スコピエ
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スコピエ(Skopje)は、ヴァルダル川沿いにあるマケドニア共和国の首都である。人口は約44万人(1994年)。北緯42度0分、東経21度26分。
[編集] 歴史
古代ローマ時代に建設され、スクピ (Scupi) の名で知られた。その後東ローマ帝国に引き継がれるがスラヴ人の侵入と定住により帝国の実質的支配は及ばなくなる。10世紀にはブルガリア王国の領土となり、同世紀末にはオフリドと共に「西ブルガリア王国」ないし「マケドニア王国」と呼ばれる地方国家の主要都市となる。1018年東ローマ帝国領に再併合(ギリシア名では「スコピア」)。その後帝国の混乱に伴いブルガリア、イピロス専制公国、ニケア帝国などが次々に占領した。13世紀にはセルビアの支配下に入った。ステファン・ウロシュ4世ドゥシャンが1346年「皇帝」として戴冠したのはスコピエに於いてである。彼の帝国の首都もここに置かれ、大主教座は総主教座に昇格された。1392年から1912年にかけてオスマン帝国の支配下に入り、ユスキュブ (Üsküb) という名で呼ばれ、同名のサンジャク(県)の知事所在地として繁栄した。1913年にセルビアに併合されて第一次世界大戦後にユーゴスラヴィア王国の一部となった。第二次世界大戦中はブルガリアの支配を受けたが、1944年にマケドニア共和国が成立すると(ユーゴスラヴィア連邦の一共和国を形成)その首都となった。1991年、マケドニア共和国の分離独立に伴い改めて独立国家の首都となる。
地震の多い土地で、518年、1555年、1963年と壊滅的な被害を受けたが、そのたびに復興した。1963年の地震は死者1,100人、負傷者4,000人を出し、中心市街は壊滅したが、1966年から72年にかけて丹下健三の都市設計による再建事業が行われ、ビルの立ち並ぶ近代都市へと生まれ変わった。
[編集] 姉妹都市
[編集] 外部リンク
- Skopje website
- Skopje website 英語版もある