ナーラーヤン・カールッティケーヤン
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F1での経歴 | |
国籍 | ![]() |
活動年数 | 2005 |
所属チーム | ジョーダン |
出走回数 | 19 |
タイトル | 0 |
優勝回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 5 |
表彰台(3位以内)回数 | 0 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
F1デビュー戦 | 2005年オーストラリアGP |
初勝利 | - |
最終勝利 | - |
最終戦 | 2005年中国GP |
ナーラーヤン・カールッティケーヤン (Narain Karthikeyan, நாராயண் கார்த்திகேயன், 1977年1月14日 - )は、インド人のレーシングドライバー。
※日本で現在多く散見される「ナレイン・カーティケヤン」という表記は、英語表記のカタカナ読みに基づいており、元のタミル語の音からは大きくかけ離れている。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] デビュー
南インドのタミル・ナードゥ州出身、「インドのモータースポーツの中心地」と言われる高原の街コーヤンブットゥールで生まれ育つ。15歳でフランスに渡りレース競技に身を投じる。フォーミュラ・アジア等を経て、1999年から2年間イギリスF3に参戦。2000年には佐藤琢磨に次ぐシリーズ4位の成績を残した。
2001年にはチーム・インパルからフォーミュラ・ニッポン(Fニッポン)参戦。本山哲とはチームメイトであった。しかし、この年のFニッポン王者となった本山とは対照的に、ナレイン・カーティケヤンはわずか入賞2回に終わった。
2002年からの3年間はミドルフォーミュラのワールドシリーズ・バイ・ニッサンに参戦。2004年は2勝を挙げ、シリーズ5位だった。
[編集] F1
2005年2月1日、ジョーダンへの加入が発表され、インド人初のF1レギュラードライバーとなった。ミシュランタイヤを使用するチームがタイヤの安全性の問題から大量にレースを棄権した第9戦アメリカGPではそのお陰もあり4位入賞となったが、チームメイトのティアゴ・モンテイロに敗れ、表彰台獲得の千載一遇のチャンスを逃してしまった。2006年には、ウィリアムズチームの第2テストドライバーを務めることとなった。2007年もチームにとどまってテストドライバーを務める。
[編集] 世界最速のインド人
「世界最速のインド人」と称されることもあるが、現在インド人でトップクラスのカテゴリーで戦うレーシングドライバーはナーラーヤン・カールッティケーヤン以外に存在しないと考えられる。