美浦北) |
競走成績 | 28戦7勝 |
獲得賞金 | 4億3543万8000円 |
オフサイドトラップは、日本の元競走馬・元種牡馬で、1998年天皇賞(秋)の優勝馬である。馬名の由来はサッカーの戦術からで、弟の馬名もサッカーにちなんで「ワールドカップ」という。
[編集] 戦績
ナリタブライアンと同世代で1993年にデビュー。新馬戦を連続2着の後、未勝利戦・セントポーリア賞・若葉ステークス(皐月賞トライアル)と3連勝。皐月賞7着、日本ダービー(東京優駿)8着のあと、ラジオたんぱ賞に出走するも4着。
古馬になって初戦の金杯でサクラローレルに敗退。その後は屈腱炎に何度となく悩まされ、毎年数レースは出走するものの、なかなか勝利に結びつかない日が続く。
そしてオフサイドトラップは8歳(旧表記)になった1998年の春に復帰してから、3走連続2着、エプソムカップ3着を挟んで出走した七夕賞で遅すぎる初重賞制覇を達成した。続いて新潟記念でも1番人気にこたえて勝利を収める。そして迎えた秋の天皇賞。断然人気を背負ったサイレンススズカが東京競馬場の4コーナーで故障発生で失速する中で、オフサイドトラップはGIの栄冠を手に入れた。このとき、鞍上の柴田善臣は勝利ジョッキーインタビューで「数少ないオフサイドトラップファンのみなさん!」とコメントした。また、8歳馬の優勝は天皇賞史上初であり、最年長記録である。
その年の有馬記念を最後に引退。種牡馬入りするも、2003年を最後に種牡馬も引退した。
もし、秋の天皇賞でサイレンススズカが骨折していなければ恐らくは圧勝確実であったことは否めないかもしれないが、最後の最後まで何が起こるかわからないレースの中で、針の穴ほどのチャンスを確実にものにしたことは競馬においては必要不可欠なことである。同レースで解説を担当していた大川慶次郎は「これだから競馬は絶対がない」と語っていた。
[編集] 血統表
オフサイドトラップの血統 グレイソヴリン系/Nasrullah5×5=6.25% Prince Bio5×5=6.25% | |||
父
*トニービン Tony Bin 1983 鹿毛 |
*カンパラ Kampala 1976 黒鹿毛 |
Kalamoun | *ゼダーン |
Khairunissa | |||
State Pension | *オンリーフォアライフ | ||
Lorelei | |||
Severn Bridge 1965 鹿毛 |
Hornbeam | Hyperion | |
Thicket | |||
Priddy Fair | Preciptic | ||
Campanette | |||
母
トウコウキャロル 1987 鹿毛 |
ホスピタリテイ 1979 黒鹿毛 |
*テュデナム | Tudor Melody |
Heath Rose | |||
トウコウポポ | *アイアンリージ | ||
フジチヨ | |||
ミヨトウコウ 1970 黒鹿毛 |
*ムーティエ | Sicambre | |
Ballynash | |||
チトセホープ | *ライジングフレーム | ||
エベレスト F-No.7-c |
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