グスコーブドリの伝記
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『グスコーブドリの伝記』(ぐすこーぶどりのでんき)は、宮沢賢治の童話。1932年4月、雑誌『児童文学』第2号に発表。賢治の数少ない生前発表童話の一つである。
目次 |
[編集] 概略
イーハトーブの森に木こりの子どもとして生まれ、冷害による一家の離散や火山噴火、干魃などの苦難を経験して育ったグスコーブドリが、イーハトーブ火山局の技師となり、火山噴火被害の軽減や人工降雨を利用した施肥などを実現させながら、最後は身を挺して冷害の再発を止めるという物語。
賢治自身の実生活での体験や願望が色濃く反映された内容から、「ありうべかりし自伝」と言われることもある。
[編集] 登場人物
- グスコーブドリ
- 本編の主人公。イーハトーブの森に生まれる。冷害による飢饉で一家離散ののち、森一帯を買収した資本家の経営するてぐす工場で働くが、火山噴火で工場は閉鎖。続いて山師的な農家の赤ひげのもとに住み込み農作業の手伝いと勉強に励む。その後、興味を持っていたクーボー大博士の学校で試問を受け、イーハトーブ火山局への就職を紹介される。火山局では技師として数々の業務に携わった。27歳の時、冷害の再発を目の当たりにして苦悩する。
- グスコーネリ
- ブドリの妹。冷害による飢饉の時、自宅を訪れた男に攫われてしまう。後年、ひょんなことからブドリと再会を果たす。そのときには農家に嫁いでいた。後に母親となる。
- グスコーナドリ
- ブドリとネリの父。木こりをしていたが、冷害による飢饉の際に家族に食糧を残すため家を出て行ってしまう。
- ブドリの母
- 飢饉の際に、ナドリの後を追うようにやはり家を出てしまった。
- 赤ひげ
- 投機的な作付けをしている農家の主。ブドリを雇って働かせるとともに、亡くなった息子の本をブドリに与えて勉強させた。
- クーボー大博士
- イーハトヴでは高名な学者。無料の学校を開いており、訪れたブドリに火山局を紹介した。自家用の飛行船を持っており、それを使って移動している。
- ペンネンナーム
- 通称ペンネン技師。火山局に務める老技師でブドリのよき相談相手。
[編集] 成立と発表
本作にはその前身となる作品が存在する。1921年頃までに初稿が執筆されたと推定される『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』である。この作品は「ばけもの世界」を舞台とし、苦労して育った主人公ネネムが「世界裁判長」に上り詰めながら、慢心によって転落するという作品であった。賢治はこの作品のモチーフを利用しながらおよそ10年の間に作り変え(その過渡的形態を示す『ペンネンノルデは今はいないよ』という創作メモが残されている)、1931年頃に本作とほぼ同じ内容を持つ下書き作品『グスコンブドリの伝記』を成立させた。
賢治は、詩人の佐藤一英が編集発行した雑誌『児童文学』の創刊号に『北守将軍と三人兄弟の医者』を発表したのに続き、本作を発表する(『児童文学』への寄稿は、賢治の知人であった宮城県出身の詩人石川善助が佐藤に賢治を推薦したためといわれる)。その発表用と思われる清書原稿の反故が数枚現存しているが、その中には上記の『グスコンブドリの伝記』の終わりの方に裏面を転用したものがあり、『グスコンブドリの伝記』が完結しない段階で冒頭から『グスコーブドリの伝記』の清書を行うという差し迫った状況をうかがわせる。『グスコンブドリの伝記』と本作を比較すると、『グスコンブドリ』での細かいエピソードの描写を省略した箇所がいくつか存在している。賢治の実弟である宮沢清六も評伝『兄・賢治の生涯』で「後半を書き急いでいるような印象」を指摘している。
なお、本作の発表用原稿の執筆時期については、1931年夏に書かれた書簡に「(『児童文学』に対して童話を)既に二回出してあり」という表現が見られる一方、『兄・賢治の生涯』ではこの作品の執筆をめぐるエピソードが1932年春の話として出てくる。このため、1931年夏にいったん送った後、書き直しを求められたのではないかとする意見もあるが、詳細は不明である。
[編集] 評価
農業をはじめとする賢治の実体験が色濃く反映した作品で、その伝記的側面とのつながりから語られることが多い。
一方、結末については戦後になって「自己犠牲を過度に美化した内容である」という批判が複数の論者からあがっている。アニメ映画『セロ弾きのゴーシュ』を監督した高畑勲は本作のアニメ化(後述)が決まったとき、「アニメ化してはいけない作品をアニメ化してしまった」と非難するコメントを出した。
[編集] アニメ版
1994年、賢治の没後60周年を記念して劇場アニメが制作された。制作に当たっては制作費の一部が地元である岩手県からの募金によってまかなわれている。
舞台であるイーハトーブについては、賢治が暮らした「1920年代の岩手県」をモチーフとした描写がなされている。
配給:東京テアトル=共同映画全国系列会議
- スタッフ
- キャスト
[編集] その他
- 発表時の挿絵を手がけたのは無名時代の棟方志功であった。約40年後に『校本宮澤賢治全集』の月報に寄稿した文章では、その絵を描いたときのことはなぜかまったく記憶にないと記している。
- 作中に登場する潮汐発電所は、執筆から約30年後にフランスで実現した。
- 作中で「もっとも重要な作物」として出てくる「オリザ」はイネの学名「オリザ・サティバ」に由来する。また、水田に相当するものは「沼ばたけ」と表記されており、稲や水田という言葉の持つイメージを避けようとしたと考えられる。
- クーボー大博士のキャラクターは、賢治の盛岡高等農林学校での恩師である関豊太郎がモデルとも言われている。またペンネン技師の名前は、前身である『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』の名残でもある。
- 冷害を止めるために火山噴火で二酸化炭素 (CO2) を増やそうとする下りは、今日温室効果のわかりやすい描写として取り上げられることもある。また、火山噴火ではそれに伴う火山灰でむしろ冷害が悪化するのでは、という意見もあるが、根本順吉や石黒耀(『死都日本』の著者)といった火山の専門家からは、賢治はそれも認識した上で実際に存在する(火山灰を伴わずに)CO2ガスを噴出する火山を念頭に置いて執筆したのではないかという指摘がなされている。