コンテ・ディ・カブール級戦艦
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コンテ・ディ・カブール級戦艦(Navi da battaglia Classe Conte di Cavour, 英語:Conte di Cavour class battleship)とは戦艦ダンテ・アリギエーリに引き続き、イタリア王国海軍が第一次世界大戦中に竣工させた2番目の弩級戦艦の艦級である。コンテ・ディ・カヴールとも表記する資料も存在する。同型艦はコンテ・ディ・カブール、カイオ・ジュリオ・チェザーレ、レオナルド・ダ・ヴィンチの3隻で1914年から1915年にかけて竣工した。
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[編集] 艦形について
工業デザインの美しさでは定評のあるイタリアらしく、スタイリッシュにまとめられている。船体は長船首楼型で、艦首から前級より引き継いだ新設計の「1909年型30.5cm(46口径)砲」を1、2番主砲塔を背負い式に2基、司令塔を組み込んだ操舵艦橋、1番煙突を挟み込むように後ろに立った三脚檣(煙突の背後に見張り台があったので高熱の煤煙が立ち込め、水兵には不評だった。後に艦橋と煙突の間に四脚檣を立て、元の三脚檣の主脚は、ボートクレーンのために残された)3番主砲、2番煙突を挟み込むように前に立った三脚檣、後部艦橋、4番、5番主砲塔を背負い式に配置した。
[編集] 主砲塔配置
主砲塔の配置には特色があり、1番、3番、5番のみ3連装砲に、2番、4番のみ連装砲塔に納めている。何故、普通に3連装砲5基にしなかったかと言うと、背負い式にした場合、高所に3連装砲塔を置くと重心の上昇を招き、荒天時の凌波性の悪化、左右主砲斉射時のショックによる動揺悪化に繋がる為、連装、3連装の複合配置になったと言われる。これと同じの配置は改同型艦のカイオ・デュイリオ級戦艦に受け継がれた。類似した主砲配置をアメリカ海軍がネヴァダ級戦艦でも採用している。
[編集] 副砲等
副砲は速射性を重視して「1909年型12cm(50口径)砲」を採用し、二番甲板の下方に三番主砲を中心として放射線状に、片舷9門で計18門を装備した。その他に対水雷艇用に「7.6cm(50口径)砲」を16門、「7.6cm(40口径)高角砲」を6門、45cm水中魚雷発射管3基を装備した。
[編集] 艦体
艦体は艦首と艦尾が斜めになった分の重量を軽減できるカットオフ方式を採用し、舵は主舵と副舵を装備した。イタリア海軍ではヴィットリオ・ヴェネト級戦艦でも副舵を採用した。
[編集] 艦歴
[編集] 第一次世界大戦
3隻とも第一次大戦中に竣工したが大きな作戦に参加したことはなく、3番艦である「レオナルド・ダ・ヴィンチ」は1916年に主砲塔の爆発事故をおこし転覆沈没、上下逆の状態のまま浮揚されたものの結局は解体されている。(この事故を当時のイタリアはオーストリアの破壊活動と喧伝したが、真相は闇の中である)
[編集] 第一次世界大戦後の状況
残る2隻「コンテ・ディ・カブール」と「カイオ・ジュリオ・チェザーレ」はその後練習艦任務に配属された。この時期のイタリア海軍は近代的な小型新戦艦を多数竣工させて仮想敵であるフランスに対抗する考えで、幾つかの小型戦艦のプロジェクトが検討されては消えていった。同じ時期にドイツで画期的なポケット戦艦と呼ばれたドイッチュラント級装甲艦が現れたのも、その一因である。だが、この一隻の影響で状況は大きく揺れ動いた。
当時のフランス海軍の戦力は以下の通り。
フランス海軍に対し、イタリア海軍の戦力は以下の通り。
- コンテ・ディ・カブール級戦艦(30.5cm砲13門、21.5ノット)2隻
- カイオ・デュイリオ級戦艦(30.5cm砲13門、21.5ノット)2隻
- ピサ級装甲巡洋艦(25.4cm砲4門、23ノット)2隻
- サン・ジョルジョ級巡洋艦(25.4cm砲4門、23.2ノット)1隻
排水量は拮抗していたが、フランスがダンケルク級戦艦(33cm砲8門、30ノット)の建造計画を発表し、1930年代後半に2隻の起工を発表した事でそのバランスが崩れた。
「新戦艦は速力29ノットオーバー」「主砲は長砲身の33cm砲」「充実した航空兵装を持ち、索敵能力が高い」「大型駆逐艦との連携で通商破壊に有能」という情報はイタリア海軍に仏新型戦艦に対抗できうる軍艦が無い事を実感させた。29ノット以上の速力と言うのは、戦艦と装甲巡洋艦では追いつけず、巡洋艦ならば追いつけるが巨砲に対しては無力と言う、フランスがドイツに突きつけられた難題を今度はイタリアが突きつけられたのである。これに対し、海軍は幾つかの小型・中型戦艦の設計案を検討したが、一から作ったのではフランスの新戦艦が先に竣工してしまうのは明らかだった。そこで、コンテ・ディ・カヴール級戦艦を新技術を投入して近代戦艦に作り変える決定を下した。
[編集] 大改装と、その結果
コンテ・ディ・カブールとカイオ・ジュリオ・チェザーレは1933年10月に近代化改修工事を実施し、数々の改良・改修が加えられた。高速力を得るために3番主砲塔を撤去し、その跡に新型機関を搭載、出力は31,000hpから93,000hpにアップした。33cm砲戦艦と対抗するために大砲の内筒をボーリングし、口径を30.5cmから32cmに上げ、仰角も引き上げられて砲弾の威力を上げた。なお、この改造に伴い口径は46口径から43.8口径にダウンした。ケースメイト配置だった副砲は連装副砲塔6基に纏められ、射界・速射性・対弾性が向上した。艦橋構造は二重円筒型を採用し、艦橋・測距儀にも装甲が張られ、被弾に強くなった。対水雷防御には新型の「プリエーゼ式水雷防御」が採用された。(これは結果的に大失敗で、仕組みは二重構造の円筒の外側の空間を重油を充填し、内側の空間を空にする仕組みにして、外筒が破られても内筒で浮力を確保するという理論だが実際には魚雷炸裂時の衝撃波を艦の前後に伝えてしまい、被害を拡大する太鼓となった)重量の増加により吃水が深くなるのを恐れ、他国では両舷にバルジを張る所を、機動性を重んじるイタリアでは艦首船体を延長し軽くシアをつけた。(両舷にバルジを張れば艦幅が増大して速力低下に繋がる。また、日本のように艦尾船体を延長すると舵の効きが鈍くなる)進化する航空機に対するために高角砲を装備する事になったが、舷側スペースは副砲で一杯で、止む無く主砲塔と副砲塔に挟まれた艦橋と後檣左右のスペースに押し込まれた。本級は外観・内部共に一新され、イタリア海軍は近代海軍に相応しい戦艦を2隻手に入れたことになった。本艦の使用実績を元にカイオ・デュイリオ級戦艦の近代化改装に臨むことになる。
[編集] 第二次世界大戦
この後、第二次世界大戦に参加、大戦初期に英艦隊と砲火を交えたが、1940年に英国艦隊のタラント空襲によりコンテ・ディ・カブールは大破・着底し、翌年に浮揚されたが修理は進まなかった。1943年10月10日に近海にて自沈処分となったが、1944年にドイツ軍の手により浮揚され、1945年2月15日に米軍機の攻撃を受け再度沈没した。1948年に浮揚、解体された。カイオ・ジュリオ・チェザーレは燃料事情の悪化した大戦後期は軍港の防御や練習艦任務に徹した。1944年6月にマルタ島に回航、戦後補償の為ソビエトへ賠償艦として引き渡され「ノヴォロシースク」と改名、黒海艦隊に所属。1955年に事故で失われた。
[編集] データ
[編集] 竣工時
- 水線長:-m
- 全長:176.9m
- 全幅:28m
- 吃水:9.46m
- 基準排水量:23,088トン
- 常備排水量:25,086トン
- 満載排水量:-トン
- 兵装:30.5cm(46口径)3連装砲3基+同連装砲2基、12cm(50口径)単装砲18基、7.6cm(50口径)単装砲16基、7.6cm(40口径)単装砲6基、45cm水中魚雷発射管3基
- 機関:重油混焼缶20基+低速タービン3基、高速タービン3基4軸推進
- 最大出力:31,000hp
- 航続性能:10ノット/4,800海里
- 最大速力:21.5ノット
- 装甲
- 舷側装甲:250mm
- 甲板装甲:110mm
- 主砲塔装甲: 280mm(前盾)、-mm(側盾)、-mm(後盾)、-mm(天蓋)
- パーペット部:280mm
- 司令塔:230mm
- 航空兵装:-
- 乗員1,000名
[編集] 近代化改装後
- 水線長:-m
- 全長:186.39m
- 全幅:28m
- 吃水:10.4m
- 基準排水量:28,800トン
- 常備排水量:29,100トン
- 満載排水量:-トン
- 兵装:32cm(43.8口径)3連装砲2基+同連装砲2基、12cm(50口径)連装砲6基、100mm(47口径)連装砲4基、37mm(54口径)連装機銃4基
- 機関:重油専焼缶8基+タービン2基2軸推進
- 最大出力:93,300hp
- 航続性能:20ノット/3,100海里
- 最大速力:28ノット
- 装甲
- 舷側装甲:250mm
- 甲板装甲:135mm
- 主砲塔装甲: 280mm(前盾)、-mm(側盾)、-mm(後盾)、-mm(天蓋)
- パーペット部:-mm
- 司令塔:-mm
- 航空兵装:-
- 乗員1,236名