ディアスポラ
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ディアスポラ(διασπορά)はギリシャ語で「散らされたもの」という意味の言葉で、特にパレスチナの外で離散して暮らすユダヤ人のことをさす。歴史的に離散した彼らの民族集団的なコミュニティー全体、また一つ一つのコミュニティーのことまでを言うこともあり、ユダヤ人以外の民族でも「政治上の理由などから、本国を離れて暮らす人々のコミュニティー」という意味でこの名称を適用することがある。良く知られている例では、ギリシア人、フェニキア人、アルメニア人、華人などが似た側面を持っている(ただ、あくまで彼らは「民族」であり、思想的バックはない)。
[編集] 歴史的経緯
古代地中海世界の諸都市にはユダヤ人共同体が多くあり、一般的に周辺住民によるイスラエル民族への弾圧によって成立したといわれることが多いが、実際には(特にヘレニズム期に)人間や物資が地中海世界を自由に往来する中で発達した。古代世界最大のユダヤ人コミュニティーはエジプトの大都市アレクサンドリアにあった。(アレクサンドリアは著名なユダヤ人哲学者アレクサンドリアのフィロンを生んだことでも知られる。)
多くの都市においてユダヤ人は自治組織(qehilla)を持ち、独自の宗教・文化を守って暮らしていた。古代以来、地中海世界でユダヤ人はギリシャ人と商業面で競合することが多く、迫害されることもあった。またローマ帝国の都市においては兵役につかず、唯一神以外礼拝しないユダヤ人は、人々から特異な存在として見られることが多かった。
離散した彼らは、中世キリスト教世界において卑しいことされた金銭の貯蓄、卑しい仕事とされた金貸し(銀行業)を行うことにより、富を蓄えることともなった。また、禁忌の罪は煉獄により浄化されると考えられた。
その他の歴史的経緯はユダヤ人本稿が詳しい。
[編集] キリスト教との関係
初期キリスト教は各都市のディアスポラのシナゴーグを拠点としてローマ帝国内に広まっていった。初期のキリスト教徒はユダヤ教の会堂において礼拝を行うことが一般的であったため、初期のキリスト教においてディアスポラの存在意義は大きい。