パッシングショット
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性別 | 牝 |
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毛色 | 鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1985年4月26日 |
死没 | 1992年5月14日 |
父 | トウショウボーイ |
母 | タカヨシピット |
生産 | 浦河小林牧場 |
生国 | 日本(北海道浦河町) |
馬主 | 森本忠治 |
調教師 | 橋田満(栗東) |
競走成績 | 27戦5勝 |
獲得賞金 | 2億7345万9400円 |
パッシングショットは日本で生産・調教された競走馬。第7回マイルチャンピオンシップの優勝馬である。その他の勝鞍にCBC賞がある。1990年にJRA賞最優秀5歳以上牝馬受賞。
[編集] 戦績
1987年11月末に中京のダート新馬戦でデビュー。2番人気の2着であった。その後、同開催中の芝の新馬戦を使われ1番人気に応え初勝利。 年が明け、条件戦を中心に使われたが2着3回(うち1回は桜花賞馬アラホウトクの2着)等、勝ちきれず2勝目をあげたのは11月であった。その後、連闘でエリザベス女王杯に挑戦もミヤマポピーから大きく離された9着に終わる。自己条件に戻った次走は1番人気に答え4馬身差で快勝。勝利で4歳シーズンを締めくくった。
翌年初戦の京都牝馬特別は圧倒的人気のシンウインドはとらえたものの、逃げたリキアイノーザンをとらえきれず2着、続くマイラーズカップも2着、京王杯スプリングカップは3着と惜しい競馬が続いた。春の大一番安田記念はバンブーメモリーの6着に終わり、その後はトパーズステークス2着はあったものの勝ちきれない成績で1989年のシーズンを終えた。 1990年は、掲示板には載るものの勝ちきれない競馬が続いていたが6月のCBC賞で好位から伸びてバンブーメモリーを3/4馬身凌ぎきり、約1年半ぶりの勝利を挙げた。続く高松宮杯は距離的なものもあったか10着に惨敗。続くスワンステークスは逃げたナルシスノワールをとらえきれず2着に終わった。 バンブーメモリーの圧倒的人気で迎えた秋のマイル王決定戦マイルチャンピオンシップ。スタートで出遅れながらもそれを補って余りある素晴らしい末脚を繰り出しバンブーメモリーに1馬身以上の差をつける差し切り勝ちで10番人気の低評価をいい意味で裏切った。鞍上の楠孝志、調教師の橋田は共に初のGI制覇だった。
そして引退レースのスプリンターズステークスではバンブーメモリーと最後の対決となり小差の2番人気でレースを迎えた。しかしレースは恐ろしいくらいの出遅れをし、バンブーメモリーが前半3ハロン32.4という超ハイペースの中で当時の日本レコードで快勝した陰に隠れた8着に終わった。 しかし、道中おっつけ通しの中、上がり3ハロンが33.6(上がり2位のバンブーメモリーは34.2)という異次元の末脚を見せ、出遅れなければというレースであった。
[編集] 引退後
引退後、浦河小林牧場で繁殖入りしたが初年度の相手に選ばれたニッポーテイオーとの種付け準備中に転倒してしまい、頭蓋骨を骨折して死亡した。
[編集] 血統表
パッシングショットの血統 (プリンスリーギフト系(ナスルーラ系)/Nasrullah4×4=12.50% Nearco5×5×5=9.38% Hyperion4×5=9.38%(父内)) | |||
父
トウショウボーイ 1973 鹿毛 |
*テスコボーイ Tesco Boy 1963 黒鹿毛 |
Princely Gift | Nasrullah |
Blue Gem | |||
Suncourt | Hyperion | ||
Inquisition | |||
*ソシアルバターフライ Social Butterfly 1957 鹿毛 |
Your Host | Alibhai | |
Boudoir | |||
Wisteria | Easton | ||
Blue Cyprus | |||
母
タカヨシピット 1972 栃栗毛 |
*ネヴァービート Never Beat 1960 栃栗毛 |
Never Say Die | Nasrullah |
Singing Grass | |||
Bride Elect | Big Game | ||
Netherton Maid | |||
ファーストウェイ 1967 鹿毛 |
*ボウプリンス | Prince Chevalier | |
Isabelle Brand | |||
スーパーボンド | ライジングフレーム | ||
トミカツラ F-No.4-g |