ヒース・ヒーリング
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ヒース・ヒーリング | |
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基本情報 | |
本名 | |
あだ名 | テキサスの暴れ馬 |
階級 | ヘビー級 (PRIDE、HERO'S、UFC) |
国籍 | アメリカ合衆国 |
誕生日 | 1978年3月2日 |
出身地 | アメリカ合衆国 テキサス州 |
現居住地 | アメリカ合衆国 |
スタイル | レスリング |
戦績 | |
総試合数 | (HERO'S、PRIDE) 06/12/12現在 |
総勝利数 | |
KO勝ち | |
一本勝ち | |
判定勝ち | |
総敗北数 | |
KO負け | |
一本負け | |
判定負け | |
引き分け | |
無効試合 |
ヒース・ヒーリング("The Texas Crazy Horse" Heath Herring、1978年3月2日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州出身の総合格闘家。身長184cm、体重113kg。所属はLVCC(元ゴールデン・グローリー)。ニックネームは“テキサスの暴れ馬”。
その実力に加え、ルックスの良さと奇抜な髪型(ほぼ毎試合変わる)、カウボーイハットを被りながらの入場などで、PRIDE選手の中でも抜群の人気選手だった。
[編集] 来歴
全米サンボ選手権、アメリカのWVCで優勝し、『PRIDE.9』でPRIDE初参戦。レスリング、サンボで培った堅実なグラウンドテクニックに抜群の打撃センスを持ち合わせ、『PRIDE.11』では総合格闘技最強の呼び名も高いトム・エリクソン、『PRIDE.12』ではエンセン井上といった強豪を撃破。さらに『PRIDE.15』では、霊長類ヒト科最強の男マーク・ケアーを完全粉砕し、その評価を絶対なものとした。そして『PRIDE.17』でアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラと初代PRIDEヘビー級のベルトを賭けて激突。あのノゲイラの関節技を見事にかわし、判定で敗れるもPRIDE史上稀に見る名勝負を演じた。
しかし、その後参戦したエメリヤーエンコ・ヒョードル、ミルコ・クロコップには完敗を喫し、ヘビー級3強に差をつけられる。
トップ戦線復帰を目標に臨んだ『PRIDE GP 2004』。一回戦でパンクラスの高橋義生を強力な鉄槌で失神KO。二回戦で、ノゲイラとのリベンジマッチが組まれたが、2R開始早々、ノゲイラの新技スピニングチョークの前にあえなくタップアウト。リベンジはならず、またも屈辱を味わうことになる。
『PRIDE.28』で日本期待の選手横井宏考と対戦。見事に1RKO勝利。しかしこの一戦でPRIDEとの契約が切れ、やむなくPRIDEを去ることになってしまった。
2005年3月26日、FEG主催のHERO'Sで往年のK-1トップファイターにして総合格闘技でも非凡な才能を見せつけるサム・グレコと対戦。試合をリードしていたが、アクシデントで脚を負傷して不運の敗北。
さらに2005年12月31日、再びHERO'Sのリングに登場し、中尾芳広と対戦。しかし、中尾は試合前のにらみ合いで、ヒーリングを挑発しようとキスし、ヒーリングはこれに怒って右フックを見舞う。これによって中尾が失神してしまったためヒーリングの反則負けとなった。この後にヒーリング側が抗議し、裁定の結果、「非常識な挑発をした中尾にも責任はある」として当試合は無効試合となった。このような事態になったのはヒーリングがテキサス出身であったからだといわれている(テキサスは同性愛に過剰である)。
上記の試合からHERO'Sのリングを去ることになり、アメリカの格闘技団体WFAに移籍。その後UFCを運営するズッファ社がWFAを買収したため、2007年1月25日に開催のUFCファイトナイトにおいてジェイク・オブライエンと対戦。判定負けを喫し苦いUFCデビューとなった。