スフィンクス
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
スフィンクス (Sphinx) は、エジプト神話やギリシア神話、メソポタミア神話などに登場する、ライオンの身体と人間の顔を持った神聖な存在あるいは怪物。漢字で「獅子女」と書く。
古典ギリシア語ではスピンクス(Σφίγξ, Sphinx, 「絞め殺す者」の意)といい、スフィンクスとはこの英語読みである。古代エジプトにおける本来の名は不明だが、ギリシア語名は古典エジプト語シェセプ・アンク(「生きる像」「魂の像」の意)に由来するのではないかとする説がある。
現代アラビア語ではアブ・ル・ハウル(أبو الهول, Abu al-Haul, 発音はAbul-Haul, 「畏怖の父」の意)といい、アラビア語エジプト方言ではアブル・ホール (Abul-Hool) という発音になる。
本来はエジプト神話の生物であるが、非常に古くからギリシア神話にも取り入れられていた。エジプトのスフィンクスは王家のシンボルで、ギザのピラミッドにある、いわゆるギザの大スフィンクスは王の偉大さを現す神聖な存在である。対してメソポタミアやギリシアのスフィンクスは女性化され、怪物として扱われていた。
近年の研究では、ピラミッドよりも200年ほど古くから存在していることが判明している。
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[編集] エジプトのスフィンクス
エジプトにおけるスフィンクスは、ネメスを付けたファラオ(王)の顔とライオンの体を持つ、神聖な存在である。王者の象徴である顎鬚をつけ、敵を打破する力、あるいは王または神を守護するシンボルとされている。古王国時代には既に存在し、神格化したファラオと百獣の王であるライオンを重ね合わせたものと考えられている。
スフィンクスの像で最大最古のものは全長約73mのギザの大スフィンクスであり、その顔はカフラー(第二ピラミッドの建設者)の顔を象って作られたと言われている。大スフィンクスは「西方の守護者」として歴代の国王に信仰された。一方、中世末期には、マムルークがスフィンクスに悪魔を見たとしてその顔面を砲撃して破壊した。中王国以降、最高神アモンの聖獣である雄羊の頭部を持つスフィンクスが建造され、神殿の守護者として前面に据えられるようになった。
なお、ギザの大スフィンクスの建設年代については、測定結果によりカフラー王の時代よりもさらに過去に遡る可能性が指摘されている。
[編集] メソポタミアのスフィンクス
メソポタミア神話(バビロニア神話)におけるスフィンクスは、エジプトとは異なり、ライオンの身体、人間の女性の顔、鷲の翼を持つ怪物とされた。また、死を見守る存在とする考え方もメソポタミアにて生まれたとされる。
[編集] ギリシアのスフィンクス
ギリシア神話におけるスピンクスは、ライオンの身体、美しい人間の女性の顔と乳房のある胸、鷲の翼を持つ怪物。テュポンあるいはオルトロスとエキドナとの娘。一説によればテーバイ王ライオスの娘であり、これによればオイディプスとは兄弟となる。またウカレゴンの娘とする説もある。当初は子供をさらう怪物であり、また戦いにおいての死を見守る存在であった。高い知性を持っており、謎解きやゲームを好む。
オイディプスの神話によれば、ヘラによってピキオン山に座し、テーバイの住人を苦しめていた。旅人を捕らえて「朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足。これは何か」という謎を出し、間違った者を食べていた。なお、答えずに引き返すことは可能だった。この謎はムーサに教わったとされている。しかし、オイディプスに「人間は赤ん坊の時はハイハイで四つ足、成長して二足、老年で杖をつくから三足だ。」と答えられ、岩の台座から飛び降り、海に身を投げて死んだという。またはオイディプスに退治されたともいわれる。
[編集] スフィンクスをモチーフにした芸術作品
[編集] 絵画
- 「オイディプスとスフィンクス」 (ギュスターヴ・モロー)
[編集] 建築
- ギザの大スフィンクス(エジプト)
[編集] 映画
- 「スフィンクス」(Sphinx):1980年(米)、監督:フランクリン・J・シャフナー、 主演:レスリー・アン・ダウン
[編集] スフィンクスと侍
幕末期、交渉のためヨーロッパを訪問した外交奉行・池田筑後守長発ら一行が、途中、エジプトを経由し、その際、ギザのピラミッドを訪れている。このとき、一行はスフィンクスを背景に記念写真をとった。写真には24人ほどの和服姿の日本人が写っている。まだ、スエズ運河も建設のまっただなかにあった1865年のことである。ちなみに、当て字ではあるが漢字では「獅子女」と書く。
- 「世界の歴史 20 近代イスラームの挑戦」(中央公論社) p.195 に写真がある。