アメリカ共産党
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アメリカ合衆国共産党 (Communist Party of the United States of America)は、アメリカのマルクス主義政党。2007年現在、党首はサム・ウェブ。日刊紙ピープルズ・ウィークリー・ワールド、月刊誌ポリティカル・アフェアズを出版している。
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[編集] 歴史
1919年9月1日に結党。当初はアメリカ共産党とアメリカ共産労働党に分かれて出発した(1920年代に統合)。発足時点の党員のほぼ7割はアメリカ国籍を持たない外国人、とりわけ東欧系ユダヤ人で占められていた。党員は数万人いたといわれているが、1920年1月の司法長官ミッシェル・パーマーによる一斉検挙によって大ダメージをうけ、1920年代は沈滞する。
1929年に大恐慌が米国を襲い、労働運動や社会改革運動が再び台頭の兆しをみせるなかで、共産党は学生運動や労働運動、公民権運動などに着手し、大衆運動に影響力を拡大しはじめる。他方で1930年代にはスターリンのモスクワ裁判を支持するなどの教条主義的、硬直的な態度は知識人や学生に幻滅をあたえ、後に「ニューヨーク知識人」と呼ばれるようになった社会学者のリチャード・ホフスタッターやダニエル・ベルらは離党し、敵対していく。
1930年代半ばにはコミンテルンの人民戦線路線を積極的に採用し、ニューディール・リベラルなどとの共同関係を強め、反ファッショ運動の一翼を担う。そのなかでもとりわけ有名なのは、スペイン共和国支援のための国際旅団「エイブラハム・リンカーン大隊」である。また、アメリカ南部では黒人運動の組織化をすすめるなど、先駆的なとりくみもなされた。1931年、アラバマ州スコッツボローで、9人の黒人少年がレイプの冤罪で逮捕され、死刑判決を受けたスコッツボロー事件では大規模な釈放運動を行い、再審の上開放を勝ち取った。1939年頃には党員数はおよそ10万人に達したといわれている。党員のほぼ7割はニューヨーク州に集中していたといわれ、同市議会などで議席を獲得したこともあった。また事実上の後援政党であったアメリカ労働者党からは、下院議員を当選させてもいる(ビトー・マーカントニオ、ニューヨーク州)また同時期に台頭したアメリカ産別会議(CIO)内にも影響力を拡大し、第二次世界大戦中にはCIO傘下の労働組合執行部の3分の1をにぎっていたという説もある。
しかし、1939年の独ソ不可侵条約をうけ、同党が反ファッショ戦線を事実上放棄したことが、共同関係にあったリベラルや一部の宗教者に取り返しのつかない幻滅感を与えてしまった。戦後のアメリカ・リベラルの反共主義の根拠はこの事件にあるといっても過言ではない。その後ドイツがソ連に侵攻し、独ソ協定が破棄されたことで同党は再び反ファッショ戦線に復帰するが、もはや共同関係がもどることはなかった。
戦時下ではルーズベルト政権に積極的に協力し、ストライキなどのサボタージュ的行動も抑制的だった。書記長アール・ブラウダーはアメリカ資本主義に幻惑されて党のアメリカ同化路線を追求し、急進的、革命的路線は後退。そして1943年にはコミンテルン解散に合わせ、もはや党は必要ないとして、「アメリカ共産主義者協会」に改組してしまう。こうした穏健路線は冷戦の開始と共に否定され、1945年に共産党は再組織化、プラウダーは追放される。
司法省、FBIなどの公安機関は、戦時下でも共産党への監視を緩めることはなかったが、党が穏健路線をとっていることと、ソ連が連合軍であることから、目立った逮捕、起訴は行わなかった。しかし、1947年のトルーマン・ドクトリン以降、冷戦激化のもとで本格的な取り締まりに乗り出す。その嚆矢が1949年の「デニス事件」である。同事件で党書記長デニス以下7人の幹部が「実力あるいは暴力による政府の転覆」を衝動したかどで逮捕・起訴された、同年暮れには連邦最高裁が有罪判決を下した。そして、第二波、第三波と検挙が行なわれ、党の幹部組織は壊滅的なダメージを受けた。
またリチャード・ニクソンの非米活動委員会やジョセフ・マッカーシーによる赤狩り(マッカーシズム)は、党のイメージを著しくダウンさせることになった。1940年代後半から党員数は激減し、1950年代末には2千人程度にまで減少したといわれる。その後、公民権運動やベトナム反戦運動など社会運動は再び活発化するが、共産党が1930年代のような役割を果たす事は最早なかった。ソ連崩壊までは「ソ連共産党アメリカ支部」と揶揄されるほどソ連寄りであった。
冷戦終結後は自然消滅すると見られていたが、意外にも二大政党制に対するマンネリ化や市場原理主義への不満のためか党員は増えているという。
[編集] 党首
- チャールズ・ラッテンバーグ(1919年~1927年、書記長)、ジェームズ・キャノン(1919年~1927年、主席)
- ジェイ・ラブストーン(1927年~1929年、書記長)
- ウィリアム・J・フォスター(1929年~1932年、書記長)
- アール・ブラウダー(1932年~1945年、書記長)、
- ウージェニー・デニス(1945年~1959年、書記長)、ウィリアム・J・フォスター(1945年~1959年、主席)
- ガス・ホール(1959年~2000年、書記長)
- サム・ウェブ(2000年~)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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