サン・ヴィターレ聖堂
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サン・ヴィターレ聖堂(Basilica di San Vitale)は、イタリアのラヴェンナにあるビザンティン建築・初期キリスト教建築の代表的な聖堂(教会堂)。6世紀前半に建設された。ラヴェンナでは非常に著名な聖堂であるが、司教座聖堂ではなく、聖ウィタリスの聖遺物を信仰するためのマルティリウムである。八角形の集中式平面というかなり特殊な平面構成を持ち、9世紀の歴史家アグネルスは、他のいかなるイタリアの教会建築とも類似しないと述べている。
ラヴェンナは、6世紀以降東ローマ帝国のイタリア統治の拠点として総督府が置かれ、繁栄を謳歌したが、8世紀初頭には東ローマ帝国から分離・衰退した。このため東ローマ帝国での聖像破壊運動の影響を受けることはなく、サン・ヴィターレの内陣部には初期ビザンティン美術の美しいモザイク画が残る。
近接して、ガッラ・プラキディア廟堂が建つ。周辺の建造物と共に世界遺産に登録されている。
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[編集] 歴史
サン・ヴィターレ聖堂の建設は、395年にボローニャで発見された聖ウィタリスの聖遺物が、5世紀頃にラヴェンナに移されたことによって始まる。最初の教会堂は、現聖堂の西側部分に建設された十字型平面の建物で、教会と言うよりは霊廟に近いものだった。実際、聖ウィタリスは著名な殉教者ではなく、その崇敬は重要なものではなかったので、なぜその霊廟が今日にまで残る壮麗な教会堂に再建されたのかは謎である。しかし、その幾分かは、政治的なライバルであったミラノに対する競争心からであったと考えられている。
今日の聖堂建設は、司教エクレシウスの在職期間である522年から533年のある時期に起工され。当時、ラヴェンナは東ゴート王国の首都であり、聖堂はアマラスウィンタの摂政時代に着工されたことになるが、東ローマ帝国の再征服後も建設は進められ、547年に司教マクシミアヌスによって献堂された。碑文から、このプロジェクトに資金を提供した東方の銀行家ユリアヌスなる人物が知られている。彼は、サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂の建設にも出資しているが、その身分は全く不明で、研究者の憶測を呼んでいる。
[編集] 構造
多くの研究が行われているにもかかわらず、サン・ヴィターレ聖堂建設の経緯は未だ謎に包まれている。そもそもウィタリスへの信仰が聖堂建設にいたるまでの重要性を帯びたこと自体、よくわかっていないのである。
530年に東ローマ帝国の属州に再編入されたとき、聖堂がどこまで建設されていたかはっきりしないが、その平面構成はそれまでの西方の伝統に則したものではなく、コンスタンティノポリス由来のものであることは明瞭である。ただし、首都の何か特定の教会堂から派生したものであるとの確証は得られていない。平面的な類似点が指摘されているコンスタンティノポリスのアギイ・セルギオス・ケ・バッコス聖堂は、サン・ヴィターレよりも建設時期が早いと証明することができない。また、皇帝宮殿の黄金の間(現存せず)がサン・ヴィターレの内部空間に類似した建築物であったようだが、これは建設が後年のものである。ともあれ、これらの建築は、サン・ヴィターレと同じ系統に連なるものである。
一方で、サン・ヴィターレ聖堂の内部空間にはイタリアの伝統とも言うべき特質も見られる。それは垂直性に対する嗜好である。薄い煉瓦を厚いモルタル目地で積層していく壁面の手法はビザンティン建築のものだが、ドーム部分は素焼きのパイプが埋め込まれており、これは施工そのものはラヴェンナ、あるいはその支配地域の職人の手によるものであることを証明している。サン・ヴィターレの内陣は、後陣を含む8つのアーケードの上部に高窓のあるドラムを持ち、その上部にドームが載る構造になっているが、アギイ・セルギオス・ケ・バッコス聖堂の場合は、アーケードのすぐ上にドームを頂いており、かなり重苦しい印象を与える。サン・ヴィターレの場合はドームの存在をあまり意識することはなく、両者の印象を鋭く対比させている。
[編集] モザイク
創建当時、内部はマルマラ海のプロコネソス島産の大理石とそれを加工した柱、祭壇、そして一面のモザイクによって装飾されていた。今日、これらの大理石とモザイクは消失しており、ドラムとドームは18世紀に画かれたフレスコ画に覆われている。下部の大理石も後代に補填されたものである。しかし、内陣には美しいモザイクが残っており、当時の荘厳な内部空間の面影を偲ばせる。
内陣部入り口のアーチ部分には、キリストと12使徒のメダイヨンが配置される。天井は、蔦模様とさまざまな象徴の取りあわせが紺地と金の組み合わせを基調として画かれており、その中央部には金の光背をもった子羊(これはキリストをあらわしている)が配置されている。そして、これを4天使が支える。
内陣北・南の壁面には福音書記者マタイ、マルコ、ヨハネ、ルカ、その下には預言者モーセ、エレミヤ、イザヤが画かれている。さらに半円形の壁面は、旧約聖書の場面アブラハムとイサク、アブラハムの饗応、アベルが捧げる子羊とメルキゼデクが捧げるパンが画かれる。
至聖所の東の壁面の上には天使と聖人ウィタリス(向かって左)、司教エクレシウス(向かって右)に仕えられている7つの封印を施した巻き物を持つキリスト、その脇下部にはそれぞれ、皇帝ユスティニアヌス1世と后妃テオドラをはじめとする廷臣からなる礼拝者が描かれる。
上方の色鮮やかなモザイクだけではなく、後陣の床も、白を地とするモザイクで装飾されている。
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- シリル・マンゴー著・飯田喜四郎訳『ビザンティン建築』(本の友社) ISBN 4894392739
- ジョン・ラウデン著・益田朋幸訳『初期キリスト教美術・ビザンティン美術』(岩波書店) ISBN 978-4-00-008923-4
- 益田朋幸著『世界歴史の旅 ビザンティン』(山川出版社)ISBN 9784634633100
- 香川壽夫 香川玲子著『建築巡礼42 イタリの初期キリスト教聖堂』(丸善)ISBN 9784621046166
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