ラヴェンナの初期キリスト教建築物群
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ラヴェンナの初期キリスト教建築群 (イタリア) |
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サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂 | |
(英名) | Early Christian Monuments of Ravenna |
(仏名) | |
登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | 文化遺産(i),(ii),(iii),(iv) |
登録年 | 1995年 |
拡張年 | |
備考 | |
公式サイト | ユネスコ本部(英語) |
地図 | |
[[画像:|230px|ラヴェンナの初期キリスト教建築物群の位置]] |
ラヴェンナの初期キリスト教建築群(ラヴェンナのしょきキリストきょうけんちくぐん)は、イタリアのラヴェンナにあるユネスコの世界遺産登録物件名。登録は1995年。5世紀初頭から6世紀末に建設された初期キリスト教の聖堂・礼拝堂を対象とする。
目次 |
[編集] 概略
ラヴェンナは、西ゴート族による410年のローマ侵略の後、西ローマ帝国、そして東ゴート王国の首都、さらには東ゴート王国を滅ぼした東ローマ帝国(ビザンツ帝国)が総督府を置いてイタリア統治の拠点にした都市である。ホノリウスが、ミラノから防衛の容易なこの街にやってきた時には、すでに良港クラッシスを要する交易都市として栄えており、751年まで西の首都であり続けた。今日残る聖堂や礼拝堂は、この繁栄の時代に西ローマ帝国の女帝ガッラ・プラキディア、東ゴート王国の王テオドリック、東ローマ帝国・ユスティニアヌス1世時代のラヴェンナ司教マクシミアヌスの活動によって建設されたものである。750年までに、この街には60以上の聖堂が建設されていたことが伝えられる。
しかし、8世紀末になると、ラヴェンナは政治的重要性を失い、急速に衰退した。その後もラヴェンナが歴史の表舞台に立つことはなく、経済活動も活発ではなかったので建て替えもほとんど行われず、当時の建築・美術が豊富に残った。第一次世界大戦の際には、オーストリア軍の砲撃を受けてサンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂のファサードが破壊され、第二次世界大戦最中の1944年には空爆を受けるなど、危機的状況もあったが、やはり戦略上の重要性をもたなかったために壊滅的な被害を受けることはなかった。このため、ラヴェンナを、1世紀当時そのままの姿を現代に伝える同じくイタリアの都市ポンペイに関連付けて、「初期中世のポンペイ」と呼ぶこともある。
5世紀から6世紀までの都市の全体像は、発掘があまり行われていないこともあって、明確にはつかめていない。ただし、世界遺産に登録された聖堂のほかに、サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ聖堂(1568年に取り壊され、近年再建された)やサンタ・クローチェ聖堂(ガッラ・プラキディア廟堂の本体にあたる。やはり後に再建された)、ラヴェンナ司教ウルススによって建設された大聖堂バシリカ・ウルシアーナなどの宗教建築がいくつか再建されている。
[編集] 建築物
- ガッラ・プラキディア(ガッラ・プラチーディア)廟堂
- 女帝ガッラ・プラキディアによって建設され、彼女の霊廟とされる建築物。実際には殉教者記念礼拝堂である可能性が高い。内部天井部分に創建当時のモザイクがほぼそのまま残っている。
- 大聖堂付属(正統派)洗礼堂
- ラヴェンナに残る最も古い建築物のひとつで、司教ウルススと次代の司教ネオンにより、バシリカ・ウルシアーナの付属洗礼堂として建設された。ネオン洗礼堂ともいう。アリウス派と正統派ではキリスト理解の違いから洗礼堂を共有することが出来ず、建築された。理解壁面とドームに美しいモザイク画が描かれ、壁面下層には5世紀に作られた浮き彫りを見ることができる。
- サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂
- 元来は、大王テオドリックによって、大宮殿に隣接するかたちで建設されたバシリカである。聖堂の上部壁面には6世紀のモザイクがほぼそのまま残っており、テオドリックのものと思われる宮殿も描かれる。
- アリウス派洗礼堂
- 後に異端とされたキリスト教アリウス派の洗礼堂。大王テオドリックによって建設された、現存する数少ないアリウス派の遺構である。第二次世界大戦の際、連合軍の上陸時に爆撃されたが、現在は修復されている。
- 大司教館礼拝堂
- ラヴェンナ司教ペトルス2世によって、バシリカ・ウルシアーナに隣接する司教宮殿内部に建てられた礼拝堂である。かつては奉納されたさまざまな宝物で飾られていた。今日でも、天井に美しいモザイクが残っている。
- テオドリック廟
- 大王テオドリックの霊廟。切り石による組積構造で、ドームは巨大な一枚岩でできている。霊廟の内部に石棺が残るが、遺品や副葬品などはない。
- サン・ヴィターレ聖堂
- おそらく東ゴート王国の摂政アマラスンタによって起工され、ラヴェンナ司教マクシミアヌスが完成させたラヴェンナを代表する聖堂。殉教者記念礼拝堂である。内陣に、皇帝ユスティニアヌス1世と皇后テオドラをはじめとするモザイク画が残る。
- サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂
- ラヴェンナ司教マクシミアヌスによって、当時のラヴェンナの外港クラッシスに建設されたバシリカ。壁面のモザイクは失われているが、内部の空間構成はほとんど建設当時のままである。アプスにはすばらしいモザイクが残る。
[編集] 登録基準
この世界遺産は、世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。
- (i) 人類の創造的天才の傑作を表現するもの。
- (ii) ある期間を通じて、または、ある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、町並み計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
- (iii) 現存する、または、消滅した文化的伝統、または、文明の、唯一の、または少なくとも稀な証拠となるもの。
- (iv) 人類の歴史上重要な時代を例証する、ある形式の建造物、建築物群、技術の集積、または景観の顕著な例。
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- シリル・マンゴー著・飯田喜四郎訳『ビザンティン建築』(本の友社) ISBN 4894392739
- ジョン・ラウデン著・益田朋幸訳『初期キリスト教美術・ビザンティン美術』(岩波書店) ISBN 978-4-00-008923-4
- 益田朋幸著『世界歴史の旅 ビザンティン』(山川出版社)ISBN 9784634633100
- 香川壽夫 香川玲子著『建築巡礼42 イタリアの初期キリスト教聖堂』(丸善)ISBN 9784621046166
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