モーセ
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モーセ(ヘブライ語:משה Moshe)は、モーゼ、モイセイともいい、古代イスラエルの最大の預言者とされる人物。いつ頃の人物かは諸説あるが、紀元前16世紀から紀元前15世紀または、紀元前13世紀から紀元前12世紀頃の人物という二つの説が有力である。多くの記述によると実在の人物であることが明らかである。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の伝承においては、「モーセ五書」の筆者とみなされていた。名前のモーセは「マーシャー」(ヘブライ語で‘ひきあげる’を意味する)に由来し、『クルアーン』(コーラン)ではアラビア語でムーサー(موسى Mūsā)と呼ばれる。因みに、「モーセ」は古代エジプト語では‘生まれたもの’を意味している。また、ギリシア語では「メス」「メセス」と発音する。
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[編集] 『旧約聖書』におけるモーセ
『旧約聖書』の『出エジプト記』によれば、モーセはイスラエル人のレビ族の父アムラムと母ヨケベドとの間に生まれ、兄アロンと姉ミリアムがいた(6:19)。当時、イスラエル人はエジプトで奴隷として使役されていたが、モーセは数々の妨害を打破して、彼らをエジプトから連れ出すことに成功した。(出エジプト=エグゾダス)
シナイ山(あるいはホレブ山)で神ヤーウェから十戒を授かってイスラエル人に与えたので、立法者と呼ばれている。モーセとイスラエルの民は、40年もの間シナイ半島の荒野をさまよい、約束の地カナンにたどり着くが、モーセ自身はカナンを目前にして120歳で没したという。
『出エジプト記』はモーセの誕生に筆を起こし、エジプト脱出と十戒および律法の制定に終わっている。
それによれば、モーセが生まれた当時、イスラエル人が増えすぎることを懸念したファラオはイスラエル人の男児を殺すよう命令した。出生後しばらく隠して育てられたが、やがて隠し切れなくなり、葦舟に乗せてナイル川に流された。そこへファラオの王女が通りかかって彼を拾い、水からひきあげたのでマーシャー(ひきあげる)から「モーセ」と名づけた。
成長したモーセは同胞であるイスラエル人がエジプト人に虐待されているのを見てエジプト人を殺害。ファラオの手を逃れてミディアンの地(現在のアラビア半島)に住んだ。ミディアンでツィポラという女性と結婚し、羊飼いとして暮らしていたが、ある日燃える柴のなかから神に語り掛けられ、イスラエル人を約束の地(プロミスト・ランド)へ導く使命を受ける。こうして彼の預言者としての活動が始まる。
エジプトに戻ったモーセは兄アロンとともにファラオに会い、イスラエル人の退去を求めたが、ファラオは拒絶し、なかなか許そうとしなかった。そのため十の災いがエジプトにくだり、ようやくイスラエル人たちはエジプトから出ることができた。それでもファラオは心変わりして軍勢を差し向けるが、葦の海で水が割れたため、イスラエル人たちは渡ることができたが、ファラオの軍勢は海に沈んだ(『出エジプト記』14章)。その後、モーセはシナイ山で神から十戒を受けた。
『出エジプト記』に続く『レビ記』『民数記』『申命記』はその後のモーセの生涯と律法の内容について記している。モーセはイスラエル人を導いて荒野を通って土地の王たちとの戦いを経つつ、カナンの地へ至った。しかし、カナンを前に民が神とモーセに不平を言ったため、神はさらに40年の放浪をイスラエル人たちに課す(『民数記』14章)。
モーセもまたメリバの泉で、水の不足を訴えたイスラエル人に対し、「わたしに水を出させよというのか」と神をさしおいた発言をしたため、カナンの地へ入ることを許されなかった。40年の期間が満ちたとき、モーセは民に別れのことばを残した(『申命記』32章)。そののちモーセはピスガの山頂で約束の地カナンを目にしながら世を去った。その墓所は伝わっていないとされている。享年120(『申命記』34:1)。
[編集] 『クルアーン』におけるモーセ
イスラム教の聖典『クルアーン』(コーラン)では、モーセすなわちムーサーは過去の預言者のひとりにして、ユダヤ教徒の共同体に神(アッラーフ)から使わされた使徒として登場する。
ムーサーは『クルアーン』において諸預言者の中でも最も偉大な預言者であるとみなされており、ムスリム(イスラム教徒)はムーサーを「神と語る者(カリームッラーフ)」と尊称する。
ムーサーの名は『クルアーン』中において非常に多くの個所で言及され、特に、第28章「物語」は全編がムーサーの物語になっている。『クルアーン』によれば、ムーサーはエジプトで生まれ育ち、のちに「聖なる谷」で神の声を聞いて預言者となった。また、彼の兄であるハールーン(アロン)もムーサーを補佐するための預言者とされる。ムーサーとハールーンはエジプトのファラオに唯一なる神を信仰するよう求め、神の偉大さを伝えるために杖を蛇に変えるなどの奇蹟を示すが、ファラオに拒絶されたためにイスラエルの民を連れてエジプトを離れた。出エジプト物語は『聖書』と基本的に同じであり、シナイ山(アラビア語ではムーサー山と呼ばれる)で、ユダヤ教徒に対して与えられた啓典であるトーラー(律法)を神から授かったという。
クルアーンのムーサーの物語では、ユダヤ教徒たちがムーサーの言うことを聞かず、時に偶像をあがめたことについて非常に詳細に言及されており、このようなクルアーンの、正しい神に選ばれた使徒ムーサーに従わないユダヤ教徒に対する批判的な言及が、歴史的なムスリムによるユダヤ教徒に対する差別心、敵意の原因のひとつとなったと指摘されることも多い。
ムーサーはイスラム教においてムハンマドに次ぐ高い尊敬を受けている預言者であり、ムーサーという名はムスリムに好まれる男性名のひとつとなっている。
[編集] モーセと『聖書』
『創世記』から『申命記』にいたる『旧約聖書』の最初の五書は長い間、モーセの手によるものと信じられ、「モーセ五書」とよばれていた。当然、丁寧に読んでいれば「モーセの死をモーセ自身が書けるのか?」といった疑問は出るものの、長きに渡って自明のこととされてきた。しかし近代以降の批判的文献研究によって、モーセが書いたという見解は否定されている。
[編集] モーセと芸術作品
- 絵画・彫刻
キリスト教美術においてはモーセは通常老人の姿に描かれることが多い。
中世ヨーロッパ美術においてはモーセはしばしば角のある姿で描かれる(画像参照)が、これはヴルガタ訳の描写をもとにしたためである(『出エジプト記』 34:29-30, 35)。元来、ヘブライ語には母音を表す文字が存在せず、ヘブライ語で「角」を意味する語は「輝く」という意味にも解釈可能であり、現在の『聖書』翻訳では後者の意味で訳出される。
- 映画
モーセと出エジプトをテーマにした映画も多い。代表的な作品に以下のものがある。