タコ部屋労働
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タコ部屋労働(-べやろうどう)は主に戦前の北海道で行われた非人道的な労働形態の一つである。
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[編集] 概要
労働者をかなりの期間身体的に拘束して、非人間的環境下で重い肉体労働をさせることをいう。タコ部屋労働で使役された労働者をタコと呼び、タコを監禁した部屋をタコ部屋(ないしは監獄部屋)と呼ぶ。タコ部屋はタコ部屋労働環境そのものを意味することもあった。類似した状況は九州の炭田地帯にも見られ、納屋制度と呼ばれていた。
現在タコ部屋労働は禁止されているが、例えばプログラミング等の非肉体労働でも、職場への長期間の泊まり込みを余儀なくされる場合、自虐的な比喩として「タコ部屋」という表現を用いることがある。また、自動車産業で人手不足のため、子会社や協力会社の社員が出向し、親会社の寮に一時的に住むことがある。出向した社員達がこの寮のことを、タコ部屋(又は強制収容所)と呼ぶことがある。
[編集] 起源
明治末期の北海道に起源がある。当時の北海道では、受刑者の労働力により主要な道路、鉄道建設が行われていたが、あまりにも過酷であったために死者が続出。果ては中止に追い込まれ、代わりに業者による労働者の斡旋がはじめられた。とはいえ、仕事の内容はそれまでと大差ない過酷なものであり、労働者の逃亡が相次いだ。このため宿舎の出入口に鍵が掛けられ、監視員が逃亡防止にあたるという、いわゆるタコ部屋が確立された。
語源については定説がない。タコを捕らえる時のタコ壺に似て一度入ると出られないからだとも、タコのように最後には自分の足を食べなければならないような劣悪な環境だったからとも、此種の労働者を東北地方北部を中心とした他の地域から、斡旋業者の甘い言葉に乗せて雇用したから(他雇)とも言うが、何れも確実なものではない。
[編集] 労働条件
朝早くから夜遅くまで、ひたすら肉体労働を強いる工事現場が主体であった。約180kgのもっこを二人で担ぐなどの重労働が一日15時間程も要求され、それが連日休みなく続くのである。食事は立ったままとらされ、施錠されるため外出は不可能だった。
北海道は冬期間は厳寒な気候によって工事ができなくなる事もあり、3~6ヶ月の契約である場合が殆どであった。しかし、体罰を伴う重労働に加え、非衛生的な環境と粗末な食事(特に副食が不足した)により、健康を損なって病気になる者が多かった。また捕らえられた脱走者は見せしめのリンチに遭った。こうして多くの命が失われ、その遺体は単に遺棄されることが多かった。タコ部屋自体脱走しにくい立地にあることが多く、運良く監視員の目を逃れても、山中での遭難等で命を落とすことは少なくなかったようである。
北海道内から集められた労働者の条件は比較的良好であったらしいが、本州から送り込まれる労働者は、斡旋業者に騙され半ば人身売買のように売られて低賃金により酷使された。高額の飲食代を徴収する事で、その低賃金すら残らなかったという。タコは外出が禁止されていたので、身の回りの物もすべてタコ部屋で調達せざるを得ず、これも収奪の手法になっていた。
しかし、このような過酷な仕事場でも、抜け出して社会に戻れば食事にすら事欠く貧困が待っている時代でもあり、一度は去った者の多くが再びタコ部屋に戻っていったとも言われる。タコ部屋労働者に対する社会からの差別感情が強かったことも、それを後押しした。
一方、これほどの収奪を行ってもタコ部屋業者の利益は意外と少なかった。タコ部屋を管理していたのは下請け業者であり、談合や中間搾取などにより、元請け業者や政治家に利益の半ばを吸い取られたという。大資本や地域の有力者がタコ部屋労働の上部構造として存在したことも、その根絶を妨げる一つの原因であったと言われている。その為、北海道の一部の地域では、タコ部屋労働の過酷さが子々孫々伝えられており、タコ部屋労働を利用して事業を拡大した、旧財閥を始めとする戦前からの歴史がある大企業に対し、嫌悪の情を示す例が今なお見られるという。
[編集] 労働者層
単純失業者や貧農が多かったことも事実だが、斡旋業者に簡単な仕事と騙されるケースが多かったため、幅広い層が労働に従事したと言われる。日韓併合後の朝鮮半島からの出稼ぎ者・密航者も居た。世界恐慌時にはインテリ層も珍しくはなかったらしい。
[編集] 衰退
官憲による取締の強化は行われたものの、タコ部屋労働を戦前の日本人の手で禁止することはできなかった。タコ部屋労働が禁止されたのは、1946年、GHQの指令による。同時に労働運動が盛んになり、労働者の権利が明確化され始めたこと、加えて、アメリカ製の建設重機が流入し、人海戦術による土木工事も減少したため、瞬く間に減少したと言われる。
[編集] タコ部屋労働により建設されたことが判明している構造物
- タコ関連の怪談が伝わっている。このトンネルの金華駅側の坑口付近などには、トンネル工事の際に命を落とした労働者の慰霊碑が建っている。
その他北海道内の炭鉱、鉱山、ダム、トンネル、灌漑用水など多くの土木工事がこの労働によって行われた。
[編集] タコ部屋労働を題材とした小説
- 羽志主水『監獄部屋』(1926年)
- 北海道のタコ部屋現場で虐待される労働者たち。そこへ強制労働の調査のため当局の査察団が来訪した……日本の探偵小説の中でも古典的名作の一つとされる短編サスペンス小説。タコ部屋労働の残虐な実態を背景にしたショッキングな結末は高く評価され、探偵小説のアンソロジーにたびたび採録されてきた。作者は開業医を本業とする寡作なアマチュア作家だったが、青年時代には幸徳秋水らとも親交があり、社会問題の実態に造詣が深かった人物である。創元推理文庫 日本探偵小説全集(11)名作集 1 に収載され、2006年現在でも刊行されている。ISBN 4488400116。
[編集] 現在のタコ部屋労働
2003年、山梨県都留市の建設業者が死体遺棄の容疑で逮捕された。被害者はドヤ街で勧誘を受けて送り込まれたが、不払いの賃金を要求したため殺害されたとされる。今なお、タコ部屋労働が社会の片隅で続けられていることが裏付けられた事件である。