セアト・イビーサ
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セアト・イビーサ(SEAT Ibiza)は、スペインの自動車会社・セアトが製造する、3/5ドアハッチバック型の小型乗用車。
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[編集] 歴史
[編集] 初代モデル(1984年 - 1993年)
1984年、それまでのセアト・ロンダ(フィアット・リトモのスペイン版)の足回り(サスペンション)やエンジンブロック等の部品を流用し、外装デザインをジウジアーロ、エンジン(1.2と1.5リットル。ターボ装着も計画されていたようだ)と内装をポルシェ、車体構造をカルマン(ドイツの車体製造業者)に依頼して初代モデルが完成。当初はエンジンやステアリングの鈍重さ、製造品質の低さや、スイッチ類の使い勝手の悪さ等に悩まされ、1989年、1991年に相次ぐマイナーチェンジが行われた。
ちなみに日本に輸入されたのは、1989年以前のモデルと思われる。エンジンは1.2と1.5リットル、グレードは1.2ジュニアと1.5GLX、色は赤と黒が選べた。並行輸入車の業界団体、外国自動車輸入協同組合(Faia)加盟業者が合計数百台輸入した(ちなみにFaiaは同時期に旧ソ連製のラーダも輸入したことがある)とされるが、実際どれだけ売れたか、そして車両のその後、どれだけ生き残っているかは不明である。 デザインは大ヒットしたVWゴルフの二代目に非常によく似たデザインであり、ゴルフが丸目だったのを角目にしたような、非常にすっきりとまとまったデザインであった。 またリアー・ウィンドゥ上部には販売促進のためか、Powered by Porsche と書かれた横長ステッカーが標準状態で貼られており、購入したオーナーの自己満足度を高める役目も果たしたと思われる。
[編集] 2代目モデル(1993年 − 2001年)
1993年5月、バルセロナでの国際自動車ショーで発表された。継承されたのは車名だけで、内容はこの年にセアト資本のほぼ100%を所得したフォルクスワーゲン(VW)の技術により、格段のレベルアップを遂げた。精悍なハイデッキプロポーションの外装は引き続きジウジアーロの手が入ったが、内装面では、スイッチ類やメーター等、各部にVWの部品が大量に流用された。
エンジンはVWの1.05から2リットルが、サスペンションはゴルフの前輪ストラット、後輪半独立トレーリングアーム構造が流用された。ドイツの技術とラテンのセンスを併せ持ったこのモデルはヨーロッパ全土で成功を収め、1996年にはTDiディーゼル仕様(110馬力仕様もあった)や2リットルDOHC16バルブ、150馬力エンジン搭載の"CUPRA(クプラ:CUP RAcingから)SPORTS"などが登場した。
1999年夏、大掛かりなマイナーチェンジが実行された。3分割グリルのさらに精悍さを増したフロント部などのデザイン変更が行われたが、ボディの安全対策強化と部品リサイクル性の向上、全く新しいダッシュボードデザインなど、多岐に渡ってアップデートされた。エンジンでは1.0リットルから1.8リットルDOHC20バルブターボまで、仕向け地域にもよるが、より多彩になった。中でも1.4と1.6リットルに16バルブエンジンが採用されている。
[編集] 3代目モデル(2001年 - )
2001年末、イビーサは先代モデルから基本構造とエンジンバリエーションを継承しつつ、フルモデルチェンジを行った。最大の見所はスタイリングで、アルファ・ロメオのチーフデザイナーだったワルテル・デ・シルヴァ(Walter de’Silva)が参加したとされる肉感的なもの。室内や装備等も、安全装備の充実等、時代に合わせて刷新されたものになっている。サスペンションは、セアトがASR(Active Steeering Response)と名付けた、堅いショックアブソーバーと柔らかいバネを特徴としたコンセプトが採用されている。
2003年、それまでのイビーサ最強モデルだったクプラが1.8リットルターボ180馬力と1.9リットルTDIディーゼル160馬力仕様としてモデルチェンジされ、外観はより高性能版としてのアピールを高めている。また従来からの1.8リットルターボ(150馬力となった)仕様はクプラに次ぐ高性能仕様、FR("Formula Racing"から)となった。このFRは後に、1.9リットル130馬力TDIエンジン仕様(このモデルのデビュー時から用意されていたが、従来仕様からバージョンアップされた形になった)も追加されている。
[編集] 外部リンク
イビーサ公式サイト(英語)