ハリー・ホワイト
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ハリー・デクスター・ホワイト (Harry Dexter White,1892年10月 – 1948年8月16日)は、アメリカ合衆国の官僚。フランクリン・デラノ・ルーズベルト政権で財務次官補をつとめた。
リトアニア系ユダヤ人移民の両親のもと、マサチューセッツ州のボストンで生まれた。高校を卒業後職に就き、その後第一次世界大戦に従軍する。帰還後の1924年にスタンフォード大学に入学し経済学を学ぶ。ハーバード大学とローレンス・カレッジで経済学の助手として勤務した後、ハーバード大学の大学院に入り、1935年に博士号を得ている。
1941年、ルーズベルト大統領時代のアメリカ合衆国の財務次官補としてハル・ノートの草案に携わった。
戦後、共産主義者であると告発を受け、米国議会で糾弾される。非米活動委員会出席後、ニューハンプシャー州の自分の農場にて心臓発作により死去。
ベノナでは彼がソ連のスパイであったことが確認された。
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