ネルシーニョ・ピケ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ネルシーニョ・ピケ(Nelson Angelo Piquet、1985年7月25日 - )は、ブラジル国籍のレーシングドライバーである。
本名はネルソン・アンジェロ・ピケで、ネルソン・ピケJr.(Nelson Piquet Junior)あるいはネルシーニョ・ピケ(Nelsinho Piquet)とも呼ばれる。GP2参戦時の登録名は「Nelson Piquet Junior」。
父親は3度のF1ドライバーズチャンピオンに輝いたネルソン・ピケである。
[編集] 出生
ドイツ・ハイデルベルク生まれ。母はオランダ人のシルビア・タムスマ(Sylvia Tamsma)で、ネルシーニョの出生直後に両親は別居するようになったため、幼児期はモナコに住み、8歳の時に父とともにブラジルへと渡った。これは母親のシルビアがネルシーニョに、自分自身の父親についてよく知ること、その祖国であるブラジルと言葉(ポルトガル語)を学ぶことを望んだためである。
ブラジルにおいては、他の兄弟同様、父親が所在するブラジリア出身という扱いとなる。
[編集] 経歴
1993年、ブラジルに移り住んですぐさまカートを始め、2001年には父のレーシングチームであるピケ・スポーツより南米F3に参戦し数戦を走り、翌2002年にはシリーズを4戦残した時点で弱冠17歳でチャンピオンに輝いた。
2003年よりヨーロッパへと戻ると、父ネルソンはネルシーニョのためにやはりピケ・スポーツの名でチームを設け、ネルシーニョは同チームからイギリスF3に参戦した。加えて、同年にはケケ・ロズベルグの息子のニコ・ロズベルグと共にF1のウィリアムズのテストドライブも経験した。
2004年、イギリスF3では最年少となる19歳2ヶ月でチャンピオンを獲得し、この年もシーズン後にウィリアムズでのテストに参加した。
2005年にはGP2への参戦を開始。ここでもネルソンは従来存在したHitechチームに参画し、Hitechピケスポーツが生まれ、ネルシーニョは同チームに所属した。この年は同年に開始したA1グランプリに数戦参戦し、シリーズ初戦でスプリントレース、メインレースとも優勝で飾りファステストラップまで刻むという完勝劇を見せた。また、F1のB・A・Rチームのテストにも参加した。この頃、この年は同じくブラジル人F1チャンピオンを親族に持つブルーノ・セナがイギリスF3への参戦を始めたため、「二世ドライバー」としてブラジルでは併せて注目を集めるようになる。
2006年はGP2シリーズでチャンピオン争いを展開するが、ルイス・ハミルトンに及ばず、ランキング2位で終えた。しかしながら、ハンガリーのハンガロリンクで開催されたレースではポールポジションを獲得した上、レース1、レース2ともに優勝し両レースともファステストラップも記録するという完全勝利を飾った(レース2はリバースグリッドとなるため、レース1の優勝者がレース2も連勝することは困難)。以前に同一ラウンド中の2レースで連勝を達成したドライバーとしては、前年最終戦で達成したニコ・ロズベルグと、2006年のニュルブルクリンクとシルバーストンで達成したハミルトンがいるが、いずれもポールポジションかいずれかのファステストラップを逃している。
2007年はF1のルノーチームのテストドライバーを務めることが決定している。
なお、ネルソン・ピケの自身のチームによるサポートは元々ネルシーニョがF1に上がるまでのものであったため、ブラジルのピケスポーツ本体を残して、GP2などヨーロッパのレースからはすでに撤退している。
[編集] 外部リンク
- ネルシーニョ・ピケ公式サイト - ポルトガル語 / 英語