タギシミミの反逆
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タギシミミの反逆(タギシミミのはんぎゃく)は、神武天皇が亡くなった後、皇位に就こうと策略したタギシミミをカムヌナカワミミ(後の綏靖天皇)らが討ったという日本神話の説話である。
[編集] あらすじ
天皇(神武天皇)にはヒメタタライスケヨリヒメ(ヒメタタライスズヒメ)との間の子の他に、日向にいたころにアヒラヒメ(阿比良比売)との間にタギシミミ(多芸志美美命)、キスミミ(岐須美美命)の二柱の子をもうけていた。天皇が亡くなった後、タギシミミはヒメタタライスケヨリヒメを妻にし、その3人の御子を殺そうと計画していた。それを知ったイスケヨリヒメは3人の御子にそれを知らせようと、「狭井河から雲が立ち登って、畝傍山では大風が吹く前触れとして、木の葉がざわめいている」という内容の歌を詠んだ。その歌の意味を解した御子たちはすぐにタギシミミを殺すことにした。
カムヌナカワミミ(神沼河耳命)は、兄のカムヤイミミ(神八井耳命)に武器を渡してタギシミミを殺すように言った。しかし、カムヤイミミは手足がわなないて殺すことができなかったので、カムヌナカワミミが兄の持っている武器を取ってとどめを刺した。そこで、それを賛えてカムヌナカワミミはタケヌナカワミミ(建沼河耳命)とも言う。カムヤイミミはこの失態を恥じ、弟のカムヌナカワミミに皇位を譲り、自らは神官となって仕えた。
[編集] 解説
神武天皇の御子のうち、末子であるカムヌナカワミミが皇位を継いだのは、古代日本において末子相続の風習があったことを示すものである。父の神武天皇(カムヤマトイワレビコ)も、ウガヤフキアエズの4人の御子の末子であり、ウガヤフキエアズの父のホオリもまた末子である。
あらすじでは省略したが、皇位を継がなかったカムヤイミミとヒコヤイ(日子八井命)は、多くの氏族の祖とであると記されている。これは、それらの氏族が祖先の出自を神武天皇に結び付け、大和王権と関係が深いことを示そうとしていたためとされる。
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