チャールズ・イームズ
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チャールズ・オーモンド・イームズ Jr(Charles Ormond Eames, Jr 1907年6月11日 - 1978年8月21日)はアメリカ合衆国のデザイナー、建築家、映像作家である。妻のレイ・イームズと共に合板やプラスチック、金属といった素材を用いて、20世紀における工業製品のデザインに大きな影響を与える作品を残した。
[編集] 経歴
チャールズ・イームズは1907年、アメリカ合衆国ミズーリ州セントルイスに生まれた。14歳の頃、高校に通いながらレイクリード・スチール社でアルバイトをし、 エンジニアリング、製図、そして建築の知識を身につけたといわれている。
イームズは短期間ではあるが、奨学金を受けてセント・ルイスのワシントン大学に通い、建築を学ぶ。彼は、研究課題としてフランク・ロイド・ライトを取り上げることを教授たちに提案し、近代建築に執着したため、退学となってしまう。その理由としてある教授は、「彼の物の見方はモダンすぎる。」というコメントをレポートに残している。ワシントン大学在学中、彼は最初の妻、キャサリン・ウォーマンと出会い、1929年に結婚し、娘ルーシアをもうけている。
退学後は、チャールズ・グレイ、その後にはウォルター・ポーリーとパートナーを組み、建築事務所を営む。
イームズに大きな影響を与えた人物に、フィンランド人の建築家、エリエル・サーリネン(後にその息子でエーロ・サーリネンとはパートナーとなり親友となる。)がいる。1938年、エリエル・サーリネンの招待で、イームズは妻子と共にミシガンに引っ越し、クランブルック美術学院に入学。後にはこの学校で、工業デザイン学部長として教壇に立つことになる。イームズの入学申請当時、建築・都市計画コースでは、学生は前もって設計課題の決定と、そのための情報収集を行っておくことを必須としており、彼はセントルイスのウォーターフロントに興味を持っていた。イームズは、エーロ・サーリネンとともに、ニューヨーク近代美術館の「オーガニック・デザイン」コンペに家具デザインを出品して入賞。
彼らの作品は、アルヴァ・アアルトの開発した木材成型の新技術を見事に利用した物であった。その後もイームズは合板の成型技術を発展させ、多くの製品を開発した。その作品は、椅子をはじめとする家具にとどまらず、骨折時に使う副木や担架にもおよび、第2次世界大戦中には海軍で採用された。
1941年、キャサリンと離婚。クランブルックの同僚であり、カリフォルニア州サクラメント出身のレイ・カイザーと再婚する。レイとともにロサンゼルスに移り、その後の生涯をそこで過ごす。
1940年代後半、A&A(Arts & Architecture)誌の企画によるケース・スタディ・ハウスに参加し、自邸であるNo.8を手掛けている。太平洋を見下ろす崖の上に建てられたイームズ邸は、鉄骨から内装材に至る、その部材の全てがアメリカ国内で流通していた既製品によって構成されており、工業化時代の新しい建築のあり方を示すものとして、記念碑的な位置づけをされている。
[編集] デザイン
1950年代もイームズ夫妻は建築、家具のデザインを続け、初期に手掛けた合板加工だけでなく、グラスファイバーやプラスチック樹脂、ワイヤーを素材とした椅子をデザインし、ハーマンミラー社に提供した。一方で、ショートフィルムの製作にも興味を示し、未完の処女作「Traveling Boy」(1950年)、代表作「パワーズ・オブ・テン(Powers of Ten)」(1977年)などを発表する。彼らの作品は想像力に溢れ、実験的であり、教育の場にも用いられた。
イームズ夫妻によって制作されたショートフィルムには、旅行中に興味を惹かれて収集した、おもちゃや土産物を記録したものが多い。また、自らの展示の制作過程や、伝統的な家具の製作風景、あるいは駐車場の路面の上で動く石鹸の泡など、ありふれたものも撮影している。おそらく最も有名な 「パワーズ・オブ・テン」では、数量の比較を視覚的に捉え、視点を地球から宇宙の果てへと拡大し、そして炭素原子の原子核へと縮小していく様を劇的に見せている。チャールズは写真家としても多作であり、自身の家具、展示品、収集品を何千枚もの写真に納めており、これらは現在、アメリカ議会図書館に収蔵されている。
イームズ夫妻は、展示のプロデュースも数多く行っている。最初の作品は、IBMの依頼による「Mathematica: a world of numbers...and beyond」という展示であり、これは唯一現存しているものでもある。元々は現カルフォルニア科学センター(California Science Center)の新棟のために制作されたものであったが、現在はニューヨーク科学館(New York Hall of Science)にて展示されている。1961年、シカゴ科学産業博物館のために複製され、1980年にはボストンの科学博物館に移された。1964/65年のニューヨーク世界博覧会にて、IBMパビリオンで展示されたものは、これの別バージョンであり、博覧会後はシアトルのパシフィック・サイエンス・センターにて、1980年まで展示された。Mathematicaの展示は、今も、科学を一般に広めるための展示の、モデルとして評価されている。その後も、 「A Computer Perspective: Background to the Computer Age」(1971年)、「 フランクリンとジェファーソンの世界 」(1975-1977年)などの作品がある。
チャールズ&レイ・イームズ事務所は、40年以上(1943-88年)にも渡り、カルフォルニア州ロサンゼルス、901 Washington Boulevard in Veniceで活動を続け、ドン・アルビソン(Don Albinson)やデボラ・サスマン(Deborah Sussman)といったデザイナーを輩出した。ここで生まれたデザインは、合板成形によるDCW(Dining Chair Wood)やDCM(Dining Chair Metal with a plywood seat)(1945年)、Eames Lounge Chair (1956年)、Aluminum Group furniture (1958年)、友人である映画監督ビリー・ワイルダーのためにデザインした、Eames Chaise (1968年)、Do-Nothing Machine (1957)、ソーラー・エネルギーの実験、そして数多くのおもちゃなど、多岐にわたる。
チャールズ・イームズは、1978年8月21日、故郷セントルイスへの帰省中、心臓発作で息を引き取る。現在は、セントルイス・ウォーク・オブ・フェームにその名を刻まれている。妻レイ・イームズが息を引き取ったのは10年後、奇しくもチャールズと同じ日付、1988年8月21日であった。
[編集] 主な作品
建築
- イームズ邸(1949年)
家具
- ワイヤーメッシュ・チェア
- ラウンジチェア&オットマン
映像
- パワーズ・オブ・テン(1977年)
カテゴリ: アメリカ合衆国の建築家 | 家具デザイナー | 1907年生 | 1978年没