クリスティ・マシューソン
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クリスティー・マシューソン(Christopher "Christy" Mathewson, 1880年8月12日 – 1925年10月7日)は、アメリカメジャーリーグの投手。ペンシルバニア州ファクトリーヴィル出身。 ニックネームはBig Six。
Bucknell大学を卒業後、1900年にニューヨーク・ジャイアンツに入団。
あまりの変化量とキレから「フェイドアウェイ」と呼ばれたシンカーを初めて実戦投入した投手といわれている。また、いまや当たり前のように行われている投球後に肩や肘を冷やすアイシングも彼がノーヒットノーランを記録した試合の後行っていた事が始まりといわれている。12年連続20勝をあげ、1907年には37勝をあげる。これは現在でもナショナルリーグ記録である。
現役通算373勝188敗(歴代3位)、生涯防御率2.13(歴代8位)、79完封(歴代3位)。
四球の少ない投手で、現役通算で2502奪三振をしたのに対し、844四球しか与えていない。
1916年にシンシナティ・レッズに移籍、同年引退。
1918年には、第一次世界大戦に出征。1925年、結核のためニューヨーク州にて死去。
1936年に野球殿堂が設立されたときに、最初に殿堂入りした投手。
[編集] エピソード
- American checkers(チェスの一種)の名人で、世界チャンピオンと対戦したこともある。
- 非常に神経質な性格で、現役当初は負けるとチームメートから離れて一人で泣いていた。
- キリスト教プレスビテリアン(長老派)の富裕な家庭に生まれ、信仰心に篤く、日曜日(キリスト教の安息日)には登板しなかった。
- 弟のヘンリーもニューヨーク・ジャイアンツで投手をしていたが、通算0勝に終わった。
- 彼の死因となった結核だが、軍隊の訓練中に受けたマスタードガスが原因と言われている。