ゲットー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ゲットー(Ghetto)は、
- 中世の西欧・南欧諸国で、都市の中でユダヤ人が強制的に住まわされた居住区。キリスト教徒の支配者の支配が及ばないという、宗教的な意味を持っていた。宗教弾圧の象徴。
- ドイツが第二次世界大戦中東欧諸国に侵攻し、ユダヤ人を強制的に移住させたもの。
- 東欧のシュテットルや、ユダヤ人が自然と集住してコミュニティーを作った地区をこう呼ぶことがある。特にロシア帝国のユダヤ教徒居住区と、特にチェルニフチ、レンベルクといった大都市のユダヤ教徒地区は、様々なユダヤ教徒への差別化政策(居住地制限など)が採られたため、このような通称で呼ばれることがある。
- 転じて、少数民族などが集まって住む地域を呼ぶことがある。アメリカ合衆国においては主にアフリカン・アメリカン(黒人)の居住区をさす。
目次 |
[編集] 起源
中世以来、その起源はさだかではないが、都市の中でユダヤ人が集まる居住区があった。特に14世紀ペスト大流行の頃からユダヤ人に対する弾圧として隔離政策が取られるようになっていった。場合によっては、その地区の周囲が石壁に囲まれたところもあった。
1516年にはヴェネツィアに、1555年ローマ教皇パウルス4世によってローマにゲットーが築かれた。
[編集] 語源
この言葉の由来は、もともとイタリアのヴェネツィアのある地名、ghettoから。イタリア語では、発音は「ゲット」になる。そこが、石切り場であったことから、採石して切り取った跡にできた穴、石の壁の中にポッカリとできた穴から、ユダヤ人を押し込めて住まわせ、管理する地区へ転用されたという。
他に、「小さな寄り合い所帯」といった意味のイタリア語、borghettoとか、ヘブライ語起源を主張する人もある。チェコのプラハには、有名なゲットーがあった。
[編集] 「ゲットー」内での生活と文化
[編集] その後
[編集] ナチスによる強制移住
ドイツが第二次世界大戦中東欧諸国に侵攻し、ユダヤ人を強制的に移住させたもの。
特にドイツがポーランドに侵攻し、併合した後、ワルシャワ居住のユダヤ人にそこに住むことを強制したもの。ワルシャワ・ゲットーの名前で知られている。ワルシャワ・ゲットーのほかにも、当時は数多くのゲットーが存在していた。
出入り禁止で、ダビデの星を腕などにつけさせられ、1942年の移送と1943年の親衛隊少将ユルゲン・シュトロープによるゲットー掃討でトレブリンカやアウシュビッツ等のユダヤ人強制収容所に移送されるまで、そこに住んだ。監視が厳しく、外は高く厚い壁と脱出防止の電線がしかれ、食料不足と伝染病の流行で数多くの人が死に至った。下水設備などはほとんどなく、中は悲惨な状態だったが、中にいたユダヤ人たちは少しでも前の生活に戻ろうと、学校や診療所を設けたり、コンサートを開いたりもした。
子どもの権利条約の元になった「子どもの権利」の提唱者、ヤヌシュ・コルチャックとその孤児院の子どもたちもここから、トレブリンカ強制収容所に送られた。
[編集] 関連項目
- ユダヤ人コミュニティー
- フデリア judería
- カイ call
- ヴェネツィアのゲットー Venetian Ghetto
- ローマのゲットー Roman Ghetto
- メッラー mellah
- シュテットル shtetl
- ユダヤ教徒居住区、ユダヤ人居住区(ロシア帝国) Jewish Pale of Settlement
- ハーレム (ニューヨーク市)
- サウス・セントラル
- ワルシャワ・ゲットー蜂起