クライシュ族
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クライシュ族は預言者ムハンマドの11代前のクライシュを祖とする部族。クライシュ自身は3代前のキナーナを祖とする北アラブにいたキナーナ族に属するので、クライシュ族はキナーナ族の1氏族といえる。コーランの中にもクライシュ族はしばしば登場する。
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[編集] 変遷
クライシュ族は多くの氏族に分かれ、5世紀末ムハンマドの5代前のクサイイが一族を引き連れマッカに移住した。クサイイはマッカのカーバ神殿の守護者の権利を勝ちとり、指導者として君臨した。カーバ神殿では偶像崇拝が行われており、アッラート、ウッザー、マナートの神が信仰されていた。クライシュ族はこの中のウッザーを氏神にして崇めた。またこのころ既にクライシュ族は上下関係ができており、マッカの中心部にすむ家柄の良い「谷間のクライシュ」と山腹に住む「外側のクライシュ」とに区別されていた。「谷間のクライシュ」はハーシム家、ウマイヤ家他合計12の氏族で構成された。
ムハンマドの5代前ハーシムの時代ササン朝ペルシアとビザンツ帝国の抗争が激化し始めた。危険を回避するためアラビア半島を南に迂回し、イエメンからマッカを経てシリアにいたる交易路が栄え始めた。ハーシムはマッカの商人として遠隔商売を成功させマッカは発展していった。
繁栄の一方で、マッカ内での貧富の差を生み出し部族としての連帯感が失われ、社会的矛盾をクライシュ族は抱えるようになる。これが預言者ムハンマドの誕生と新宗教イスラム教拡大の基盤になったと一般に言われるが、他方この交易はあくまで安い商品を運んだローカルなものであり従って、一般に言われているような格差の開きに伴う価値観の変化はなかったと反論する声もある。
[編集] イスラム教との戦い
ムハンマドが啓示を受けまず身内のクライシュ族に布教を始めたとき、信者に成るものもいたが大多数のものは信仰しなかった。クライシュ族の多くは自分たちの既得権益を脅かし、多神教から一神教のイスラム教に改宗するよう説得するムハンマドに最初圧力をかけるだけだった。がクライシュ族が提示した妥協案をムハンマドが蹴ったことで本格的な迫害が始まる。619年ムハンマドの保護者だったアブー=ターリブが死亡し、弟のアブー・ラルブがその跡を継いでいた。アブー・ラルブはムハンマドの保護を取りやめ、ムハンマドは仕方なく信者達をエチオピアのキリスト教の国アクスム王国やヤスリブに脱出させなければならなかった(ヒジュラ)。
ヤスリブで信徒を増やし力を蓄えたムハンマドは、624年3月クライシュ族の隊商を襲撃した。初めての戦いによるジハード(努力目標)である。クライシュ族はメッカから援軍を差し向け、両雄は紅海沿岸バドルの水場で戦った(バドルの戦い)。数で劣るムハンマドだったが、天使が味方したと言われるほどの圧倒的勝利を収める。
復讐を誓うクライシュ族は、指導者アブー・スフヤーンの元628年3月ヤスリブに侵攻(ウフドの戦い)。最初ムハンマド側は有利に戦いを進めるが、途中から形勢は逆転。クライシュ族は辛くも勝利を収める。戦いの途中ムハンマド死亡の噂が流れ、ムスリム側が浮き足立ったことがクライシュ族に勝利を導いた。しかし実際はムハンマド殺害には至っていなかった。
627年クライシュ族はユダヤ教徒と手を組み3度目の戦いに挑むが、堅く守るムハンマド側を攻めきれず兵糧不足により撤退、ここに双方の立場は逆転する(ハンダクの戦い)。そして628年3月双方が「フダイビーヤの和議」に至るにあたって、クライシュ族からの改宗者は激増する。
630年1月ムハンマドは軍を率いてマッカを急襲。既にほとんど抵抗はなくマッカは陥落した。ムハンマドはカーバ神殿にあった多くの偶像を全て破壊、マッカはついにムスリムの土地となった。この後クライシュ族はイスラム世界の指導者的存在としてその発展に大きく寄与する。正統カリフ時代、ウマイヤ朝、アッバース朝とクライシュの血を引く者による支配が続くが、その後アラブ人の優位性は失われ、クライシュ族も次第に影響力を失っていく。
[編集] 著名なクライシュ族出身者一覧
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- ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ(イスラーム教開祖)
- アリー・イブン=アビー=ターリブ(4代目正統カリフ)
- フサイン・イブン・アリー (イマーム)(十二イマーム派を参照)
- アッバース(アッバース朝を参照)
- ウマイヤ家
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- ウスマーン・イブン=アッファーン(3代目正統カリフ)
- ムアーウィヤ(ウマイヤ朝初代カリフ)
- マルワーン1世(ウマイヤ朝4代目カリフ)
- タイム家
- アディー家
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- ウマル・イブン=ハッターブ(2代目正統カリフ)
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 21世紀研究会編『イスラームの世界地図』文藝春秋、2002年 ISBN 4166602241
- 佐藤次高『世界の歴史8 イスラーム世界の興隆』中央公論社、1997年 ISBN 4124034083