クルト・ザンデルリング
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クルト・ザンデルリング(Kurt Sanderling, 1912年9月19日 - )は、ドイツの指揮者。息子のトーマス・ザンデルリング、シュテファン・ザンデルリングはともに指揮者、ミヒャエル・ザンデルリングはチェリストである。
ブラームス、ブルックナー、シベリウス、ショスタコーヴィチなどを得意とし、落ち着いたテンポ、弦を主体とした渋く厚みのある響きで骨格の豊かな表現を聴かせた。しかし、活動の中心が旧東側主体であったことと、ザンデルリング自身が録音に積極的でなかったことから、メジャーレーベルの録音が少なく、実力がなかなか知られなかった。引退間際になって、「最後の巨匠」として名声が高まった。
2002年5月19日、引退演奏会でのベルリン交響楽団との演奏は、Harmonia Mundi Franceレーベルから発売されたボックスセットに収録されている。このほか、主としてBERLIN Classicsレーベルにベルリン交響楽団との録音がある。
[編集] 略年譜
- 1912年、東プロイセン、アリス生まれ。
- 1931年、ベルリン市立歌劇場副指揮者に就任。
- 1935年、ナチスのユダヤ人迫害から逃れてソ連に亡命、モスクワ放送交響楽団のアシスタントとなる。
- 1939年、ハリコフ・フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者に就任。
- 1941年、エフゲニー・ムラヴィンスキーのもと、レニングラード・フィルハーモニー交響楽団の第一指揮者となる。
- 1958年、レニングラード・フィルハーモニー交響楽団とともに来日。
- 1960年、東ドイツに移り、ベルリン交響楽団音楽監督に就任。
- 1964年、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団(シュターツカペレ・ドレスデン)首席指揮者に就任。
- 1973年、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団を率いて来日。その後もたびたび来日し、1976年、1978年、1980年、1990年には読売日本交響楽団を客演指揮し、名誉指揮者となっている。
- 1977年、フリーとなる。以後、西側でも活動した。
- 2002年、高齢を理由に指揮活動から引退。
[編集] Sanderling の日本語での表記、発音
ザンデルリンクと表記されたものもある。ドイツ語の発音では、語尾の"g"は濁らないという原則(Hamburg 「ハンブルク」や Berg 「ベルク」)からの表記であろうが、指環 Ring の "ng" のように「ング」と濁る(正確には軟口蓋鼻音、いわゆる鼻濁音になる)のでザンデルリング(またはザンダーリング)が原音により近い表記である。