ザクセン=コーブルク=ゴータ公国
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- ザクセン=コーブルクおよびゴータ公国
- Herzogtum Sachsen-Coburg und Gotha
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(国旗) (紋章) - 国歌 : 不明
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首都 コーブルク(ザクセン=コーブルク)
ゴータ(ザクセン=ゴータ)君主号 公(Herzog) 君主家 ヴェッティン家エルンスト系
(ザクセン=コーブルク=ゴータ家)面積 562 km²(ザクセン=コーブルク)
1415 km²(ザクセン=ゴータ)人口 74,818人(ザクセン=コーブルク)
182,359人(ザクセン=ゴータ)人口密度 133 人/km² (ザクセン=コーブルク)
129人/km²(ザクセン=ゴータ)成立 ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公のザクセン=ゴータ継承(1826年) 消滅 ドイツ革命による君主制廃止(1918年)
1920年にザクセン=コーブルクはバイエルン州へ、ザクセン=ゴータはテューリンゲン州へ編入連邦参議院での投票権数 1 ナンバープレート CG
ザクセン=コーブルクおよびゴータ公国(Herzogtum Sachsen-Coburg und Gotha)は、1826年から1918年までドイツ中部に存在した公国。ザクセン=コーブルク公国とザクセン=ゴータ公国の同君連合であった。首都はそれぞれコーブルクとゴータに置かれた。イギリス女王ヴィクトリアの王配アルバートや、現在まで続くベルギー王家の出身国として知られる。
1825年、ザクセン=ゴータ=アルテンブルク公フリードリヒ4世の死去によってザクセン=ゴータ=アルテンブルク公家が断絶すると、ヴェッティン家のザクセン諸公国の間で領土の再分配が行なわれた。ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公エルンスト1世はザールフェルトをザクセン=マイニンゲン公国へ譲るかわりにゴータを継承し、これによってザクセン=コーブルク=ゴータ公国が成立した。エルンスト1世の治世にドイツ関税同盟・北ドイツ連邦へ加盟し、次代のエルンスト2世のときドイツ帝国の構成国となった。
ザクセン=コーブルクとザクセン=ゴータは名目上は2つの公国であったが、連邦参議院で割り当てられた投票権は両公国合わせて1票であった。そのため正式に合併しようという提案が2度にわたってなされたが、結局これは実現しなかった。
1918年にドイツ革命が発生すると、ザクセン=コーブルク=ゴータ公カール・エドゥアルトは退位宣言書に署名し、公国は消滅した。1919年に行なわれた住民投票の結果、翌1920年にザクセン=コーブルクはバイエルン州へ、ザクセン=ゴータはテューリンゲン州へそれぞれ編入された。
[編集] 君主一覧
第3代と第4代のザクセン=コーブルク=ゴータ公はそれぞれイギリス女王ヴィクトリアと王配アルバートの子・孫にあたり、イギリス王族でもあった。
[編集] 関連項目
- ドイツ帝国の構成国
- アンハルト公国 | ヴァルデック侯国 | ヴュルテンベルク王国 | エルザス=ロートリンゲン | オルデンブルク大公国 | ザクセン王国 | ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公国 | ザクセン=アルテンブルク公国 | ザクセン=コーブルク=ゴータ公国 | ザクセン=マイニンゲン公国 | シャウムブルク=リッペ侯国 | シュヴァルツブルク=ゾンデルスハウゼン侯国 | シュヴァルツブルク=ルードルシュタット侯国 | バーデン大公国 | バイエルン王国 | ハンブルク | ブラウンシュヴァイク公国 | ブレーメン | プロイセン王国 | ヘッセン大公国 | メクレンブルク=シュヴェリーン大公国 | メクレンブルク=シュトレーリッツ大公国 | リッペ侯国 | リューベック | ロイス侯国 (兄系) | ロイス侯国 (弟系)