ピエール・ブーレーズ
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ピエール・ブーレーズ(ピエール・ブレーズ)(Pierre Boulez,1925年3月26日 - )はフランスの作曲家および指揮者。
目次 |
[編集] 人物
パリ音楽院でオリヴィエ・メシアンに作曲を師事する。作曲の弟子にはバーゼルの音楽大学で教えたハインツ・ホリガーがいる。ダルムシュタット夏季現代音楽講習会でその初期から活躍し注目される。シュトックハウゼンと共鳴するが、ノーノとは鋭く対立していて、いまだに指揮者としてノーノの作品だけは取り上げない。
初期には怒れるブーレーズと恐れられ、1940-50年代には「オペラ座を爆破せよ」「シェーンベルクは死んだ」などの過激な発言を繰り返した。(前者の発言では、2001年、スイス警察により一時拘留された。音楽界の常識として見れば半世紀前の論文中の比喩表現であり、まったくの誤認である。)シェーンベルクを否定し、ヴェーベルンの極小セリー形式から出発する一方、後にはドビュッシーやストラヴィンスキーの再評価に務めた。詩人では最初にルネ・シャールを取り上げるが後にはステファヌ・マラルメによる作品を書き、また指揮活動としても徐々に前の時代の作曲家へと遡って評価する姿勢が見られる。
ジョン・ケージと往復書簡を交わすほかダルムシュタットなどで交流し、偶然性を導入する。ただしケージなどアメリカ作曲界は偶然性を不確定性(チャンス・オペレーション)として導入したのに対し、ブーレーズをはじめヨーロッパ作曲界は「管理された偶然性」とし、偶然性の結果によってどんなに音楽が異なる解釈をされようとも、全体としては作曲者の意図の範囲で統率されるべきとした。この考えに基づく作品としては「ピアノソナタ第3番」、「プリ・スロン・プリ - マラルメによる即興」などが挙げられる。
パリの電子音響研究所IRCAMの創立者で初代所長。現在はフリーで活躍。
[編集] 作品
初期の作品としての傑作は、メシアンの「音価と強度のモード」に影響を受け音列を引用した「構造」1-2(2台のピアノのための)がある。「ル・マルトー・サン・メートル(主なき槌)」(ルネ・シャールの詩による)は20世紀の最大傑作の一つ。また「ピアノソナタ」1-3番、特に第3番はジョン・ケージの影響を受け管理された偶然性を追求し、現代音楽の作曲としての大きな問題を投げかけた。中期までの作品としては他に「プリ・スロン・プリ - マラルメによる即興」、「メサージェスキス」、「弦楽四重奏の書」などが挙げられる。
1940年代後半から一貫して反復語法を忌み嫌っていた彼は、前衛の停滞以後の1970年代以降から急速に反復語法へ傾斜する形となり、等拍パルスやトリルなどを多用し固定された和声内での空間的な動きを特徴としてゆく。このまろやかな作風の不備を打開するために4Xと名づけたハードウェアを導入し、空間的及び時間的な様々な位相を伴う別々の周期パルスを過剰に組み合わす様式へ展開した。その様式が最初に結実した作品が、IRCAMの電子音響技術を応用した6人のソリストと室内オーケストラとライヴ・エレクトロニクスのための「レポン」である。
しかし、エレクトロニクスを用いない場合はこれらの効果が見られないために、初期の「錯乱」を器楽編成のみで競う方向性は影を潜めた。例としてヴァイオリン独奏のための「アンテーム」第一番(第二番はライヴ・エレクトロニクスを伴う)、ピアノ独奏のための「アンシーズ」(改訂版の「スュル・アンシーズ」は指揮者と三組のピアノ、ハープと音律打楽器からなるトリオによる)などのライブ・エレクトロニクスの有無による作品の質の差異は顕著に見られる。その他クラリネットとテープの為の「二重の影の対話」(他にもさまざまな楽器の版がある)、独奏フルートと室内オーケストラとライブ・エレクトロニクスのための「エクスプロザント・フィクス(固定された爆発)」などの作品も、原則的には反復語法に基づいている。
[編集] 指揮活動
- 1954年に現代音楽アンサンブルドメーヌ・ミュジカルを創設。
- 1958年よりバーデン・バーデンにある南西ドイツ放送交響楽団を振り出しにして本格的な指揮活動を開始。
- 1967年には、健康に陰りが見え始めたジョージ・セルをカヴァーする目的でクリーヴランド管弦楽団の首席客演指揮者に就任。
- 同年、大阪国際フェスティバル(バイロイト・ワーグナー・フェスティバル)で初来日。「トリスタンとイゾルデ」(トリスタン:ヴォルフガング・ヴィントガッセン、イゾルデ:ビルギット・ニルソン、マルケ王:ハンス・ホッター、管弦楽:NHK交響楽団)を指揮した。
- 1970年にはクリーヴランド管弦楽団とともに2度目の来日。
- 1971年からはBBC交響楽団首席指揮者とニューヨーク・フィルハーモニック音楽監督を兼ねた。この組み合わせでは、1974年にニューヨーク・フィルと、1975年にBBC響と来日。
- その最中の1978年にIRCAMとアンサンブル・アンテルコンタンポラン創設のために指揮活動を自ら激減した。
- 1991年にIRCAM所長を辞してからは再び指揮活動を増やした。
- 1992年には、かつてカラヤン存命時には、バーンスタインやアーノンクールら等と同様、政治的な理由から遠ざけられたザルツブルク音楽祭に初出演、アンサンブル・アンテルコンタンポランとウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮した。これ以降、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団やシカゴ交響楽団・クリーブランド管弦楽団の定期演奏会にも招かれた。また、ドイツ・グラモフォンとの録音も増えた。
主な録音としては、1960~70年代のストラヴィンスキーの録音、1990年代に入ってからのマーラーやラヴェルなどの録音が挙げられる。
[編集] 著作
- 『意志と偶然――ドリエージュとの対話』(店村新次訳/法政大学出版局/1977年)
- 『ブーレーズ音楽論――徒弟の覚書』(船山隆、笠羽映子訳/晶文社/1982年)
- 『参照点』(笠羽映子、野平一郎訳/書肆風の薔薇/1989年)
- ポール・テヴナン編『クレーの絵と音楽』(笠羽映子訳/筑摩書房/1994年)
- 『現代音楽を考える』(笠羽映子訳/青土社/1996年)
- 『標柱 音楽思考の道しるべ』(笠羽映子訳/青土社/2002年)
- セシル・ジリー聞き手『ブーレーズは語る――身振りのエクリチュール』(笠羽映子訳/青土社/2003年)
- ピエール・ブーレーズ、アンドレ・シェフネール『ブーレーズ―シェフネール書簡集1954-1970――シェーンベルク、ストラヴィンスキー、ドビュッシーを語る』(笠羽映子訳/音楽之友社/2005年)
- クロード・サミュエル聞き手『エクラ/ブーレーズ 響き合う言葉と音楽』(笠羽映子訳/青土社/2006年)
この他、2006年4月時点で日本語に訳されていない本として次の著書がある。
- Jean-Jacques Nattiez, ed. The Boulez-Cage Correspondence.
- Jean Vermeil, Conversations With Boulez: Thoughts on Conducting.
- Rocco Di Pietro, Dialogues With Boulez.
[編集] その他、エピソード、パロディなど
漫画の「ソムリエ」には、世界的指揮者として「ペール・ブレイズ」という人物が登場するが、これは明らかにブーレーズをモデルとした名称であると思われる。
来日した際のレセプション会場で、体が不自由でサングラスをして歩く故・志鳥栄八郎を見たブーレーズは声をかけ、志鳥がこの体は薬害のせいだと答えたところ、「日本の厚生省は何をやっているんですか!」と怒りをあらわにしたという。
先代: ジョージ・セル |
クリーヴランド管弦楽団音楽顧問 1970–1972 |
次代: ロリン・マゼール |
先代: コリン・デイヴィス |
BBC交響楽団首席指揮者 1971–1976 |
次代: ルドルフ・ケンペ |
先代: ジョージ・セル (音楽顧問) |
ニューヨーク・フィルハーモニック音楽監督 1971–1978 |
次代: ズービン・メータ |
先代: - |
アンサンブル・アンテルコンタンポラン 首席指揮者 1976–1978 |
次代: ペーテル・エトヴェシュ |