ギーザ
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ギーザ ( アラビア語 : الجيزة (al-Jīza), アラビア語エジプト方言 : al-Gīza, 英語:Giza)は、エジプトの都市。ナイル川中流の西岸に位置する。同国の首都であるカイロからみてナイル川を挟んでおよそ20km西南にあり、現在では拡大したカイロの都市圏に内包されているが、行政上はカイロから独立したギーザ県の県都である。人口はおよそ200万人。日本語表記はギザ、ギゼーなどとも。
古代エジプト以来の町であり、世界遺産のクフ王のピラミッドをはじめとするギザの三大ピラミッドと、ギザの大スフィンクスがある遺跡の町として世界的に有名である。その一帯とダハシュールに位置する、墓地遺跡のあるピラミッド地帯は、1979年に世界文化遺産として登録された。
[編集] 歴史
ギーザの台地がエジプトの人々によって着目されたのはきわめて古く、エジプト第四王朝の諸王によって三大ピラミッドや寺院群が築かれた。
7世紀にエジプトを征服したアラブ人が現在のカイロの地にエジプトの首都を置いて以来、ギーザは首都近郊の都市として歴史に登場する。エジプトの外港であるアレクサンドリアから陸路でカイロに向かうとナイル川の西岸を進むことになり、交通路はギーザからナイル川の中洲を経てカイロに至った。このため時代によってはギーザからカイロにかけてはナイル川を渡る石橋がかけられるほど緊密に結ばれ、首都近郊の都市として有力者の邸宅が置かれることもたびたびであった。軍事的にもギーザはカイロを巡る戦争における重要な拠点であり、10世紀のファーティマ朝や18世紀末のナポレオンなどナイル川の西岸からカイロに迫った勢力は、まずギーザを制圧してからカイロを征服している。
19世紀のムハンマド・アリー朝期にはギーザのピラミッドとスフィンクスがヨーロッパからやってくる外国人が必ず訪れる名所となり、カイロとギーザを結ぶ近代的な大通りも建設された。20世紀にはカイロの都市化とともにギーザはその郊外地区としてカイロにいっそう結びつき、人口が爆発的に増大した。またギーザのピラミッド地区は観光地化され、エジプトを代表する観光地として世界中から観光客を集めている。