ポルシェ
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ポルシェ (Porsche A.G.) は、ドイツの自動車製造会社。
高級スポーツカーとレーシングカーを専門に開発・製造し、中でも1963年に発売されたスポーツカー「ポルシェ 911」は改良を重ねながら製造・販売され、現在でも高い人気を誇っている。そのため、水冷エンジンとなった新世代ポルシェにおいても、「リアエンジン」と「911」の名前は「記号」として残されることになった。
殆どの製品に共通する「カエル顔」と呼ばれるデザインも特徴。
最初の フォルクスヴァーゲン・ビートルを作り上げた技術者、フェルディナント・ポルシェ(Ferdinand Porsche)の息子であるフェリー・ポルシェ(Ferry Porsche)によって1947年に設立された。
1971年にポルシェ一族は経営から手を退き、同族経営から脱却している(ただしポルシェ家は、依然として同社の大株主ではある)。このときポルシェの技術者だったポルシェ博士の孫のフェルディナント・ピエヒ(後にVWアウディグループ会長)と同じく孫でデザイナーだったブッツィ・ポルシェ(のちにポルシェデザイン社長)も会社を去っている。現在の社長はヴィーテキング氏。
2005年、歴史的に縁の深いフォルクスワーゲンの株式の20%を取得し、同社の筆頭株主となった。
ポルシェAGとポルシェデザイン社は、創業者が同じポルシェ一族と言うだけで、資本関係等は全く関係の無い別会社である。(ただし現在は自動車以外の部門で合弁事業を行っている)。
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[編集] 経営状況
[編集] 年間生産台数
ポルシェは1990年代前半に最大のマーケットでもある米国での販売不振により赤字が拡大し、経営難をささやかれた時期があったが、1996年に低価格のオープンカー (ロードスター型) 「ポルシェ・ボクスター」を投入、翌年にはデザインと設計を全面的に一新した996型「ポルシェ 911」を投入した効果により販売が好転。2003年にはポルシェ初の4ドア車である「ポルシェ・カイエン」も投入し、1999~2000年度の生産台数が約4万5千台であったのに対し、2003~2004年度の生産台数は約8万台(フィンランド工場製を含む)と、順調な伸びを示している。
[編集] 生産拠点
[編集] ツッフェンハウゼン工場
ツッフェンハウゼン工場はシュツットガルト市にあり、1940年代から続くポルシェの主力工場。ポルシェ・ボクスターをフィンランドの工場に生産委託する以前は、多くのポルシェをこの工場で生産していた。工場は大小4つの建物から成り、ポルシェセンター(販売拠点)やポルシェ博物館、修理・特注工場が併設されている。
[編集] フィンランド工場
ポルシェは創業以来ドイツのツッフェンハウゼン工場で生産を行っていたが、ポルシェ・ボクスターが販売好調のためフィンランドの企業「ヴァルメット社」(Valmet) にボクスターの生産を委託。2000~2001年度の場合、総生産台数の約4割りにあたる約2万台をフィンランド製ボクスターが占めていた。現在はドイツの新しいライプツィヒ工場の稼動により、フィンランド工場製ボクスターの割合は大幅に縮小され、約6千台となっている。
[編集] ライプツィヒ工場
生産能力増強のために、ドイツのライプツィヒ (旧東ドイツ地区) に新しい工場を建設し、2002年8月に稼動開始した。テストコースも備える広大な敷地に、近代的な外観と設備を備えるライプツィヒ工場は年間3万台超の生産能力を誇っている。現在、最も販売好調なポルシェ・カイエンと少量生産車ポルシェ カレラGTの生産を行っている。
[編集] 現行車種
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[編集] 現在までの主な製品
[編集] 軍用車両
- ティーガーI
- ティーガーII
- マウス (戦車)
- キングタイガー
- ヤークトタイガー
- ティーガー(P)駆逐戦車
※開発に関わったもの
[編集] トラクター
- ポルシェ タイプ110
- ポルシェ AP
- ポルシェ ジュニア
- ポルシェ スタンダード
- ポルシェ スーパー
- ポルシェ マスター
- ポルシェ 312
- ポルシェ 108F
- ポルシェ R22
- ポルシェ AP16
[編集] ロードカー・一般向け
- ポルシェ 356
- 1948年6月8日、プロトタイプ完成。
- (1948年、1949年)(年号はモデルイヤー)水平対向 4気筒 1.1L(40HP/29.4Kw)と4速M/Tの組み合わせ。
- クーペ、カブリオあわせて47台が生産されたといわれている(52台説もあり)。
- アルミボディーでフロントエプロンにひげ飾りを持つ、いわゆる「グミュント」モデル。
- (1950年、1951年) クーペ、カブリオ ボディーはロイター製のスチールのほか、ホイヤー製のアルミボディーも少数ある。
- このモデル以降シュトゥッツガルト製。1951年1.3L(44HP/32Kw)追加。
- (1952年-1954年) 1.5L(60HP/44Kw)、「1500スーパー70(70HP/51Kw)」、「1300スーパー(60HP/44Kw)」追加。
- クーペ、カブリオに加え、1951年後半から北米向けロードスター(タイプ 540 「アメリカロ-ドスター」)の生産が始まる。
- (1955年-1957年) 「356A」へマイナーチェンジ、1.1L終了。1954年後半より「スピードスター」追加。
- 1955年、初の「カレラ」となる「1500GS(100HP/74Kw)」登場。
- 1956年に356シリーズ、生産10,000台を達成。
- 1957年、1500GSに通常モデルと同じ内装の「デラックス」追加。
- (1958年、1959年) 1958年「1500GSカレラGT(110HP/81Kw)」登場。
- 1959年に「1600GSカレラGT(115HP/85.8kw)」と通常内装の「1600GSカレラDX」が登場。
- スピ-ドスターに代わり「コンバーチブルD」が登場、翌年「ロ-ドスター」に改称。
- (1960年-1962年) 1959年後半から「356B」へマイナーチェンジ。
- (1963年-1965年) 1963年後半より組み立ての合理化のため設計変更された「356C」へスイッチ。
- 911シリーズとの部品・組み立ての共通化を図る。
- ポルシェ 550スパイダー
- 550スパイダー(1953年)
- 空冷
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- 901(1964年-1968年・年号はモデルイヤー)車名を「911」に変更。軸重不均等過大によりフロントバンパー内に追加ウエイト装備、安定性の改善を図る。
- 911(1968年-1976年)
- 930(1974年-1989年)
- 964(1989年-1993年)
- 993(1993年-1998年)
- 水冷
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- 996
- 997
- ポルシェ 911GT1ロードバージョン
- ポルシェ 912
- ポルシェ 914 1969年のIAA)
- 914 水平対向 4気筒 1.7L(1969年-1972年)
- 1.7L・2.0L (1973年) 2.0L追加、樹脂バンパーに変更。
- 1.8L・2.0L (1974年・1975年) 1.7Lを1.8Lへ変更。北米向けは1975年モデルから5マイルバンパー化と排ガス対策強化(2.0L 100HP→88HP)。
- 928
- 928L
- 928S
- 928S2
- 928GTS
- ポルシェ 959
- ポルシェ 968
- ポルシェ 928
- 928
- 928L
- 928S
- 928S2
- 928S4
- 928S4CS
- 928GT
- 928GTS
- ポルシェ・パナメーラ (Panamera) - 執筆募集中。
[編集] コンペティションモデル、モータースポーツベースモデル
ロードカーとして登録可能なモデルも多い
- ポルシェ 63
- ポルシェ 550スパイダー
- 550RS(1953年-1956年)1656年タルガフローリオ優勝
- 550A(1956年)
- ポルシェ 718
- RS60-RS64(1958年-1962年)
- ポルシェ 356カレラGT2
- ポルシェ 904(1964年)
- 競技専用車ではないため、かなりの数がロードカーとして登録された。
日本では日本グランプリでプリンス・スカイラインと壮絶なバトルを繰り広げたクルマとして知られる。
- ポルシェ 906
- ポルシェ 907
- ポルシェ 908
- ポルシェ 910
- ポルシェ 916
- ポルシェ 917
- ポルシェ 924 CarreraGTR
- ポルシェ 934
- ポルシェ 935
- ポルシェ 936
- ポルシェ 953 Rally
- ポルシェ 956
- ポルシェ 961
- ポルシェ 962
- ポルシェ 968 turboRS
- ポルシェ 911 GT1
- ポルシェ 911 Carrera RSR
- ポルシェWSC95
[編集] 試作車・その他
- タイプ32 「KdF」、後のType 1・ビートルの原型
- タイプ60 「KdF」の量産型試作車
- V303 「KdF」の軍用版
[編集] モータースポーツ
[編集] ロードレース
- タルガフローリオ 優勝
- 1956年 550スパイダー ウンベルト・マグリオーリ(Umberto Maglioli)/ハシェック・フォン・ハンスタイン(監督兼任)
- 1960年 RS60 ヨー・ボニエ(Jo Bonnier)/ハンス・ハーマン(Hans Herrmann)/グラハム・ヒル(Graham Hill)
- 1963年 RS64 ヨー・ボニエ(Jo Bonnier)/カルロ・マリア・アバテ(Carlo Maria Abate)
- 1964年 904 GTS コリン・デイヴィス(Colin Davis)/アントニオ・プッチ(Antonio Pucci)
- 1966年 906 Carrera 6 ウィリー・メレス(Willy Mairesse)/ヘルベルト・ミューラー(Herbert Müller)
- 1967年 910 ポール・ホーキンス(Paul Hawkins)/ロルフ・シュトメレン(Rolf Stommelen)
- 1968年 907 ヴィック・エルフォード(Vic Elford)/ウンベルト・マグリオーリ(Umberto Maglioli)
- 1969年 908/2 ゲルハルト・ミッター(Gerhard Mitter)/ウド・シュッツ(Udo Schütz)
- 1970年 908/3 ヨー・シファート(Jo Siffert)/ブライアン・レッドマン(Brian Redman)
- 1973年 911 Carrera RSR ヘルベルト・ミューラー(Herbert Müller)/ジィズ・ヴァン・レネップ(Gijs van Lennep)
[編集] 耐久レース
- WEC
- ル・マン24時間 優勝
- 1970年 917K ハンス・ヘルマン(Hans Herrmann)/リチャード・アトウッド(Richard Attwood)
- 1971年 917K ヘルムート・マルコ(Helmut Marko)/ジィズ・ヴァン・レネップ(Gijs van Lennep)
- 1976年 936 ジャッキー・イクス(Jacky Ickx)/ジィズ・ヴァン・レネップ(Gijs van Lennep)
- 1977年 マルティニレーシング・ポルシェAG 936/77 ジャッキー・イクス(Jacky Ickx)/ユルゲン・バルトJürgen Barth/
- ハーレイ・ヘイウッド(Hurley Haywood)
- 1979年 クレーマーレーシング 935 K3 クラウス・ルドビク(Klaus Ludwig)/ビル・ホィッティントン(ウィッティントン) (Bill Whittington )/
- ドン・ホィッティントン(ウィッティントン) (Don Whittington)
- 1981年 ポルシェ AG 936/81ジャッキー・イクス(Jacky Ickx)/デレック(デレク)・ベル(Derek Bell)
- 1982年 ポルシェ AG 956L ジャッキー・イクス(Jacky Ickx)/デレック(デレク)・ベル(Derek Bell) 1~3位を独占
- 1983年 ポルシェ AG 956L ヴァーン・シュパン(Vern Schuppan)/アル・ホルベルト(Al Holbert)/ハーレイ・ヘイウッド(Hurley Haywood)
- 1984年 ヨーストレーシング 956L クラウス・ラドヴィック(Klaus Ludwig)/アンリ・ペスカロロ(Henri Pescarolo)
- 1985年 ヨーストレーシング 956L クラウス・ラドヴィック(Klaus Ludwig)/パオロ・バリッラ(バリラ)(Paolo Barilla)/ジョン・ウィンター(John Winter)
- 1986年 ポルシェ AG 962C デレク・ベル(Derek Bell)/ハンス・ヨアヒム・シュトゥック(Hans-Joachim Stuck)/
- アル・ホルベルト(Al Holbert)
- 1987年 ポルシェ AG 962C デレク・ベル(Derek Bell)/ハンス・ヨアヒム・シュトゥック(Hans-Joachim Stuck)/アル・ホルベルト(Al Holbert)
- スパ24時間
参戦年度 | 1958 - 1964 |
---|---|
出走回数 | 31 |
コンストラクターズタイトル | 0 |
ドライバーズタイトル | 0 |
優勝回数 | 1 |
通算獲得ポイント | 47 |
表彰台(3位以内)回数 | 5 |
ポールポジション | 1 |
ファステストラップ | 0 |
F1デビュー戦 | 1958年オランダGP |
初勝利 | 1962年フランスGP |
最終勝利 | 1962年フランスGP |
最終戦 | 1964年オランダGP |
[編集] F1
過去にチームとして参戦した経験もあるが、エンジンサプライヤーとして、1983年~1987年までマクラーレンTAGポルシェとして1.5l V6ターボエンジンを、1991年にフットワークに3.5l V12エンジンを供給していた。
特に1984年~1985年には、ニキ・ラウダ、アラン・プロストによってドライバーズタイトル、コンストラクターズタイトル、翌1986年もプロストのドライバーズタイトルの獲得に貢献している。
しかし、1991年に供給したV12エンジンは、V6ターボを二つつなぎあわせた様なエンジンで、重量200kgという超ヘビー級なうえに大きく、更にパワーが出ないという駄作で、シーズン半ばに撤退してしまうという失態であった。
[編集] ラリー
- モンテカルロ
- サファリ
[編集] ラリーレイド
- パリ・ダカール
[編集] エピソード
- 山口百恵の持ち歌である「プレイバックパート2」の歌詞の中の「真っ赤なポルシェ」というくだりに対し、NHKは、内部規定により、「歌詞に含まれる特定企業名・商品名は宣伝にあたる」と判断、同局の番組では「真っ赤な車」と置き換えられて歌われた。
この一件により視聴者や他のメディアから、「表現の自由」を奪う行為であるとして、NHKに多くの批判が集中した。(外部参考項)ただし最近では(2007年3月24日放送「家族で選ぶにっぽんの歌」など)、歌詞を尊重する方向への方針転換からか、NHKでも元の歌詞どおり「真っ赤なポルシェ」と歌われている。
[編集] 日本での販売
- 日本では、1952年からミツワ自動車(旧名・三和自動車)が日本での輸入総代理店として販売を続けてきたが、1995年、ポルシェAGが100%出資の日本法人「ポルシェ自動車ジャパン株式会社」を設立した。そして1998年、日本法人名を「ポルシェジャパン株式会社」に変更し、輸入権をミツワ自動車から移管した。以降現在も、ポルシェジャパンが日本国内のポルシェビジネスを統括している。
[編集] 関連項目
- ニード・フォー・スピード ポルシェ・アンリーシュド
- カレラ・パナメリカーナ・メヒコ
- ミッレミリア
- 湾岸ミッドナイト
- サーキットの狼
- 彼女のカレラ My Favorite Carrera
- PANZER(ポルシェの起源)
- スーパーカー
- F1コンストラクターの一覧
- ロスマンズ
- RUF
- 9ff
- SPORTEC
- Gemballa
- 人物
- ジェームス・ディーン - 550スパイダーを運転中に事故死。
- スティーブ・マックイーン
[編集] 外部リンク
- ポルシェ ジャパン
- http://www.intermeccanica.co.jp/im_index.html (ポルシェ356復刻版)