トヨタ・カリーナED
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カリーナED(Carina ED)は、トヨタ自動車がかつて生産していた乗用車。セリカのプラットフォームを流用した4ドアハードトップ車である。
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[編集] 概要
初代モデルは1985年登場、徹底的に耽美性を追求し、クーペ並みの低い全高に強く傾斜した前後ピラー、富士山型の小さなグリーンハウスを持つ八頭身プロポーションを特徴とする。後席居住性には難があったが、その流麗なスタイリングは絶大な人気を博し、その後の車種に多大な影響を与えた。1990年代以降、日本のユーザーの自動車に対する価値観が、スタイリングよりも居住性を重視する方向へと変化したことから販売成績が低下し、1998年に生産を打ち切った。取扱店はトヨタ店。
[編集] 歴史
[編集] 初代(ST160系・1985-89年)
- 1985年8月 A60系カリーナ3ドアクーペ(FR)の後継車として発売。他にない車高をおさえたデザインと、セリカの車台を流用した4ドアスポーツセダン(正しくはハードトップ)が話題となり(トヨタ初のピラーレスハードトップ)、記録的なセールスで当時「トヨタの傑作」と言わしめた。発売当初は1800ccOHC(1S-iLU)、1800ccOHC(1S-ELU)、2000ccスポーツツインカム(3S-GELU)の3種類のエンジンを搭載。駆動方式はFF(前輪駆動)。取扱販売店はトヨタ店。セリカ/コロナクーペと姉妹車。ナット・キング・コールの名曲「STARDUST」が流れ海外ロケで夜の噴水の前を走るCM(キャッチコピーは「4ドア新気流」)は印象的。
- 1987年8月 マイナーチェンジ。1S-ELU型エンジンが廃止され、2000ccハイメカツインカムの3S-FELU型が採用される。
- 1988年5月 1S-iLU型エンジンが廃止され、1800ccハイメカツインカムの4S-FiLU型が採用される。これにより、シリーズ全車DOHC化完了。
[編集] 2代目(ST180系・1989-93年)
- 1989年 初のフルモデルチェンジ。初代のコンセプトはそのままに、バブル景気という世相を反映して豪奢な装備で人気を博す。世界初となるデュアルモード4WSを上級グレードに採用した(セリカ、コロナEXiVにも同時に設定)。また、この代より顔つきやテールランプ周り以外がほとんど同じ姉妹車「コロナEXiV」をトヨペット店に投入、多品種化による販売拡大策を図る。
- 1990年 1800ccエンジンの仕様変更などの一部改良を受ける。これにより全車燃料供給がEFIとなる。(それ以前の1800cc車は、Ciと呼ばれるEFIとは少し異なる電子制御燃料噴射だった)
- 1991年 マイナーチェンジ、デザインの一部変更が施され、リアの鍵穴隠しのエンブレムが車種専用のデザインではなく現在のCIに変更された。また同時に2000ccのハイメカツインカムエンジンの出力の向上が図られている。CMは当時流行だったプールバーでビリヤードに講じる外国人が出るもので「美しいイニシャル、新ED」がキャッチコピー。(なお、初期型のキャッチコピーは「眩しいくらいエキサイティング・ドレッシィ」である。)
[編集] 3代目(ST200系・1993-98年)
- 1993年 モデルチェンジ。時代の流れに沿って3ナンバー化、そしてボディ剛性を高めるためにピラードハードトップとされた3代目は、デザインもより洗練され人気となったが、車体の大型化と価格を抑えられなかったことが難点となって人気がセールスに結びつかず苦戦。それでもかなりのセールスであったが、これが最終モデルとなった。
- 1994年 姉妹車セリカのフラッグシップモデル・GT-Fourの駆動系を流用した4WDモデルが登場した。
- 1995年 マイナーチェンジ。フロントバンパーとグリル・テールレンズの意匠変更、グレード名の変更を実施。併せて運転席エアバッグの標準化も実施。安全装備の標準化を行ったが装備面ではワイパーMIST機能、車速感応オートロックなどの装備が外された。3S-GE搭載車ではフルオートエアコンからマニュアルエアコンに変更されている。
- 1996年 助手席エアバッグ、ABSの標準化を実施。この改良時まで、これらの安全装備やリヤワイパー等を装備した「SCパッケージ」がラインナップされていた
- 1998年4月 生産終了。13年の歴史に幕を閉じる。
[編集] 車名の由来
「カリーナ(Carina)」は英語で「竜骨座」の意味。「ED」とは「Exciting Dressy」)の略。
[編集] 評価と他車への影響
初代カリーナEDが登場した当時、EDに対する自動車評論家の評価は決して芳しいものではなく、4ドア車であるにもかかわらず、後席居住性に難がある不健全なパッケージングであるとして批判の的となることが多かった。しかし、当時はハイソカーブームの真っ只中であり、EDも爆発的な人気を博したため、同様のコンセプトを持つ車種が日本国内各社から続々と登場することとなった。直接競合するライバル車種としては日産・プレセア、マツダ・ペルソナ、三菱・エメロードなどが挙げられる。またトヨタ内部からも、弟分にあたるカローラセレス/スプリンターマリノが登場した。
また、ボディサイズの割に室内が狭いハードトップ車という意味からすれば、トヨタ・マークIIや日産・ローレルなどの中級セダンにも影響を与えたと捉えることもできる。最近では、メルセデス・ベンツ CLSが同じコンセプトの商品である。
[編集] 備考
- 歴代カリーナED共通の前後期での変更点として、後期モデルのみリアガーニッシュ部のEDのロゴが光る仕様になっていて、またテールレンズ全体に黒の縁取りがされている、という特徴がある。
- ST16#系EDは基本的に4穴13インチホイールだが、1989年に製造されたST162の一部グレードにおいては5穴14インチを採用している。また、90年8月版(前期型後半)及び91年12月版(後期型)のカタログを見ると、前期型は1800cc車のみ4穴(2000cc車は5穴)であることが確認できるが、後期型では全車5穴となっている。