トリスタン・ミュライユ
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トリスタン・ミュライユ（Tristan Murail, 1947年3月11日 - ）は、フランスの現代音楽の作曲家。
ノルマンディー地方セーヌ河口の港町ル・アーヴル出身。パリ音楽院にてオリヴィエ・メシアンに作曲を師事し、卒業直後ローマ大賞を獲得。留学先のローマ・メディチ荘で出会ったイタリアの作曲家ジャチント・シェルシの音楽に強い影響を受ける。一方でピエール・ブーレーズらのトータル・セリー音楽に反発し、盟友ジェラール・グリゼーと共にシェルシの音楽をより理論化し発展させる。ちょうどその頃設立されたパリの電子音楽研究施設IRCAMで、最新の設備を駆使しさまざまな音響分析を試み、自作の理論に応用した。音響の倍音スペクトルの推移を描く彼の音楽は、グリゼーと共にスペクトル楽派と呼ばれるようになる。
最初期のデビュー作品であるホルンと9人の奏者のための「記憶／侵蝕 Mémoire/Erosion」（1976年）は、さながらテープループに多重録音を加えるように、約数秒単位の反復内に、独奏者としてのホルンが自然倍音列に基づく音程を加えていく。ループ内のオブジェが過密になりカオス的音響になったところでそれをノイズと見做し、次のループを開始する仕組みである。楽曲の最後はホワイトノイズを意識した噪音を重ね、最後に（昔の）テープの録音停止ボタンを思わせるバチンという衝撃音で終わる。楽音と噪音の推移を反復語法の中で表現したこの曲は、スペクトル音楽の最初期の様相を良く表している。
続いて管弦楽曲「ゴンドワナ Gondwana」（1980年）では、鐘の音を音響分析したスペクトル成分を元に、オーケストラがそれを模写する。「記憶／侵蝕」がアナログ・シンセサイザーの手法の加算合成的語法と言えるに対して、こちらは一定のスペクトル内に楽器の音程を当てはめることから減算合成的語法だと言える。鐘という楽器は円錐状の金属打楽器であり、これを打撃することによって得られる音響は自然倍音ではなくゆがんだ倍音を含む。さらに円錐状の物体を打撃することによる共鳴体そのものの歪みが周波数のうねりを生み出す。この複雑な音響スペクトルをオーケストラで再現することはそれ自体が複雑な作曲理論を構築する必要があり、結果として出来上がったこの作品はスペクトラル音楽の方向性を追求した上での一つの到達点と言える。思いのほかロマンティックかつ甘美な音色が細部から聞こえてくることを思うと、70年代以降の新ロマン主義的管弦楽法の総決算のようにも取れ、この時代ならではの響きであったことも特筆したい。
注）この「ゴンドワナ」の鐘の模写のアイデアは、日本では約20年も前に黛敏郎の作品「涅槃交響曲」の中で試みられていたが、両者間での意見のやり取りの文献は見られず、ミュライユが黛の作曲語法「カンパノロジー・エフェクト」を参考にしたかどうかは不明である。当のスペクトルの生みの親のシェルシは「PFHAT」の第二曲で鐘の衝撃音一撃を模倣する作品を生んでおり、こちらの作品から直接的ヒントを得たと考えるのが無難であろう。）
ピアノ作品においてもミュライユはいくつかの秀作を生み出している。微分音程の演奏が基本的に不可能なピアノで倍音に基づく作品を書くのは至難の業だが、ミュライユは初期トータル・セリー音楽に見られるようなペダルの禁忌や打楽器的奏法による点描的描写を避け、よりピアニスティックな語法を求めている。中でも30分にわたって全曲ペダルを踏みっぱなしの大作「忘却の領土 Territoires de l'oubli」（1977年）は、残響を加味するという手段において「記憶／侵蝕」からの作曲語法を踏襲しており加算合成的と言える。また限定された和音（この和音はピアノの全音域に渡る大きな概念である）に基づく選ばれた音響という点では減算合成的であり、数年後の「ゴンドワナ」を予測させる。しかしなんと言っても、ピアノという楽器本来の響きを彼自身のスペクトラルな語法とブレンドさせて忠実に引き出しているとも言う点で、ピアノ音楽（特にフランス）の伝統に一石を投じていると言える。
日本の作曲家近藤譲が最近指摘しているように、これらスペクトル音楽の語法は、縦の響きに関しては精緻な理論を持つ。しかし時間の推移をどう進めるかという点に関しては定かではなく、別のアイデアが要求される。ミュライユの場合、これら初期から中期の作品は、ある程度の長さのフレーズの反復による推移の中での音響の推移を聞かせるが、大抵の場合はだんだん音響がカオス的になるかノイズを加味していくかのどちらかであり、音楽の推移に関しては一種のマンネリであったとも言える。
1980年代後半以降は、理論中心の題名からより詩的な題名を選ぶようになり、19世紀印象主義的とも言える風景描写的音楽が目立つようになった。風や水などの流体を描くような曖昧模糊としたリズムや、倍音スペクトルも単音的ではなく複雑に合成されたものを基にした多くの微分音程を積極的に用いている。特に記譜法上のリズムは曖昧とも取れるが、これはある全体のセクションの中に一定のリズムを配分するという考えの下、実は綿密に計算されて作曲しているのである。（つまりスペクトラルな語法の弱点である時間の推移を、音響そのものの数値を時間単位に当てはめることによって補足していると言える。）この作曲上の計算は、合成倍音の数値に基づいてリズム配分を決めるなど極めて複雑なため、近年のミュライユはコンピュータを用いており、作曲用計算ソフトとしてOpen Musicを愛用している。このソフトを用いることにより確かに仕事の能率は上がり譜面も見やすくなったが、作品を引き締めるテンションが減退方向にあることは否めない。計算だけでなく音響合成としてもコンピュータを援用し、テープ（あらかじめ録音された電子音響を表す語であり、実際はコンピュータ上の音響ファイルやCDなどメディアは異なる）のパートを楽譜上に書き込んでいる。しかしその記譜はやはり曖昧模糊とした濃淡（通常紙の上で消去を表すような細線の往復による塗りつぶし）によってのみ表される。
2000年には、前年突然死去した盟友グリゼーを悼んで、室内管弦楽曲「ウィンター・フラグメンツ Winter Fragments」が作曲されたが、これの主題（従来の音楽用語としてのモチーフ・「ソ＃ミシファ＃レ」）と倍音スペクトルは、グリゼーの代表作「音響空間」にちなんでミの自然倍音に基づいている。（ただし基音は第3倍音のシであり、純粋倍音が明らかになるのは最後のみである。）
鍵盤楽器奏者としても一時期活躍し、特にオンド・マルトノの演奏では録音も出している。有名な盤ではエサ＝ペッカ・サロネン指揮ロサンゼルス・フィルハーモニックによるメシアンの「トゥランガリーラ交響曲」の録音にオンド・マルトノ奏者で加わっている。 ミュライユ自身もオンド・マルトノの曲を多く作曲しており、2台のオンド・マルトノのための「マッハ2.5 Mach 2,5」（1971-75年）、オーケストラとの協奏曲「空間の流れ Les Courants de l'espace」（1979年）は特にオンド・マルトノ奏者のレパートリーとして有名である。
現在はアメリカのコロンビア大学で作曲科の教授を務めており、アメリカの若手作曲家の間にスペクトラルな音楽語法が広まりつつある。また本国フランスでもIRCAMの研修コースなどで教鞭をとっている。ミュライユ本人はスペクトル楽派と呼ばれることを忌み嫌い、「作品を聴いている間に耳で思い出せるオブジェ」を作曲思想の源泉とし、「ピエール・シェッフェールよりもピンク・フロイドからアイデアを得ることが多かった」そうである。
